第5話 力の真意
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
怒涛の勢いで謝ってくる少女。
名前はリオン・ストラトス。
今の彼女は、自分が本来寝泊まりしているはずの隣部屋へと戻り、自分の私服を着てきたようだ。
昨日は白亜の外套を身につけていてあまりわからなかったが、彼女が着ている服はやはり帝国がかつて使用していた軍服に似ているような気がする。
色はネイビーカラーで縁を金色にしているが、トレンチコートをベースにしたダブルブレステッドのボタンにカフ・ストラップやケープ・ドバックなど、戦時中の機能性を重視していたデザインはそのままである。
しかし、やはり改造されているところもあり、袖口のカフ・ストラップは白地のレースが施されており、背中のケープ・ドバックは色が違っており白にチェック柄のレースをあしらった物に、また目を引くのは胸元につけられた大きなリボン。
緑と黒のチェック模様のリボンがなんとも愛らしさを際立たせている。
そして下のズボンはミニスカートに変えられており、上着と同じネイビーカラーに白のレースとこちらも女の子向けの様相になっている。
おそらく自前のものなのだろう。
そこに黒のニーソックスにローファーとくれば、もはや良いとこのお嬢様の出来上がりだ。
よくよく考えてみれば、どこかの上級学校に通っているお嬢様にも見える。
そんな彼女が、顔を真っ赤にしながらこちらに何度も頭を下げてくる。
先程の件は自分にも非がある為、そこまで謝られるとちょっとばかり良心が痛んでしまう……。
「あぁ……いやぁ……その、ごめん。自分の部屋だったから、ついいつものクセで……ほんとっ、すみませんでした!」
一方のイチカはというと、謝ってくるリオンに申し訳が立たなくなってしまった為、誠心誠意を込めての土下座である。
地面に正座して、両手を前に伸ばし、頭……強いて言うならば額を地面に擦り付けている状態。
こんないたいけな少女の……ましてや、かつての自分の上司の娘さんに対してなんたる無礼。
もしも元上司である父親がここにいたのならば、自身の得物を両手に握りしめて銃弾をばら撒き、刃物を振り回して襲ってきたに違いない。
無論返り討ちぐらい容易にできるが、暴走した父親を止める方法を知らないので、いつどんな時に命を狙われるか判ったものではない。
(あぁ……隊長が見てなくてよかったなぁ)
土下座しながら安堵の息を吐くイチカ。
それを見ながらあたふたと慌てているリオン。
なんとかイチカに土下座をやめさせようとする。
「イ、イチカさんは悪くないですよ!そ、その……私が寝ぼけてて……!」
「あ……やっぱり、自分で部屋に入ってきてたんだ……」
「はい……ごめんなさい」
リオンが言うには、昨日の夜中の事。
トイレに行こうとして起き上がり、眠気で閉じてしまった瞼を擦りながら、廊下の突き当たりにあるトイレへと向かったらしい。
その後、寝ぼけた状態で廊下を歩いて行き、自分が寝ていた部屋の隣へと誤って侵入。
そのままベッドインしてしまったらしい……。
間違って侵入してしまったとしても、自身の部屋ではないとなぜ気付かなかったのか……それは、ある意味盲点と言わざるを得なかった。
それは……イチカが普段寝泊まりしているのは宿舎であるという事。
元々、ミーア達の家族以外にも畑仕事を手伝ってくれていた人たちが暮らしていた宿舎であるが、それゆえにほとんどの部屋の間取りが同じになっているということ。
テーブルやクローゼットなど、暮らす者たちにとって必要な必需品はあらかじめ備え付けられており、設置場所も大体同じ。
そこに各々が自分の持ち物などを持って、自身の部屋というものが出来上がって行くのだが、これまた盲点であり、イチカの部屋には最低限の物しか置いていなかったのだ……。
隣で寝泊まりする予定だったリオンの部屋と比べても、多少物がある……というだけの部屋であるため、リオンが寝ぼけながら入った時点で自室を見分ける事など出来なかったのだ。
しかし、疑問に思うことはある。
自分の部屋ではないと気づかなかったのはわかるが、ベッドに入った時点でイチカが既に寝ていたのだから、その時にでもわかりそうな物なのだが……?
それをリオンに追求してみると……。
「あの……ごめんなさい。私、ずっとお父さんと一緒に寝ていたもので……。
つい、昔と同じ様に入ってしまって、そのまま気づかなかったんです……」
赤面しながら教えてくれるリオン。
幼い時に母親を亡くし、それ以来ずっと父親であるギルベルトにくっついていたらしい。
まぁ、小さな子供ならば、それくらいは普通である。
彼女もまだ13歳の幼い少女なのだ……これくらいは別になんともない。
しかし…………。
(あの胸部は13歳とは思えないんだよなぁ……)
発育が良いにも程がある……。
そう思わざるを得ない彼女のプロポーションは、一体どういう生活をすればあぁなるのか……?
親の遺伝もあるだろうから、一概に私生活だけども言いづらい。
だが、だからこそ彼女自身の身にも危険が及ぶ可能性がある。
いくら昔の癖だからと言って、誤って男の部屋にでも入ろうものなら……。
「…………」
「あの……イチカさん?」
「リオンちゃん。少しずつでいいから、一人で寝れる様になろうな?」
「は、はい!ご、ごごごめんなさい!」
「いや、今回の事は……まぁ、俺にも非があるから、もう大丈夫だよ。
ただ、これからのことを考えると……ね?」
「うぅ……」
どうやらこちらが言いたい事は、ニュアンス的には理解してくれた様である。
まぁ、まだ13歳だし……父親の温もりが欲しかったのだろう……。
彼女の父、ギルベルトが亡くなったのが終戦の時だったとするならば、おそらく4年前……彼女はまだ9歳だったのだから……。
それから一人で生きていくことになったと思うと、イチカだって少々思うところはある。
「ま、まぁ、とにかく!これでおしまいにしようか。
このままじゃあ、ずっと謝ってばっかりだし……ね?」
「は、はい……」
お互いにもう一度頭を下げて謝罪して、その場は収まった。
さて、問題は後始末だ……。
隣に視線を向けてみれば、無惨にも破壊されてしまった宿舎の壁。
木造建築であるが故に年季の入った壁板はバラバラに散らばっており、また新しい壁板を釘で打って補強しなくてはならない。
あとは窓ガラスだ。
辺りに散っている破片を回収して、クロエたちが触らない場所に処理しなくてはならないし、代わりのガラスを職人に発注しなくてはならないだろう。
帝国が滅んでからは、窓ガラスの着いた個人宅の普及もめざましい為、今やガラス職人たちも大忙しであるだろう。
なので、今から依頼するとちょっと時間がかかってしまう……。
(とりあえず同じ壁板で補っておくか……)
リオンにガラスの破片をできる限り集めて欲しいとお願いして、イチカはまず小型収穫機の様子を見ている。
宿舎の壁は、とりあえず何か布状のもので覆っておいて、これ以上木片やガラスが落ちない様にしておけばいい……。
なのでまずは、ガウスの依頼である収穫機を調査する。
これから先、収穫に向けて忙しくなる為、出来る限り仕事を残さない様にしたいし、何よりガウスとミネは高齢である。
本人たちは、気持ち的にはまだ若い者に負けてないと言い張るだろうが、やっぱり年齢にはそれ相応の能力低下が見受けられる。
力仕事なんかは、出来る限り若手である自分がやっておきたいのだ。
(レバーの挙動に問題はない……キャタピラ部分は……ちょっと緩んでるかな?
あとは刈取部分と連結している搬送ベルトの張り……油の切れは……)
自室にあった工具箱からレンチやドライバー、スパナなどを取り出して、収穫機のパーツを一つずつ取り外していく。
緩んでいるネジやナットを閉めていき、外に置きっぱなしにしている為、サビなどで汚れているパーツには、油を塗布して布で擦って油を広げていく。
その過程を一通りやってから、今度はパーツを元に戻していく。
「ふぅー……これでダメなら、専門家に任せるしかないんだけどね……」
元々帝国軍に従軍していたイチカでも、機械の手入れは人並み程度しかできない。
自身の知識として知っている物ならばなんとか出来るが、それ以上ともなるとどうしようもない。
だが、ここアルトランテ自治州にも帝国軍に所属していた者たちが少なからずおり、中には自導車の製造にも関わっていた者たちもいるので、そう言った機械関係の仕事を生業にして生計を立てているのだ。
「よし、一旦起動させてみるか……!」
パーツをすべて付け終わり、余った部品や外れている物がないかを確認して、収穫機を起動させて見る。
操縦する為の座席へと座り込み、目の前にある円形のパーツに視線を送る。
手を伸ばせばすぐにでも握れる位置にあるそのパーツは『ハンドル』……収穫機の方向転換や操作に必要なパーツである。
さらにその左隣にあるのが前進後退を可能にする駆動部のレバー。
ガウスが何か引っかかる様な感じがすると言っていたが、レバー部分と繋がっているパーツの関節部に油を差してみたが、どうだろうか……?
「リオンちゃん、ちょっとこいつを動かすから、気をつけてね」
「あ、はい!」
収穫機の近くでガラスの破片を集めているリオンに一声かけておき、イチカは収穫機の導力を起動させる。
起動部はスイッチ型になっており、赤いボタンを押した瞬間、車体が小刻みに震え出して導力炉の起動音が響いた。
続いて操縦席の左隣にある二本のレバーを動かして見る。
レバーそれぞれの根元には『前進』『後退』……そして『標準』『加速』『減速』といった文字が書き込まれており、イチカはそれぞれのレバーを『前進』と『標準』の位置まで動かした。
すると収穫機は前方へとゆっくり進んでいき、宿舎と母屋の間をゆっくりと走行する。
(うーん、見た限り違和感はないな……)
順調に走行しながら、またレバーを動かしてみて、今度は『加速』にしながら、目の前にあるハンドルを左に切る。
するとそのまま先程よりは速いスピードで左に曲がっていく。
(方向転換に異常なし……変速の切り替えもスムーズ……)
最後に『減速』と『後退』の位置にレバーを動かして、またハンドルを切って元の位置に戻る。
それが終わると、イチカは導力炉……エンジンの電源を切った。
「よし、問題なし。多分これで大丈夫だろう」
専門家ではないため、あまり入念な手入れやメンテナンスは出来ないが、動かした限りだと違和感は感じられなかった為、治ったと見ていいだろう。
これでまたしても故障するならば、今度こそ本物の専門家に任せるしかないが……。
「さて……ぁぁ……どうやって治そうか……」
収穫機から降りて、背後に振り向く。
イチカの目の前に映ったのは、大きな穴が空いた宿舎の壁だ。
今その付近でリオンがガラスの破片を集めてくれているが、大小含めて見るとかなりの数が散らばっている。
リオンには箒と塵取りを渡しているため、手を切る心配は無さそうだが、いかせん量が多過ぎる……。
「リオンちゃん、そっちはどうーーーー」
「はい、だいぶ集まりましたよ」
イチカがリオンの方へと視線を向けると、ある意味驚愕の光景が見てとれた。
リオンの足元に、大量のガラス破片が集まっていた……それも、ガラス破片だけで、小さな塵の山を築いていた。
「ぁ……」
「あの、どうかしたんですか?」
「いや、よくそんな綺麗にガラス片だけを集められたなぁーって……。
だってここ、砂地だし、ガラスと砂が混じってるから、破片だけを集めるなんて、難しすぎるはず……」
「あぁ、それはですね?」
そう言うと、リオンはゆっくりとイチカに近づいて行った。
どうしたのかと首を捻るイチカだったが、そのイチカの顔を、優しいそよ風が吹き抜けていった。
「っ?!まさか、風を使って……?」
「はい。私には、風の聖霊さんが宿っているんです。
ガラスは、砂に比べると多少重いので、少し風を吹かせると砂の粒だけを飛んで行って、破片だけが残るんです」
「いや、しかし……」
理屈はわかる。
たしかに、砂一粒の重量はかなり小さい。
昔、帝国で兵器開発のための研究機関に勤めていた人に興味本位で話を聞いてみたが、砂一粒の重量は1マイクログラム……だそうだ。
正直グラムやミリグラムの単位しか知らなかったため、その下があるのかと知った時は驚いたものだ。
そして、ガラスの重さだが、詳細な事は専門用語ばっかりでわからなかったが、比重は2.5……と言う事はわかった。
つまりは、砂が1に対してガラスが2.5……という事が言えるわけで、砂よりもガラスの方が重い。
だがそれは、大きなガラス板などで重量を調べる時にわかったものであり、それを砕いたガラス破片の重さなんて、肌感覚で調べたところで大差ない様にも思う。
ましてや小さく目に見えるか見えないかレベルにまで砕けたものなんて尚更だ……。
「よくそこまで破片を集めれたもんだ……っていうか、聖霊の力……霊力を使って集めたにしてもこれは……」
彼女の聖霊は『風』。
霊力で風を発生させ、それを周囲へと流し、ガラスよりも軽い砂粒だけを吹き飛ばして、破片を採取しているのだ。
言葉で言うのは簡単だが、それをやるには精密な霊力のコントロールが必要となってくる。
少しでも加減を間違えれば、砂粒は舞わないし、逆に強すぎてしまえばガラスの破片もろとも吹き飛ばしてしまう。
風の強さだけでなく、流れにも気を遣っているはず……それを13歳の少女がやっている……。
「これほどのコントロール……一体どうやって……」
「あぁ……私、お父さんとの約束で、あまり家の外に出ない様にって言われてて……。
それで、お父さんが仕事から帰ってくるまでは、ずっと家の中か、庭でしか遊んだことがないんです……」
「まさか、その時に?」
「はい……遊び相手もいなくて、ずっと本を読んでるか、時々飛んでくる小鳥を眺めたり、餌をあげたりしてました。
そんな時、私の中にいる風の聖霊さんと一緒に遊んだりもしてたんです」
聖霊が遊び相手……。
元々は別々に存在していた聖霊と人類。
それが融合して生まれたのが聖霊使い……後の聖霊魔導士だ。
故に、聖霊には独自の意思が存在し、大昔ならば聖霊と人は会話すらも可能だったと言われている……しかし、現代ではその様な話は全く聞かない。
時代が進むとともに、聖霊と人の在り方も変わってきている……その結果なのだと思う。
「それは、リオンちゃんは自分の聖霊と話ができるって事なのか?」
「いえ!そんなお話はしないんですけど、私がこういう風を吹かせたいとか、紙飛行機をもっと遠くに飛ばしたいって思うと、聖霊さんが力を貸してくれるんです。
それで昔、小鳥達が喧嘩しているのを見て、やめさせようと思って、聖霊さんにお願いしたら、優しい風を撃ち出してくれて、喧嘩を止めた事だってあるんですよ♪」
「…………」
自慢げに話すリオン。
俄には信じがたい出来事。
しかし、彼女の言葉に嘘は感じられなかった。
「なるほど……君は聖霊との感受性がとても強いのかもしれないね」
「感受性……ですか?」
「あぁ。稀にそういう人がいるっていうのは、聞いたことあるんだ。
聖霊が人と一体化した事によって、聖霊の意思も感じ取れる様になる……その逆も然り。
聖霊の方が宿主の意思や感情に反応する事もあるみたい」
「そうなんですね……」
そう言うと、リオンは自身の胸元に右手を添える。
そこには、聖霊使い……聖霊魔導士としての証である《聖霊紋》と呼ばれるものがある。
《聖霊紋》とは、聖霊をその身に宿している者の体のどこかに刻まれている紋章。
そこに刻まれている模様はさまざまでありながら、霊力を流すと紋章は強弱はあるが、発光する。
その時の色は、それぞれの属性の色によって分けられている。
火属性ならば赤系統。
水属性ならば青系統。
風属性ならば緑系統。
土属性ならば茶系統。
リオンは風の聖霊使いであるため、鮮やかな翡翠色に光っていた。
父親であるギルベルトも聖霊魔導士であり、彼の聖霊は『灯影』だった。
影を作り、その中に沈んで隠れたり、影による分身体を作ったりして相手を撹乱させる能力を持っており、聖霊紋の輝きは黒緋色に光っていたのを思い出す。
聖霊を宿す人の性質は、必ずしも同じとは限らないらしい。
現にギルベルトは『灯影』の聖霊であり、リオンは『疾風』の聖霊で、その性質も能力差も段違いである。
中には一族全員が火属性の家や、水属性だけと言った家もあるだろうが、基本的には性質や属性の縛りはない様だ。
さて、話は戻るが、リオンとその身に宿った聖霊との感受性は、どうやらかなり高い方である。
一般的には聖霊の力を行使する事で、力を向けている相手になんらかの変化……つまりは攻撃を仕掛けて、相手を吹っ飛ばしたり、ダメージを合わせたり、最悪の場合だと死を招く様な危機に陥れたり……。
それからもう一つ、自分自身に対して力を向けて変化させる……自分の身体能力を強化したり、相手からの攻撃に対しての防御であったりと、初歩的な使い方をされていることが多い。
だが、感受性が高い……つまり、自身の聖霊との相性や聖霊に対する理解度が高いと、この初歩的な能力の使用レベルが格段に違ってくる。
同じ攻撃でも全員を死なせるか、たった一人だけを死なせることが出来るか……。
自身の身体能力を向上させる能力で、身体全身を強化するのと、一部を強化するのか……など、緻密性・精密性という物が上がってくる。
(リオンちゃんは既に、その域に達しているのか……!)
13歳の少女が、庭で遊んでいただけでそれらの技術を習得できた。
それはある意味意外……というか異常な事だし、凄い事でもあるが、聖霊との感受性の向上は必ずしも緩やかとは限らないのも事実。
突然何かのきっかけに、能力を跳ね上げた聖霊魔導士もいると聞いた。
それに、リオンの聖霊は風……。
その能力ゆえに、攻撃・防御などの一定の縛られた能力の行使ではなく、自由に思い描いた通りに能力を使用した事で『疾風』の聖霊の能力を知らない内にその身で覚えたという可能性もある。
「ほんと、大したもんだよ……。そのレベルで風をコントロールできる人なんて、そうはいない……」
「そ、そうですか?えへへ……」
イチカから褒められたのが嬉しかったのか、頬を少し赤らめて、自分の頭を撫でる。
だが、対照的にイチカの表情は暗くなっていく。
「でもリオンちゃん……こういう事は、あまり言いたくはないんだけど……」
「はい?」
「その聖霊の力は、ここであまり使わない方がいいかもしれない」
「え?」
真剣な表情で告げるイチカ。
その言葉にリオンは少しだけ不安になった。
「どうしてですか?」
「リオンちゃんは、帝国という国がどういう国か……知ってるかい?」
「ぁ……」
イチカの言葉に、リオンはハッとした表情で答えた。
そう、元々帝国という国は、長年聖霊という存在を疎んでいた過去を持つ。
聖霊がその身に宿った人物と宿らなかった人物……この二つの存在には、その後大きな格差が生まれてしまった……。
聖霊の能力は千差万別……現代の聖霊魔導士であっても、かなり有能な聖霊とそうでない聖霊とで分けられているが、まだ聖霊という存在が身近でなかった昔は、“聖霊を宿した” という事実だけで、他人とは違う存在になっていった。
それはそのはず……人の能力を超えて、人智では考えられない超常現象を生み出す能力だ。
当然、それに対抗できる存在もまた、同じ聖霊を宿した人種……聖霊使いのみ。
「帝国という国ができた由来……もうだいぶ年月が経ちすぎて、本来の理由は定かじゃないけど、おそらくは“聖霊を宿した者たちとの決別”……だったと思う」
「…………」
「聖霊の力は、大なり小なり人々の間に影響を及ぼした。
それを善意を持って扱うならいいけど、無論……悪意を持って扱う奴だっている。
リオンちゃんの使い方は、俺から見ても、間違いなく善意……そこに悪意はない……けれど」
他の人間が見て、悪意だと感じる奴もいる。
そう、それが戦争の始まりだった。
聖霊使いを人類の脅威だと誰かが騒ぎ始めた……実際に、聖霊の力の行使よって、事件や事故などが多発していたという記録も残っている。
無論、そこには無理やり聖霊使いの個人的な理由による事件の発生……と嘯く輩もいたし、民衆を扇動するように噂を流した輩もいる。
だがその全てが事実ではないし、中には事実だったというものもある。
そこからは、無能力者達による聖霊使いの迫害が始まった。
それらの迫害から逃れて、聖霊使い達の集まりが増え、それが村になり、街になり、国家となった……それが今の聖アルカディア王国だと、軍にいた頃に習った史実。
そして、その王国に対抗すべく、聖霊の力以外で相手を倒そうと画策し、技術革命による成長で大きくなったヴァルトヘイム帝国。
その二大国の戦いは、結局のところ王国に軍配が上がり、帝国は消滅……皇帝とその配下、軍の上層部連中の首が切られたとイチカは終戦後に聞いた。
帝国が滅び、今やアルトランテ自治州と名を変えたこの場所も、だんだん帝国の雰囲気を消しつつある。
しかし、だからといって人々の心情までもが変わるとは限らない。
実際に戦時中でも、聖霊魔導士による攻撃で被害を受け、身内や大切な人を亡くしたという人たちもいるのだ……そんな人たちが、聖霊使いを目にしたら、それは当然……。
「君がそう言った卑劣な人間ではないって事は、昨日会ったばかりの俺でも分かっているつもりだ……。
けれど、俺はともかく、他の人がどう思っているかは、俺にもわからない……」
「…………」
「聖霊は君にとって大事な友達かもしれないけど、そういう風に思わない人も、中にはいるだろう……だから、ここでは極力使わない方がいい。
それが君の身を守ることにもつながる……」
「…………はい」
リオンも、一応は納得してくれたみたいだ。
見たところ、表情は曇っている……それもまぁ、その筈だろう……。
自身にとっては当たり前の力……誰かを傷つけるつもりなんて毛頭ない……しかし、その力は確実に人を傷つけることができるほどに強い能力だということも事実……。
そうだ……まだ一般人の聖霊魔導士に対しての認識が、変わったわけではない。
たとえ善意で力を使ったとしても、それをよく思わない人たちが現れて、リオンの事を忌み嫌い、迫害する様なことがあれば、必死に守ってきた父親……ギルベルトに顔向けできない。
「でも……お父さんは……」
「ん……?」
曇っていた表情のまま、俯いていた顔をあげるリオン。
「お父さんは言ってました……聖霊さんの力は、決して人を傷つけるための力じゃないんだって……!」
「……ギルベルトさんが、そう言ってたのか?」
「はい……!」
ギルベルトだって聖霊魔導士だった。
戦場では『灯影』の霊力を使い、手持ちの武装であった『破時雨』と帝国製32式短機関銃
性格的には軍人っぽくない、どこにでもいそうな子煩悩オヤジだったが、戦場では頼もしい存在だと常々思った。
抜け目なく、頭のキレる曲者……敵対していた王国の兵士たちからは『鷹』という通称で呼ばれ、一層の警戒を敷かれていた。
そんなギルベルトが娘に言った言葉……“聖霊の力は人を傷つけるためのものじゃない”……。
では、一体……。
「じゃあ……聖霊の力は、何のための力だって言ったの?」
「……守るため」
「守る……?」
「そうです!大切な人やその家族を守るための力なんだって、お父さんは私に教えてくれました!」
「守るための……力……」
「お父さんいつも言ってました……本当は、戦争なんかに聖霊の力が使われるべきじゃない。
聖霊の力は、もっと人の役に立つし、もっと人の命を救える凄い力……それを、命を奪うために使うのは一番やっちゃダメなことだって……」
「…………」
リオンの言葉に、イチカの脳裏は過去の光景を思い起こさせた。
それは、第07部隊として作戦行動をとっていた時の事……四人しかいない小隊でありながら、順調に任務をこなして来ていた頃。
ある日、夜に一人でタバコを咥えて黄昏ていたギルベルトを見つけ、話しかけた。
その日に行った任務……その反省点と今後の対応、それぞれの聖霊の特徴を踏まえた新たな作戦の確認……。
当時12歳の子供と話すべき内容ではないだろうと言いたくなる様な話を、二人でよくしていたものだ。
ーーーーーーーーーーーー
「は?俺たちの力の真意?」
「そうだ……俺たちの力は、何のためにあると思う?」
そんな突拍子もない話題を振られて、何を急に……と思ったが、いつも冗談ばかり言うギルベルトとはちょっと雰囲気が違っていたため、イチカもその時は真剣に考えた……が。
「さぁな……俺たちに聖霊の意図が分かるわけないだろう。
聖霊使いはある日突然生まれる……そりゃあ、聖霊使いの子供に、聖霊が宿る確率が高いというのは聞いたことあるけどさ……いきなり聖霊が宿りました、何の意味があってでしょうかと言われてもなぁ……」
イチカの言葉に、ギルベルトも「だよなぁ〜」と答えるだけだった。
そんなもの、初めから分かっていたのなら、王国と帝国は戦争なんかしていなかったかもしれない……。
そもそも帝国内にいる聖霊専門の研究者達ですら、聖霊が人間に宿る仕組みを解読できていないのだ……それを12に子供が分かるはずもない。
そういう風に思っていると、ギルベルトはタバコの煙を吹かせて、話し出した。
「まぁ、俺が思うにはな……聖霊ってのは、人の意思に反応して、力を貸してくれてるんじゃないのかって思ってな……」
「人の意思?」
「あぁ……。こうしたい、こうなりたい……っていう純粋な想いを、聖霊の方が汲み取って力を貸している……最近だと、俺はそう思うようになったよ」
「何でそう思ったんだよ?」
「さぁ〜てねぇ……やっぱぁーうちの愛娘と愛しの嫁さんがいたからかねぇ〜」
「……なんだよ、結局いつもの惚気か?」
「ちげぇーよ。だからよ、素直にそう思ってしまったんだよ。
特に、娘が生まれてからはな……」
「…………」
「嫁さんと出会った頃も、娘が産まれた頃も、どっちも日頃からやってる単なる小競り合いが増長してよ……。
小競り合いが軽い戦争状態になってたんだわ……そんな時に当時まだ結婚してなかった頃の嫁さんに言われたんだよ……」
「……なんて?」
「“どうして貴方が戦わなくちゃいけないの?”……てさ」
「…………」
その後、ギルベルトは後に結婚し、生涯の伴侶ともいうべき相手である嫁さん……カーシャ・ストラトスとの話を語ってくれた。
そもそも軍人らしくないと普段から言われていたギルベルトが、聖霊魔導士であるという理由だけで前線に引っ張られている事にも、カーシャは納得していなかったようだ。
まぁ、たしかに……大事な恋人が、いつ死ぬかわからない様な場所で、常に戦わなくてはならないなんて知ったら、そう思うのも分かる。
ましてや、その聖霊を身に宿した聖霊使いを排斥したいと考えていた帝国軍に身を置く聖霊魔導士という、矛盾の存在……イチカ達を含めた《特殊作戦群》と呼ばれる部隊の軍人たちは、帝国の内外で多くの敵を持っていた存在でもあった。
当然、当時ギルベルトと付き合っていたカーシャは、そんな矛盾している状態のギルベルトたち聖霊魔導士の待遇や軍務活動を良しとは思っていなかった。
「俺たちの私生活は、最低限は賄ってもらっているが……多分、敵国である王国の方が、俺たちよりもより待遇はいいだろうな……」
「そりゃあそうでしょう……帝国は聖霊の事を良く思ってないし。
それを宿している俺たちは、どう考えても敵としての印象の方が強いだろう」
「でもよ、お前はそこまで知った上で……なんでまだこの部隊にいるんだ?」
「なんで……ねぇ……」
剣を教えてくれていた師匠が突然いなくならなきゃ、自分だって帝国に身を置く事なんてなかったんだが……。
でも確かに……言われてみればそうだ。
何もずっと帝国に従軍している必要はない……。
王国の方が待遇は良さそうだし、亡命するのだって一つの手だ。
でも、今更そんな事しようとも思わない。
「今更そんな事言われても……」
「俺や他の二人の事を気にしてるのか?」
「……うーん……どうなんだろう?」
「そこは“そうかも”って言ってくれよ……」
「誘導尋問じゃねぇんだよ……でも確かに……レオとクレアの事……見捨てたくないのかも……。
あの二人を裏切りたくないって思ったわ……」
「いや俺は?一応隊長だぞ、俺……」
「あんたには嫁と娘がいるじゃんか……大事な家族が……」
「……あぁ、まぁそうだな」
何の気ない会話。
でも、それが答えだったのかもしれない。
両親が幼い頃に死んでしまい、天涯孤独の身となって、通りすがりの規格外女剣士に拾われて……それから全く血の繋がりも面識もなかった部隊のメンバー達と、互いに命を預け合いながら生きていた。
いつ、誰が死ぬかわからなかった頃……昨日まで笑い合っていた者たちが、日が明けると居なくなっていた……なんて事は日常茶飯事。
常に死と隣り合わせの戦場で、余計な感情を切り捨て、敵を屠ることに全力を注いできた……。
だからこそ、時々思う事がある……何のために強さを求めたのか……を。
だが同時に、少しだけ……その問いに気づけた様にも思えたのだ。
(そっか……俺、いまの関係に満足できているのか……)
命のやり取りを続ける中で、それでも戦いを続ける理由……それは、いまの関係……部隊の仲間を、誰一人として欠かさせたくないという思いがあるからなのだと……ふと思った。
目の前にいる白髪のオッサンは、いい加減で、怠け者で、仕事もすぐサボるという軍人ではあまり良くない傾向の人物ではあるが、それでも仲間思い……いや、どちらかと言うと子煩悩だろうか?
部隊にあるイチカ、レオン、クレアは皆10代の若者ばかり……。
そんな自分達のことを、ギルベルトは“自分の子供のようなものだ”と以前誰かに言っていたらしいが……。
「そっか……そうだったのか……」
「ん?なんか言ったか?」
「いや、俺の戦う理由を……いま一度認識し直した……って感じただけだよ」
「ほう?して、その理由とは?」
「言わねぇよ」
「なぁんだよ!言ってくれたっていいだろう〜?同じ隊の仲間なんだしよぉ〜!」
「ぬぇいっ、寄るな!抱きつくな!気持ち悪い!」
「ぐふぇっ?!」
過剰なスキンシップはおそらく娘さんの影響だろう。
イチカはギルベルトの顎に掌底を打ち込んで、ギルベルトを昏倒させた。
といっても、多少怯ませるくらいなので、大したダメージにはならないが、ギルベルトはヨロヨロとその場に倒れては、ニヤニヤしながらこちらを見て笑う。
「なんだよ?」
「いやぁ〜?青春してるなぁーって思ってよ」
「何が青春だよ……それならもっと楽しい青春を過ごしたいね」
ーーーーーーーーーーーー
そんなたわいもない話を思い出した。
考え事をしている時の癖か、イチカは両眼を閉じて微動だにしていなかった。
それがかえってリオンを不安にさせたのだろうか、リオンはまたしてもあたふたしながらこちらを見ていた。
「あ、あのっ、イチカさん?」
「ん……あぁ、ごめん。ちょっと考え事をしていたんだよ」
「そ、そうなんですね……私、てっきりイチカさんを怒らせちゃったのかなって……」
「あぁ、ごめん!そんなつもりじゃなかったんだ……ほんと、ごめんね?」
どこまでも純粋で優しい子だと思う。
そんな子が、お父さんの跡を継いで、聖霊魔導士になりたいと言う……。
今はもう戦争なんて無いに等しいが、未だになんらかの火種は燻っている。
リオンがそんな争いに巻き込まれるのは、自分はもちろん、ギルベルトだって願い下げのはず。
ならば……自分のやるべき事は……。
「まぁ、そのなんだ……その力の真意はともかく……悪戯に聖霊の力を使わない事……それだけは約束してほしい。
俺も……たぶん、ギルベルトさんも……君が争いに巻き込まれるなんて事、望んじゃいないと思うから……」
「は、はい!ごめんなさい!その……」
「いいよ、別に……でも確かに……守るための力……だしな」
イチカの言葉に、リオンは安心したように笑った。
その後、畑から戻ってきたガウスとミネが宿舎の惨状に驚き、理由を問いただされた挙句に、リオンと二人でみっちりと説教を受けたのだった……。
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