第3話 病院不信で医者不信
このあと、急激に体調が悪化していった、とは最初に書いたとおりである。階段の昇り降りはもちろん、社員食堂へ向かう緩いスロープがものすごく億劫に感じるようになった。さらに、しょっちゅう足がつるのだ。自転車でちょっと遠出した時や、朝目覚めた瞬間、ふくらはぎがつる。6月に入ると、明らかに体調に異変をきたしていることを確信して、ネットを検索しまくった。
多くの方はこう言うにちがいない。「何ですぐ病院に行かないのか」と。これも理由を書くと少々長くなるのだが、私は病院も医者もまったく信用していなかったのだ。と、過去形で書いているものの、これは今も変わっていない。
もちろん、子どものときに風邪をひいて小児科に連れていかれたり、親不知がどうにも痛くなって歯医者に行ったりしたことはあったが、社会人になってからは医者や病院とはなるべく関わらないように生活を送ってきた。職場の健康診断も毎年拒否した。これにはもちろんワケがある。それはこうだ。
社会人1年目の1991年、仕事中に私は右手の肘の骨を折った。広報部だった私は、写真を撮る必要から、キャノンF-1という重たいカメラ(当時は当然フィルム式、しかもワインダー付き)を愛用していた。そしてある日、階段でそれを持ったまま足を滑らせ、カメラを守って手を出さずに、肘をついてしまったのだ。その時、痛みはそうでもなかったが、パキッと嫌な音がして骨が折れた。
しばらくすると、気をつけをしようとしても、右手が勝手に曲がって上がってくる。腕を曲げようとしていないのに意志に反して勝手に腕が上がってくるのには驚いた。さすがにこれはまずいと思って、職場近くのけっこう大きな病院へ行った。
出来上がったレントゲン写真を見せられながら医者の説明を聞いたのだが、腕というものは普段は内側と外側の両方の筋肉がひっぱりあってバランスがとれているのだが、その筋肉がついている骨の根元が折れてバカになったため、反対側の筋肉だけが引きつって勝手に腕が曲がるのだ、という。そして診察後にその医者が口にしたのは、「複雑骨折ですね。手術して2週間ほど入院が必要です」というショッキングな言葉だった。社会人1年生としては、せっかく仕事を覚え始めたというのに、2週間も休みをもらうわけにはいかない。しかし、どうしようもなく、会社に戻った私は上司に相談した。すると、「あそこの病院の外科はちょっと・・・。別の医者にも診てもらいなさい」という意外な反応が返ってきた。
次の日は休みをとって、言われた通り外科がウリの別の病院へ行って診断を受けた。「骨折してますね」という医師に対して、「知ってるさ。昨日レントゲンで見たとおり、片側だけ筋肉がひっぱれてるから自動的に腕が曲がるのさ。」と心の中でつぶやいていると医師が言った。
「吊っときゃなおりますよ。」
「は?それだけ??」
「あ、あとギプスとれたら、風呂でよくもんでくださいね。」
その病院を他の同僚の何人かは、「あそこはヤブだ」と言った。が、私は手術も入院も免除され、代わりにギプスで固められたものの、約一ヶ月で骨はみごとにくっついて、完治してしまった。それ以来、私はいっさい病院には行かなくなった。つまり、かかった病院はどっちもヤブということになったし、少なくとも骨折は自力で治るということを学んだからである。
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