第30話 明かされる真実
美術館の外に出た頃には、辺りはすっかり夕方になっていた。
いやぁ~! まさかあの時代から差分イラストの発想があったとはなあ!
昔の人の妄想力には舌を巻くぜ!
時を超えて変態同士で握手し合えた、そんな気分だ!
「まあ、本当にそういう意図があって描いたかは定かではないのだけどね」
「いーや、あれは絶対そうだって! だってすっげえエロかったもん!」
清美の言った通り、あの絵画以降に描かれた裸婦画はちょっと趣向が違っているように思えた。
なんていうか、生々しい。
それでいて悪魔が出てきたり、野外に追いやられてたりするシチュエーションとかもあって、「今も昔も、考えることは同じなんだなあ」なんてことを思った。
「楽しんでもらえたのであれば、何よりだわ」
「悔しいけど、お前の知識のお陰だよ。ほんとすげーよな、お前のエロに関する知識量」
「これくらいは――」
「一般教養、なんだろ?」
俺が引き継ぐと、清美はくくっとおかしそうに笑って頷いた。
こうやって何も喋らなきゃ最高に美人なんだけどなあ……。ほんともったいねーよなー……。
「征一君。私、お手洗いに行きたいのだけれど……」
「ん? ああ、行って来いよ。結構並んでたぞ」
「できれば待ってる間は、私が用を足してる姿を想像して楽しむ以外のやり方で時間をつぶしておいてくれるかしら」
「まかり間違ってもそんなことはしないから安心してさっさと行け」
ため息をつきながら、清美を見送る。
まったく、口を開けば下ネタばっかりっていうのが、つくづく悔やまれるぜ。
どーんと目の前に建った煉瓦造りの美術館を眺めながら、俺はふと、当初の目的を思い出した。
裸婦画展が楽しくて忘れてしまっていたが、そもそも俺たちは玲愛に――清美に言わせれば「嵌められた」のだった。
その真意を探るというのが、当初の目的だったわけだけど……。
「結局、何だったんだ……?」
そう独り言ちた時、
「あー、お兄さん!」
聞いたことのある声が耳に飛び込んできた。
声の方向に視線を向けると、おさげをぴょこぴょこと揺らしながらこちらに走ってくる少女の姿があった。
「瑠宇か。また会ったな」
「ですねー、びっくりです! もしかして、お兄さんも裸婦画展に?」
「ああ。色々あってな」
「お兄さんも年頃ですもんねえ」
あ、これ年下に言われたくないセリフトップ3には入るな。
「お前も見に来たんだろ。ませてんな」
「私は知り合いのお姉さんに連れてきてもらったからいいんです。保護者同伴ですから」
ふうん、そうなのか。中学生を連れてくるには、ちょっとハードルが高い気もするけど。美術に関心がある子なのか?
「俺だって一人で来たわけじゃないぞ。友達が来られなくなったから、その代理できたんだよ。清美も一緒だ」
「えっ! 本当ですか!?」
瑠宇はぴよんと一つ跳ねて、体を上下にゆすった。
「いいないいなー! 桔梗屋先輩と一緒に見られるなんて!」
「そんなに羨ましいか?」
「もちろんですっ!」
目をキラキラと輝かせて、瑠宇は言った。
「なんて言ったって、桔梗屋先輩は『王』ですからね! こういう場所に連れてきてもらえれば、いろんなことを教えていただけるに違いないのです!」
また出た。
王。王……ね。
ぶっちゃけただの先輩後輩の呼び名にしては、随分と仰々しい名前だと思う。
この際だし、ちょっと聞いておくか。
「この前から気になってたんだけどさ、その『王』って呼び方は、一体何なんだ?」
俺が問うと、瑠宇はきょとんと首を傾げた。
「知らないのです?」
「ああ、聞いたこともないよ。あいつの中学生時代のあだ名か何かか?」
「あだ名……というか、二つ名ですね。瑠宇が勝手に呼んでるだけなんですが」
「二つ名? なんかオーバーな感じがするけど」
「敬意と畏怖、憧れと羨望を込めてそうお呼びしているのです。中学時代の桔梗屋先輩は、まさに王と呼ぶにふさわしいお方でしたから」
えへん、と胸をはる瑠宇。
「中学時代ねえ。俺が知ってるあいつは、そんなに大したやつじゃないと思うけどな。せいぜい周りの女子に触発されて、下ネタを覚えただけの世間知らずだろ?」
「何を言ってるんですか! ぜんっぜん違いますよ!」
憤慨だとばかりに両手に腰を当て、瑠宇は鼻息も荒く俺を睨みつけた。
「逆ですよ、逆!」
「ぎゃく?」
そして、瑠宇は言った。
「桔梗屋先輩は、自分から下ネタを学んでいたんです!」
……え?
「規則の厳しい女学院で、その圧政に挫けることなく日々下ネタの収集に励んでいた孤高の存在、それが桔梗屋先輩です! 誰にも知られることなく、誰の助けを借りることもなく、孤独な戦いを続けていたんですよ!」
「どういう、ことだ……?」
「瑠宇は偶然先輩の秘密を知ってしまったのですが……その時の衝撃は今でも忘れられません。あのお姿は、まさしく王の名にふさわしいものでした。瑠宇は『
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
話がかみ合わない。
俺の知っている情報と違いすぎる。
だって……だって清美は……。
「あいつは、女学院の友人に下ネタを教わったんじゃないのか?」
「だから、違うって言ってるじゃないですか」
瑠宇は続ける。
「そもそもセカチューはとっても規律が厳しいお嬢様学校なのですよ? 下ネタなんて言語道断、バレたら反省文100枚じゃ済みません。その中で誰にもバレずに卒業したから、桔梗屋先輩はすごいんです!」
……ああ。
そうか。そうだよな。
女子高って言っても、色々ある。猥談を普通に交わせるような場所もあるだろう。
だけど清美が通っていたのは、あの名門、聖華中学だ。
普通に考えれば、猥談が許されるような学校じゃない。
俺がその可能性をはなから否定していたのは。
そもそも、頭の片隅にも抱かなかったのは。
あいつが。
あの桔梗屋清美が。
自分から下ネタを学んだなんて、思いもしなかったからだ。
「どう、して……」
その言葉は、確かに俺の心の声をくんでいたけれど。
だけど俺の口から出たものではなかった。
振り返る。
そこには、つい今しがた戻ってきたのであろう清美が立ち尽くしていた。
蒼白な顔で。
「どうしてあなたが、ここにいるの……?」
「あ、桔梗屋先輩こんにちは! ちょうど今、先輩のことをお兄さんとお話していたところだったんです」
「瑠宇、答えて」
顔の表情筋を一ミリも動かさずに、清美は繰り返した。
異変を察知した瑠宇は、戸惑いながらも答える。
「え、えーっと? 私は知り合いのお姉さんに誘われて……」
「その、お姉さんというのは、誰」
「お、お名前ですか? 言っても分からないんじゃないかと……」
「誰なの」
静かな声音で、しかし有無を言わさぬ声圧で、清美は言った。
じりっと瑠宇の踵が地面を削る音がした。
「え、と……その……」
「私ですよ、清美さん」
木陰から現れたのは、玲愛だった。
眼鏡をかけたオフモードの玲愛は、瑠宇の肩に手を回し、真剣な表情で清美と向き合った。
「そう……やっぱりあなたなのね……」
「ええ、私です」
「秘密にしてって言ったのに」
「ええ、言ってましたね」
「二人だけの秘密よって、約束したのに」
「ええ、約束しましたね」
「だから、バラしました」
「あなたを信じた私がバカだったわ」
それだけ言い残し、清美はその場から走り去った。
この場に残されたのは、何が何だか分からずオロオロと目を泳がせる瑠宇と、同じ心境の俺。そして、突然現れた玲愛だった。
「何してるんですか、征一さん。早く追いかけてください」
「玲愛、お前、一体何を――」
「説明してる暇はありません」
玲愛の鋭い声が響く。
「今追いかけないと、本当に取り返しのつかないことになります。だけど。今追いかければ必ず事態は改善します」
「なあ、もうちょっと説明してくれよ! 俺、正直今はいっぱいいっぱいで、何が何だか……」
「征一さん」
玲愛の手が、俺の両手を包み込んだ。
ライトブラウンの瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。
「信じてます」
数舜見つめ合い。
そして玲愛の左手が、背中をばしんと叩いた。
「さあ、行ってください!」
「お、おう!」
何が何だか分からないままに、既につまようじくらいの大きさになっている清美の背中を追いかける。
理由も理屈も分からない。
だけどたしかに、今追いかけなければ後悔する。
そんな予感がしたから。
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