第26話 主人公の知らないところで、物語は進むという話

 桔梗屋清美と安里玲愛は、二人で駅前のベンチに座って歓談していた。

 志茂田征一の姿はない。

 清美は彼と一緒に帰ろうとしたのだが、玲愛がそれを引き留めたのだ。

 話したいことがあるから、もう少しだけ一緒にいたい、と。

 玲愛が口を開く。


「あの……清美さん。私、あなたに聞きたいことがあるんです」

「なによ、今更改まって」

「えっとその……。いわゆる下ネタについてなんですけど……」

「あら、あなたも興味があるの? いいわよ、私がなんでも教えてあげるから。どんなジャンルの下ネタがいい? 最初にお勧めなのは――」

「ち、違います違います! それは私にはまだ早すぎるというか、未来永劫その領域には足を突っ込む予定はないというか……とにかくお気持ちだけ受け取っておきます」

「そう、残念だわ」


 清美は眉をハの字に落して、唇を尖らせた。

 彼女の声音が本当に残念そうで、玲愛はこっそり苦笑いをこぼした。


「そうじゃなくて、あなたが下ネタにを話すようになった、その経緯についてです」

「経緯……?」


 玲愛は頷く。


「はい。これから仲良くしていく上で、この辺りのことは、一度はっきりさせておくべきだと思いまして」

「もちろん構わないけれど、それについては、前にも一度話さなかったかしら?」

「ええ、話してもらいましたね。あなたが中学の友人たちの影響を受けて、下ネタに染まり、イメージダウンを避けるために征一さんにだけ下ネタを話している」

「よく覚えてるわね。一言一句その通りよ」



?」



 清美の肩がぴくりと跳ねた。

 そして、静かに玲愛に顔を向けて言う。


「薄々気づいてはいたけれど、あなた本当に頭がいいのね」

「何を持って頭がいいと判断するか分かりませんので、コメントしかねます」

「賢い子のが言いそうなセリフね」


 ふっと笑い、続ける。


「学期はじめに実力テストがあったこと、覚えているかしら」

「ええ、もちろんです。成績順に順位が貼りだされるっていう、えげつない仕打ちのあれですよね」

「あなた、手を抜いたでしょう」

「どうしてそう思うんですか?」

「学年トップ10に名前があれば、私が覚えているはずだもの。あなたくらい頭が回る人が、入っていないとは思えないわ」


 清美の言葉に、玲愛はいたずらがバレた子供のような顔をした。

 そして、不承不承、本当に仕方なくという感じで、口を開く。


「……これは例えばの話ですが」

「例えばなしは結構好きよ、夢があって」

「……例えば、出されたテストに全て満点が取れるだけの頭があったとしましょう。解答が全て分かって、答案を提出する前から、自分の点数が把握できていたとしましょう。その時、その人が百点を取る必要ってあるんでしょうか?」

「取っておくに越したことはないと、私は思うけれど」

「秀でた者は叩かれます。自分の能力に疑いがないのであれば、ほどほどの点数に抑えておいて、極力目立たないようにする方が生きやすいと思いませんか?」

「平穏な生活をのぞむあなたは、だからテストで手を抜いたと?」

「あくまで例えばなしですよ。私はそんなに、頭が良くはありません」

「あなたのことは信用するし、友達にだってなれると思ってる。けれど、その生き方だけは理解できないわ」


 清美の言葉に、玲愛は笑った。


「あはは、そこは別にいいじゃないですか。生き方が同じじゃなくっても、価値観が全く違っても、友達にはなれるんですから」

「……征一君と、同じことを言うのね」


 その時見せた清美の表情は、ほんの少し曇っているように見えた。

 穏やかな陽気の日に、空に漂う雲の切れ端が太陽の日差しを陰らせるような、そんなわずかな曇り方だった。

 玲愛が瞬きをした後には、既に清美はいつもの表情に戻っていた。


「話を元に戻すけれど。あなた、そこまで分かっていて私に何が聞きたいのかしら?」

「私が知りたいのは、です」

「理由?」

「はい。そこまでして下ネタを話す理由が、私には分からない。だから知りたいんです」

「知ってどうするの?」

「どうもしません。ただ、私は疑問を抱いてしまいました。あなたと征一さんの関係に、ほんの少しでも違和感を覚えてしまいました。これから先、私があなたたちと付き合うために……平穏に暮らすために……知っておきたいんです」

「なるほど、そういうこと」


 清美はベンチに背中を預け、少しの間目を閉じた。

 そして、やがて決心したように目を開いて言う。


「いいわ、教えてあげる。でも、征一君には言わないでね」

「もちろんです」


 玲愛が頷くと、清美は下唇をなめた。


「私が征一君にだけ下ネタを話すのは――」


 そうして安里玲愛は真実を知った。

 桔梗屋清美の本音を、つまびらかに知った。

 そして――呆気にとられた。


「それが……そんなのが、理由、ですか?」

「ええ。他人にとっては取るに足らない理由でも、私にとってはとても大切なことなの。だからこれだけは……譲れないのよ」


 あなたが平穏な高校生活を送りたいと思う気持ちを、譲れないようにね。

 清美はそう締めくくった。


 玲愛はしばし考え、そして頷いた。


「……分かりました。教えてくれて、ありがとうございます」


 そして玲愛は絶対に征一には話さないと約束し、彼女と別れた。

 夕日が照り付ける中、家路をたどる彼女の背中を眺める。


 品行方正、容姿端麗、眉目秀麗、清麗高雅せいれいこうが

 およそ清楚と名の付くあらゆる四文字熟語を、アクセサリーみたいに着飾る女子高生、桔梗屋清美。


 そんな彼女が背負っている、いびつごうを。

 そんな彼女が追っている、些細な夢を。


 知ってしまった玲愛は一人、ぽつりとつぶやく。


「ほんとにもう……不器用にもほどがありますよ……」

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