第7話 聖霊使いの日常 Ⅱ

 リオンの聖霊魔導学院入学に向けて、必ず行われるであろう実技試験のための特訓を兼ねた修行が始まった。

 これから行っていく修行の内容はただただ単純。

 実戦形式……それ一つである。

 どれくらいの技量を持っているかは、ここ数日の修行である程度理解できていた。

 リオンは基礎的な鍛練法がまず必要だという事。

 剣を振るうのに必要な肉体に育てる事……極限状態でも戦い抜けることのできる精神面の強化と、体力の向上。

 技はその後から教えるしかない。

 というわけで、打ち込み稽古では実戦形式で行っている。

 といっても、いきなり真剣で斬り合うのは無理なので、壊れた宿舎の壁板を一枚ずつとり、それを削って木刀代わりに使用している。

 今ただひたすらにリオンがイチカに斬りかかっている状態だった。



「ほらっ、もっと鋭く踏み込んで!もう一度!」


「はい!やああぁぁぁ!!!」


「っ……!!」



 掛け声と共に素早く踏み込んでくるリオン。

 上段に構えた木刀を勢いよく振り下ろすが、イチカの握る木刀は向かってくるリオンの木刀の側面を叩き、リオンの太刀筋をズラす。



「わわっ?!」


「体勢!即座に修正!」


「っ!?」



 前のめりに倒れそうになるリオン。

 しかし、イチカの声に反応して、リオンは即座に脚を前に出して踏ん張り、腰を回転させて前後を反転。

 振り下ろされてくるイチカの木刀めがけて、自身は横薙ぎに木刀を振るう。



「くっ?!」


「今の状態が不利なら、即座に移動!相手との間合いに注意しながら動く!」


「うぅ……はい!」



 イチカとリオンの体格差では、圧倒的にリオンの方が不利。

 イチカは上段から振り下ろし、リオンは咄嗟に身を翻して放った横薙ぎ。

 体勢からしてもイチカの方が力強く攻められる。

 だからこそ、その窮地から脱する為に、一度仕切り直す。

 リオンは、イチカからの打撃を自身の木刀で受けた状態から片方の脚を一歩引いて半身になり、イチカの木刀を受け流す。

 イチカの圧力から逃れ、リオンはすぐに後ろへと飛び退く。

 追撃に気をつけながら、再び木刀を構える。

 ここ最近、イチカから教えてもらった『正眼の構え』というやつだ。

 腰は低く、相手の動きに合わせてすぐに動けるようにすり足で動く。



「すぅーーふぅーー」



 大きく息を吸い、吐くのと同時に木刀を握りしめるリオン。

 それに対して、イチカも木刀を右手で握りながら、左脚を引いて半身に構える。

 二人の放つ戦いのオーラが、その場を静寂に包んでいる。

 そして、その静寂を破ったのは、リオンの方からだった。



「やああああっーーーーー!!!」



 しっかりと地面を踏みしめて駆けるリオン。

 その勢いは凄まじく、まさに疾風のような勢いでイチカに迫る。

 再び上段に振り上げた木刀をイチカめがけて振り下ろす。

 しかし、その木刀がイチカに届く事はなかった。



「シッ!!!!」


「わわっ?!」



 パンッ!っと乾いた木が打ち合う音が響いて、リオンの体が宙に浮く。

 リオンが斬り込んで来たのに対して、イチカは下段から木刀を一閃。

 リオンが振り下ろした木刀よりも更に速い剣速で木刀が振り抜かれたのだ。リオンはその木刀を真正面から受け、力を流す間もなく吹き飛ばされた。



「あうっ!?」



 弾き飛ばされたリオンはそのまま背中から地面に倒れてしまい、受けた衝撃を身体全体で受けてしまい、苦悶の表情を浮かべた。



「痛つつ……あっ……!」


「……はい、俺の勝ち」



 なんとか起きあがろうとして、上体を地面から上げたところで木刀の鋒が突きつけられている事に気づいた。

 ここ数日、何度も剣を合わせて戦っているが、イチカに対して一本も取れずにいる。



「はぁ……はぁ……また、負けた……」


「さっきはいい踏み込みだったよ。でも突出しすぎてるかな……。

 常に相手の動きに対応できるようにしておかないと、真剣での勝負になれば、そこが命取りになるからね」


「はぁ……はぁ……はい」


「でも驚いたよ。ここ最近ずっと打ち込んでるけど、中々に筋がいい……。

 本当に剣術は教えてもらってないの?」


「はい。私の家は、軍の敷地の近くにあったので、遠目ではあったんですけど、剣の素振りで稽古をしてた人たちを見てて……」


「見様見真似で木の枝を振ってたと……」


「はい。お父さんは、あんまり軍の仕事のこととか、そういう格闘術とかは教えてくれませんでしたから……」



 まぁ、あの子煩悩親バカ親父の隊長のことだ……自身の愛娘が、そんな格闘術や剣術の真似事をしているのを見たら、絶叫して号泣して朝から晩までしつこく相談しに来ていただろうな……。

 そんな映像が簡単に思い浮かんでくるのを、心の中で苦笑しながら、イチカは視線をリオンに再び向けた。



「まぁ、最初はそれでいいんだよ。基礎が出来てなければ、技なんて出せない。

 まずは、その基本の型を反復練習……そしてひたすら打ち込む」


「はい!もう一本、お願いします!」


「あぁ、来いっ!」


「やあああーーーーー!!!!!」



 その日は立て続けに打ち込み稽古を行い、太陽が頂点を過ぎた頃には、何十、何百回と木刀が交錯し、全身から汗が滲み出ていた。

 一応普段から来ている服装ではなく、ミーアが母屋に置いてあった使わなくなった古着をリメイクした麻布のシャツやズボンをリオンも着用して稽古しているが、それでも布に汗が染み込んで気色悪い上に、両掌は木刀を振り続けたことで、皮が捲れて血が滲んでいる。

 一応ガーゼと包帯で補強して振ったりもしたが、さらにガーゼが血の色に滲んでいくのであった。



「はぁ……はぁ……今日はもうこれくらいで上がろうか……。

 もう夕方だし……焦っても体を壊すだけになる……」


「はぁ……はい……」


「その……ごめん、ちょっとハード過ぎたかな……どこか痛めてるところはない?」


「だ、大丈夫……みたいです……その、両手が痛いくらいで……」


「あぁ、マメだね。こればっかりは、剣を習おうとしたら当然できる物だからね。

 これから何回も、このマメが潰れては頑丈な皮になって治って、潰れては治ってを繰り返すんだ」


「うぅ……痛いよぉ……」


「…………正直、君の手は……」


「……はい」


「戦いの中で穢れて欲しくない……と思っている」


「イチカさん……」


「俺も戦争を経験してるし、前線に出てたしさ……君はお父さんのような聖霊魔導士になりたいって言うけど、それは当然、諍いや争いにも巻き込まれるって事だ」


「…………」


「剣はあくまで剣だ。そしてそれを扱う術理もまた、相手の命を奪うことを前提にしてる。

 それを扱う事の意味を、もう一度自分で考えておいて欲しい……。

 たぶん……お父さんも君にそう言うと思うから……」


「はい……」


「……片付けは俺がしておくから、リオンちゃんは着替えてきなよ。

 それから、手のマメはちゃんと水で洗って、ちゃんと包帯をしてね」


「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えて」



 リオンはそう言って、母屋の方へと向かって歩き出し、イチカはリオンから受け取った木刀を宿舎の方へ向かう。

 リオンの握っていた木刀の柄には、彼女の血が滲んでいる。

 それを見ながら、イチカはかつての光景を思い出していた。

 自身も剣に打ち込み、両手の皮が破れ、震えながらも剣を振り続けた日々を……。



ーーーーーーーー



「オラッ、腰が入ってないんだよっ!もっと打ち込んで来いッ!」


「うぐぅっ!!?」


「なんだなんだっ!それでも男か、お前はっ!」


「チィッ!!」


「アッ!舌打ちしやがったなっ!テメェ!」


「うるせぇ!うおおおっーーーー!!!」


「師匠に『うるせぇ』とは何事だぁーーーー!!!」


「ぐわぁっ!!」


「この野郎ぉ……さっさと来ないか!千本連続打ち込みだ!」


「クッソォーー!!!」



ーーーーーーーー




「はぁ……我ながら、よく生きてこれたもんだよ……」



 地獄のような……と表現する言葉は数多くあるが、あの頃はまさしく地獄だと思った。

 毎日毎日木刀を振り続け、時には真剣を持って打ち込み、毎日毎日返り討ちに遭った。

 体中に打撲痕や切り傷が絶えなかった。

 幸いだったのは、骨を折るような重傷はほとんど無かったくらいだろうか……。

 ご飯もちゃんと食べれてはいたし、寝床も簡易ではあったが、ちゃんと確保できていたし……。

 ただ……本当に死ぬかと思った……それだけだ。



(もっと別の鍛練方法にした方がいいのかな……?あのくらいの女の子に、どうやって剣を教えればいいのか……)



 自分は男で、師匠もガサツな性格だったから、今のような実戦形式の打ち込み稽古しかしなかった。

 しかし、相手がか弱そうな女の子の場合……やはりそういった鍛練方法では、体を壊すだけではないだろうか?

 このまま続けて、一生残るような傷をつけてしまっては、世話になったギルベルトに申し開きもできない。

 しかし、自分がこれ以外の鍛練方法を知ってるわけもなく……。

 どうすればいいのかと、ここ最近の悩みの種だ。



「はぁ……ガサツ師匠に、今度文句を言っておかなきゃな。

 まぁ、そもそもまた出会えたらの話にはなるけど……」



 イチカは大きくため息を吐いて、木刀の柄を持っていたタオルで拭いてから収納した。

 これからは、色々と考えながら、鍛練していかなくては……。

 まだまだ自分も未熟であるため、教えられる事なんてあまりないが、これもまた、自らに課される修行なのだと思い、イチカは母屋の方へと向かった。

 一方その頃、リオンの方は……。



「うぅ〜〜っ……沁みるぅ〜〜っ!!!」


「ほら動かないの。もう少しで終わるから、そのまま」


「は、はい〜〜……!」



 母屋の方で待っていたミーアが、替えの包帯と井戸水を汲んで入れておいた桶を準備しており、まずは付けていた包帯を捨て、水で手を洗う。

 しかし、外皮が捲れて露わになった中部にある柔肌は、水に触れた途端にビリビリジンジンと刺激を発する。

 その痛みに驚き、震えながら手を洗わなければならないのだ。



「うう〜〜っ……痛い……!」


「ちゃんと消毒しておかないと、バイ菌が入っちゃったら大変なんだから……!」


「はいぃ〜〜、で、でもぉ〜〜……」


「それが終わったら、ちゃんとお薬塗って、新しい包帯を巻いときましょう」


「お、お薬っ?!」


「切り傷なんかにはよく効くから!これを塗ってれば、早く傷も塞がるって評判の薬なのよ」



 切り傷に薬。

 その大半は傷口に塗り込むやつで、そしてその多くが結構沁みる。

 リオンも幼い頃に、庭で遊んでいたときに転んでしまい、膝に傷を負ってしまった事があり、慌てた父・ギルベルトが、よく効く塗り薬を膝に塗ってくれたのはいいのだが、あまりの激痛に逆に泣いてしまったという過去があった。

 その時のトラウマか、塗り薬に対してあまりいい印象がない。



「えぇ……どうしても塗らないとダメですか?」


「ダメよ。そのまま放っておいたら、治るものも治らないわよ?」


「うう〜〜〜」



 剣を習いたいと言ったのは自分ではあるが、だからと言ってこんなに速く自分のトラウマと接触することになるとは、正直思わなかった。



「それじゃあ一旦タオルで拭いてから、薬を塗っていくわね」


「……はい」



 目の前にいるミーアは淡々と準備を進めていくため、今から「やっぱりしなくていい」とは言いづらく……。

 リオンは観念して、両手をタオルで拭いた。

 よく見れば指と掌の付け根部分の皮が両手合わせて8カ所も捲れている。

 ならば、薬を塗る箇所も同じ数。



「さあ、手を出して」


「…………」


「ほら、速くなさい」


「あ……!」



 どちらの手を出そうか迷っていると、ミーアがリオンの左手を握り薬の付いた筆を近づける。



「あっ、待っーーーー」


「少し沁みるわよ」



 筆先が柔肌の見える箇所に塗られた。

 その瞬間、リオンの全身に電流が流れたかのような衝撃が突き抜けた。



「きゃあああああああーーーーー!!!!!!」



 耳を突き抜けるかの様な絶叫が響き、その後慌ててやってきたイチカがリオンの体を押さえながら、ミーアが薬を塗っていった。

 塗られる度に絶叫し、涙を流すリオン。

 そんなリオンの姿を見て、ちょっと可哀想だなと思い、力を緩めようとするイチカだったが、ミーアから「しっかり押さえてて!」と叱責され、涙目で訴えるリオンの言葉を、心頭滅却で受け流し、イチカはリオンの体を押さえ続けたのだった。



ーーーーーーーー



 それから、さらに数週間の月日が経ち、二人の鍛練は毎朝の日課へと変わっていった。

 イチカがやっていた朝のランニング。

 そこにリオンも加わり、準備体操をしてから、畑の周りを一周。

 そこから打ち込み稽古を行い、朝食の時間になる前に桶に汲んでおいた井戸水とタオルを使って汗を拭き取ってから着替え……そして畑の仕事を手伝ったり、イチカの『なんでも屋』の仕事を共にこなしたりと、毎日が忙しい日々を過ごしていた。



「イチカさん。今日の夜はナボリでお手伝いですよね?」


「うん。店の親父さんが脚に怪我したらしくてさ……厨房を回せないから手伝ってくれって言われたんだ」


「私も一緒に行ってもいいですよね?」


「うん、それはまぁ……。そう言えば、リオンちゃんって、料理は?」


「えっと……料理はあまり経験が無くて……」


「そっかぁ……じゃあ、ウエイトレスだね」


「えっと、サーシャさん……でしたよね、いつもいる女の人」


「うん、店主の娘さんでね。いまグランさんといい感じなんだ」


「グラン、さんは、えっと鍛冶屋さんでしたね」


「そう、グランさんの親父さんとサーシャさんの親父さんは昔馴染みの友人同士で、その縁があって、昔からの知り合いらしい」



 ここ数日で、リオンもイチカの知人たちとは顔を合わせているため、はじめましてではないが、これから一緒に仕事の手伝いをするとなると、また違った緊張感に包まれるのだろう。

 今夜手伝いをしにいくのは、イチカとリオンが出会った場所……食事処『ナボリ』。

 リオンも既に店主である親父さんには顔を見せているため、既に知った顔にはなっているが、出会い方が特殊すぎて、リオンは親父さんを見るたびに赤面して頭を何度も下げた。

 親父さんも特に気にしていないようだし、事情があったのだから、仕方がないと親父さんも納得してくれていたのだが、やはりリオンの気持ち的には、少し気まずいのだろう……。



「制服はサーシャさんが用意してくれるみたいだから、着いたら着替えて、サーシャに仕事内容を教えてもらってね」


「はい。が、頑張ります!」


「そんなに緊張しなくてもいいんだよ?俺もいるし、サーシャさんは優しくて教え上手だし。

 それに、リオンちゃんがウエイトレスだったら、お客さんからの人気が凄そうだから、むしろ応援してもらえるんじゃないかな……」


「そ、そんな……!わ、私は、何もかもが初めてなので……その……」


「大丈夫大丈夫。リオンちゃんは可愛いんだから、普通に接客して、笑顔を見せてれば酔っ払いのオジサン達はすぐに機嫌が良くなるさ」


「か、かわ……?!」



 イチカの突然放った爆弾言葉に、リオンは頬を赤らめて動揺してしまった。

 赤くなって、やや火照った頬を見られまいと、両手で覆い隠し、イチカに対して背中を向けながら悶々としている。



「ん、リオンちゃん?どうかした?」


「い、いえ!何でもないです……!」


「そう?……っと、明日はグランさんの所の手伝いと服飾店のアリエラさんの所の手伝いかな……」


「服飾店の時には、イチカさんは何のお手伝いをしてるんですか?」


「えっと、加工する生地の運搬とかだね。俺は裁縫とかあんまり得意じゃなくて……」


「私もです」



 イチカと話しながら、リオンは自分の持てる特技の少なさに落胆していた。

 料理はほぼ経験なし。

 裁縫などの細かい作業が必要になる物も同様。

 洗濯は昔、父の帰りが遅い時などに、導力洗濯機にまとめて放り込んで、洗剤を入れてスイッチを押せばできたので、洗うのと干す作業はできる。

 あとは掃除くらいの物だろうか……。

 といっても雑巾で水拭きしたり、導力掃除機で埃などを吸ったりなので、正直幼い子供でも教えればできる様なものばかりだ。

 その事実が、改めて現在の自分の能力値なのだと知った瞬間は、少なからず気を落とすものだ……。

 リオンがため息を吐いて、肩を落としていると、不意にイチカに頭を撫でられる。



「ふえ……!」


「大丈夫、最初はみんな同じだよ。俺だって、最初から料理が出来たわけじゃないし。

 これも修行の一つと思えばいいんだよ」


「修行……そうですね。これも修行ですよね!」


「うん。よし、じゃあ今日もお仕事頑張りますか」


「はい!」



 二人の士気は高く、足取りは軽かった。

 学院試験突破までの道のりは、まだまだ長くなりそうではあるが、今は一歩ずつ地道に歩いて行かなくては……。

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