第21話 ラッキースケベは笑わない 後編

 それから一時間ほど、転んで滑ってを七対三くらいの割合で繰り返していると、ようやくなんとか滑れるようになった。

 相変わらず腰は引けているし、生まれたての小鹿みたいな足の角度なわけだけど、まあそれでも、最初に比べれば幾分かマシだった。


「なんとか様にはなったわね。相変わらず人様に見せられる代物ではないけれど」

「まあまあ桔梗屋さん。諦めずに頑張って、形になったことが大事じゃないですか」

「結果よりも過程が大事、というわけ?」

「そうはいいません。結果と同じくらい、過程も大事、ということです。ずるしてテストで百点取っても、なんの意味もないのと同じです」


 玲愛さんの言葉に、清美はふっと笑った。


「たまにはいいこと言うじゃない」

「見直しました?」

「ほんの少しだけ。小指の爪の、爪半月そうはんげつくらいには」

「えー、しょっぱー! まあないよりはいいですけどぉ」


 和やかに話している二人を置いて、俺はその場を離れた。

 なんだかいい雰囲気だった。俺の不甲斐なさが彼女たちを繋げてくれたのだとしたら、俺もたくさん転んだ甲斐があったというものだ。


 三人分の飲み物を自販機で買って、ローラースケートのコーナーに戻る。

 角を曲がろうとしたその時、玲愛さんの声が聞こえてきた。


「そういえば、聞きたかったことがあるんですけど」

「なにかしら?」

「私が志茂田さんに告白したこと、本当はどう思ってるんですか?」


 ぴたりと、足を止める。止めてしまった。

 いかん、これではまるで盗み聞きしてるみたいじゃないか。そんな気はさらさらなかったのに。


 しかし、今出ていくのはタイミング的にあまりよくない気がする。俺はその場に立ち止まったまま、しっかり聞こえてくる二人の会話につい耳を傾けてしまう。


「この前も言ったでしょう? 特になんとも思わないわ」

「本当ですか?」

「ええ。付き合おうがキスしようが、べたべたいちゃいちゃ乳繰り合おうが、別に私には関係ないもの」

「でも桔梗屋さん、屋上でこの話題が出た時『あなたのそういうところが気に食わない』『征一君はあなたにはもったいない』とか言ってたじゃないですか」

「仮にも幼馴染だもの。それなりにいい相手と結ばれて欲しいと願うのは、そんなにおかしいことかしら?」

「でも桔梗屋さん、志茂田さんにだけ心を許してる感じがしますし、やっぱり彼のことが好きってことなんじゃ――」

「あり得ないわ」


 ぴしゃりと。

 うるさく飛び回る羽虫を叩き落とすように清美は言った。


「まったく……その甘ったるい恋愛脳、どうにかならないのかしら。なんでもかんでも色恋沙汰に関連付けて、短絡的ったらありゃしないわ」

「は、はあ!? 私は桔梗屋さんの気持ちをくみたいと思って……」

「心にもないことを言うものじゃないわよ。例えば、本当に例えば……万が一にもあり得ないけれど、とりあえず仮定の話として仕方がなく言うけれど」

「そこまで念を押さなくても」


 ほんとだよ。


「たとえば私が征一君のことを好きだったとして、あなたは諦めるのかしら?」

「っ……。それは……」

「ほらみなさい。所詮あなたの言う『気持ちをくむ』っていうのはその程度のことなのよ。だったら最初から、私たちの関係に口を挟まないでくれるかしら。スイーツ脳の安里さん」

「い、言いましたね……! だったらあなたはなんでもかんでも下ネタに関連付けるピンク脳じゃないですか!」

「そうよ。それがなにか問題でも?」

「くっ……開き直られると何も言えませんが……」


 これ以上放っておくのはさすがにまずいか。

 一日で仲良くなるとは思ってなかったけど、このままだとまったくの進展なし。最悪の場合は後退なんてこともあり得る。それだけは避けたい。


「ったく、折角仲良くなりそうだったのに……。一瞬目を離すとすぐこれだからなあ」

「あの二人、仲が悪いのです?」

「悪いね、超悪い。ほっといたらすぐ喧嘩すんだもん」

「なのに一緒に遊びにきてるのです?」

「まあ、色々あってさあ。わけあって二人には仲良くなってもらいたいんだよ」

「なるほど。それでお兄さんが間に入っているというわけですか」

「端的に言えば、そういうことだな」

「ふむふむ。ということは、お兄さんは悪い人ではないのですね」

「人聞きの悪いこと言うなよ。どっからどう見ても善良な一般市民だろ……って」


 視線を降ろす。

 ちんまい女の子がきょとんと俺を見つめていた。


「誰!?」

瑠宇るうですか? 瑠宇は、瑠宇って言います!」


 なんだその賢さ3、可愛さ30みたいな返答!

 突如俺の隣に現れた少女は、 体をゆすり、おさげをぴょんと跳ねさせて言った。


「そういうお兄さんは、なんというお名前なのですか?」

「俺か? 俺は志茂田征一だけど……」


 このおさげ、そして瑠宇という名前、どこかで見たことがあるような……。


「どうしました? 瑠宇の体をじーっと見つめて。……もしかしてお兄さん、女子中学生の未成熟な身体に、自らの劣情を抑えきれなくなるタイプの変態さんなんですか?」


 急になんてこと言い出すんだこいつ。


「そういえば、瑠宇はロリコンに一定の需要がある見た目をしてると、この前お友達に忠告されたばかりでした。もしかして瑠宇、貞操の危機? 叫んだ方がいいです?」

「ま、待て! 落ち着いて聞いてくれ! 俺はロリコンじゃない! だから安心してくれていい!」

「本当ですか?」

「ああ、本当だ」


 俺は瑠宇の目をまっすぐ見据え、心を込めて力説した。


「何がとは言わんが、大きい方が好きだからな」

「なるほど。何がとは言わないところに、そこはかとない理性が感じられますね」


 なんでそこはかとないんだよ。もっとたっぷり感じ取れ。


「とにかく、そういうわけだから。俺は怪しい人間じゃないし、お前に変なこともしない。だから頼むから大きい声とか出さないでくれよ」

「セリフのチョイスが下手くそすぎて逆に変質者みたいになってますよ?」

「あれ、ほんとだ!?」


 瑠宇はくすっと笑った。


「まあ、お兄さんが変態さんであるかどうかは置いといて」


 置いとかれちゃうんだ。


「悪い人でないことは分かりました」

「ありがとう。誤解が解けて何よりだよ」

「桔梗屋先輩のことを陰からじーっと見つめていたので、悪い人なら瑠宇がぼっこんぼっこんにしようと思ってたのですが……無意味な血が流れなくてほんとに良かったです」

「さらっと怖いこと言うよね。というか、俺が清美たちを見てたのは――」


 そこまで言って、気付く。

 瑠宇という名前。ぴこぴこ跳ねるおさげ。そしてなにより清美のことを先輩と呼んでいる。ということは――


「お前、この前カフェにいた清美の後輩か」

「ですです!」


 瑠宇はぶんぶんと元気よく頷いた。

 そうか、この子あの時の……。カフェでは一瞬しか顔を見てなかったから、気付かなかったな。

 この前といい今日といい、随分とエンカウント率の高い子だ。


「瑠宇は友達と遊びに来ていたのです。そんな最中、偶然にも桔梗屋先輩を発見! 声をかけようかと悩んでいたところ、今度は怪しげな人影を目撃! 素性を改めさせてもらおうと思い、こうしてお声をかけさせてもらったというわけです」


 えへんと胸を張る仕草が可愛らしい。形の良い頭をついつい撫でたくなってしまう。

 通報されたくないからやらないけど。


「それはご苦労なことだな。でもほんとに不審者と出くわしたら危ないからさ、あんまりこういうことはしない方がいいと思うぞ」

「なんのなんの! 瑠宇は桔梗屋先輩の懐刀ふところがたな。腹心の部下にして露払い。一番弟子にして提灯ちょうちん持ちですから! 王をお守りするのは当然の義務なのです!」

「肩書多いな」


 つーかどんどんランク下がってるし。

 それにしても、『王』ねえ……。清美が自分からそう呼ばせてるとは思えないし、この子が勝手に呼んでいるのだろう。

 そういうごっこ遊びが好きな年頃なのかな。


「ふうん、なるほど。そういうことですか……」

「おわぁっ!?」


 その時、突然後ろから声がして、俺は驚いて振り向いた。


「ちょっと、あんまり大きな声出さないでください。びっくりするじゃないですか」

「わ、悪い、つい……」


 驚いたのはこっちの方なんだけど……。

 立っていたのは玲愛さんだった。

 腕を組み、何かを思案しているような顔で、瑠宇を見下ろしている。


「えーっと、清美は?」

「お手洗いに行かれました。そんなことより、この子、桔梗屋さんの女学院時代の後輩ですよね?」

「はい! 瑠宇は瑠宇って言います!」

「あら、きちんと挨拶できて偉いですね。私は安里玲愛って言います」

「よろしくです! 玲愛さんは桔梗屋先輩のお友達ですか?」

「ええそうですよ。マブダチと言っても過言ではありませんね」

「は? 犬猿の仲の間違いじゃいってぇええええ!」

「ちょっと黙っててください志茂田さん。今いいとこなんです」


 どういうこと!?

 踏まれた足をさすっている俺の頭上で、会話は続く。


「そうなんですか? だけどお兄さんは、玲愛さんと先輩は顔を合わせるたびにケンカすると仰っていたような……」

「ふふ、そりゃあ喧嘩くらいしますよ。喧嘩というのは、互いの本音をぶつけ合うことです。心の内をさらけ出せる相手こそ、真に仲が良い相手、つまりマブダチと言えるわけです」

「おお! 喧嘩するほど仲が良い! というやつですね!」

「難しい言葉を知ってるんですね、えらいえらい」


 玲愛さんは瑠宇の頭を優しく撫でた。

 おいおい。なんか……おかしくないか?

 清美との仲を取り繕ったり、初対面のはずなのに、やたらと瑠宇に優しかったり……。いったいどうしちまったっていうんだ?


「ところで、このお兄ちゃんに、なにか変なことされませんでしたか?」

「ばっかお前、大丈夫に決まってるだろ。俺は超紳士的なふるまいをだな――」

「大丈夫です! 変態であるかはさておき、ロリコンではないと仰っていたので!」

「超紳士的なふるまい?」

「ちょっと待った、誤解だって! これには深いわけが……」

「何がとは言わないけど大きい方が好きだから大丈夫と仰っていました!」

「何が誤解なんですか?」

「ちくしょう! 内容は合ってるだけに否定しづらい!」


 俺が頭を抱えている横で、玲愛さんは続けた。


「ねえ瑠宇さん。こんな変態さんは放っておいて、私と一緒に向こうでお話しませんか?」

「え? でもまだ桔梗屋先輩にご挨拶が……」

「売店で欲しい物何でも買ってあげますから」

「行きます!」

「おい!」

「なんですか? 今良いところなんですけど」


 唇を尖らせ、玲愛さんは不服気に俺に向き直った。


「なんですか? じゃねえよ! 俺なんかよりもよっぽど変質者っぽい手口じゃねえか!」

「失敬な。私はかわいい瑠宇さんに純粋な心でごちそうしてあげたい、ただそれだけなんです」

「嘘つけ! おい瑠宇。こういう手口に引っ掛かっちゃダメだぞ」

「すみません、お兄さん。『もらえるものはもらっておけ、なんなら全部かっぱらえ』というのが我が家の家訓でして」


 何その家訓。お前の先祖は山賊か何かなの?


「それじゃあ行きましょうか、瑠宇さん」

「はい!」


 俺の努力もむなしく、瑠宇は玲愛さんに連れられていってしまった。

 ルンルンとした足取りの二人の背中を見て、俺は内心首を傾げる。


 やっぱりさっきの玲愛さん、なんかおかしかったよな。

 いつもより強引っていうか、力づくが過ぎるっていうか……。

 まるで何が何でも瑠宇と二人きりになりたいみたいに見えたけど……。

 そんなことを考えていると、ポケットの中でスマホがぶぶっと震えた。


【安里玲愛】

 そういうわけで、本日は解散させてください!

 それと、私が瑠宇さんに会ったことは、桔梗屋さんには内密にお願いします。


 送られてきたラインを見て、俺ははたと気付く。

 なるほど、そういうことか。

 確かにそれなら、さっきの玲愛さんの不可解な行動にも説明がつく。

 全然まったく、これっぽっちも気付かなかったけれど。

 玲愛さんって本当は――


「ロリコン、だったんだな……」

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