第18話 前門の虎、肛門の狼 後編

「ふぅ……」


 キッチンから俺の部屋へと戻ってくると、清美は悩まし気な表情で壁にもたれかかった。


「どうした、ため息なんかついて」


 ため息つきたいのは俺の方なんだけど。

 清美と玲愛さん。放っておいたらすぐに喧嘩を始めてしまうくらいに相性が悪い。


 この二人に挟まれてると、まさに前門の虎、後門の狼って感じだ。

 正直二人が喧嘩をしてる時は息が詰まりそうだぜ。


「前々から香澄さんに聞きたいと思ってたこと、また言い出せなかったなと思って」

「姉さんに聞きたかったこと?」


 玲愛さんが淹れてくれたほうじ茶をすする。

 因みに玲愛さんの手土産は栗饅頭だった。木箱の中で一つ一つ梱包されて入っている、本格的なやつだ。口に入れた瞬間、上品な甘さの栗餡がほろほろと崩れる。

 いいな栗饅くりまん、すごい好きだ。特に他意はないよ。


「ええ。まあ大したことじゃないのだけれど」

「なんだよ、気になるだろ。そこまで言ったなら教えてくれよ」

「そう? じゃあこの際だから言っておこうかしら」


 そうして清美は絵画にでも描かれていそうな悩まし気な表情を浮かべて、言った。


「香澄さんの言う『せーちゃんのお願い事ならなんでも聞いてあげる』というのは、いわゆるいかがわしい行為も含まれるのか、ずっと気になってるのよね」

「おぞましいことを考えるな」


 あとそれ姉さんの前で絶対言うなよ! 姉さんまだお前のこと清楚キャラだと思ってんだから! 身内が泡吹いて倒れるところなんて見たくないから!


「違うの? 結婚以外はなんでも、なんてわざわざ明言してるから、てっきりそういうことなのかとばっかり」


 んなわけあるか! わざわざ言うまでもないからに決まってるだろ!


「でも、すっごく美人な方でしたよね」


 栗饅頭を飲み込んで、玲愛さんも話題に乗る。


「最初、志茂田さんのお姉さんって気づきませんでした。あれくらい美人なら、姉弟でも興奮するんじゃないですか?」

「まさか。よくくっついてくるけど、鬱陶しいだけだよ」


 風呂上りとかよく下着姿でリビングうろついてるけど、なんとも思わないしな。


「征一君。今あなた、さりげなく馬鹿にされたわよ」

「え?」


 清美は腕を組んであきれたように言った。


「あなたのお姉さんだと思わなかったってことは、あなたの容姿がイケてないと思っているということじゃない」

「ちょっと、変な言いがかり付けないでください。似てないって言っただけで、イケてないとは言ってないですよ?」

「そ、そうだぞ清美。現に玲愛さんは俺のことめっちゃ褒めてくれてたんだからな」

「ふうん。なんて言われたの?」

「えーっと……年の割に落ち着いているとか、意外と面倒見がいいとか、性根が優しいとか……」

「容姿に関しては一言も触れていないようなのだけど……」


 た、確かに……!


「それに全体的に浅い誉め言葉ばっかりね。友達がいなくて誰とも喋っていないことを、年の割に落ち着いていると言い換えただけだし」

「うっ」

「私と喋っている様子を見て、意外と面倒見がいいと言い換えただけ」

「ぐふっ」

「因みに優しいという言葉は、他に誉め言葉がない時に言う決まり文句ね」

「それ以上はやめろ。俺の心が死ぬ」


 い、いや薄々勘付いてはいたけどね?

 別に褒められて照れたりしてないからね?


 視線を横にずらすと、玲愛さんとばちっと目が合った。

 玲愛さんは気まずそうな顔もせず、むしろ俺の目をじーっと見つめて、


「えへっ、バレちゃいました」


 ニコッと笑った。んぎゃわいいぃいい!(語彙力の喪失


「そもそも私、そんなに志茂田さんのことよく知りませんからね。知った風な口叩くよりも、とりあえず当たり障りのないことを言っといた方がいいかなーって思って」

「な、なるほど。確かにそうだな」

「志茂田さんのことを知るのは、これからですよ。こ、れ、か、ら。ね?」


 ぱちんとウィンクしつつ小首を傾げる。


 あー、かわい。これから知ってもらえるなら今とかどうでもいいわ。

 ほら、俺って未来に生きてるからさ。


「調子のいいこと言って煙に巻かないでくれるかしら。さっきも言ったでしょう。征一君はそんな言葉に惑わされるほどバカじゃないし、ケツの穴の小さな男じゃないのよ」

「ああ、そういえばそんな話もしましたね」

「お前ら俺がいない間どんな話してたんだよ」

「あなたの話をしていたのよ。この女が、あなたの事をろくに知らずに付き合おうとしてるから、征一君の良いところをプレゼンしていたというわけ。感謝して頂戴」


 へえ、それは気になる話題だな。

 中学の頃に離れていたとはいえ、俺と清美の仲だ。

 他人には分からない俺の良いところを、いくつも見つけてくれているんだろう。


「どんなことをプレゼンしてくれたんだ?」

「そうね。例えば、普段は精気の無い腐ったタピオカみたいな目をしているけれど、下ネタを振ると途端に目が輝きだすところかしら」

「落ち着け清美。それはどう転んでもいいところにはならない」

「後は優柔不断なように見えて、ちゃんと自分の意見を持っていて、しっかりしているところとか」

「おお、それは嬉しいな。ちゃんとした誉め言葉だ」

「そうでしょう、そうでしょう。というわけで征一君」


 さっと手が差し伸べられる。

 なに、この手?


「肛門を見せてくれるかしら?」

「なんで?」


 なにが「というわけで」なの? 助詞の使い方、教えてあげよっか?


「失礼ね。助詞の使い方くらいとっくにマスターしてるわよ。もっとも、女子としての使われ方を教えてくれるというのなら、こちらにもそれ相応の考えがあるけれど」

「言ってないし考えるな」


 ほんと、発言には気を付けてくれ。

 ダメな意味でドキドキするから。


「多分ですけど……桔梗屋さんは、志茂田さんがケツの穴の小さい男じゃないってところを証明しようとしてるんじゃないでしょうか?」

「いや多分そうなんだろうけど、だからってその理屈はおかしいだろ!!」


 大体、ケツの穴の小さい男って比喩表現だし!

 実際に俺が肛門かっぴろげて見せて「ほら見て! 俺はこんなに大きいですよ!」とはならねーだろ!


「でも、私もちょっと見てみたい気もしますね」

「え?」

「ほら、私たちも将来的にはお付き合いをするわけですし、予習も兼ねて確認するのも悪くないかなーなんて」


 れ、玲愛さん……っ!?

 あなた一体、どんなアブノーマルなプレイをするおつもりなんですか!?

 やばい、すっごいドキドキしてきた。もちろんいい意味でね!


「さあ。この部屋の過半数の意見は揃ったわけだし、さっさとズボンを脱ぎなさい?」

「三分の二で過半数の意見とか言うんじゃねえ! 民主主義の皮を被った独裁政治じゃねえか!」

「大丈夫、恐れることはないのよ征一君。例えあなたの可愛い征一君が皮を被ってようとも、私は決して嘲笑ったりはしないから」

「ああもう! まじでエロに対して驚異のレシーブ力見せるよなお前! 往年のロジャー・フェデラーかよ!」

「ロジャー・フェデラー?」

「ん、知らないのか? 有名なテニス選手だよ。リターンの切り返しが滅茶苦茶強くてさあ」

「ごめんなさい、テニスはちょっと分からなくて」

「ああいや、気にすするな。今のは俺のたとえが悪かったよ」

「テニスじゃなくてペ」

「よおし! この話やめにしよっか!!」


 エロ関連のシナプスどうなってんだこいつ!

 脳内メーカーもびっくりだよ!


「ごちゃごちゃうるさいわね。自分から脱げないというのなら、私が脱がしてあげるけれど」

「いや、どっちも嫌だけど!」


 ずんずんと迫ってくる清美。

 じりじりと後退する俺。

 やがて背中が本棚にぶつかり、逃げ道が完全にふさがれる。


 ち、畜生……俺の貞操もここまでなのか……っ?

 俺のマイサンは、こんな形でお披露目されちまうのか……っ!?


 万事休す!

 追い詰められた俺は、ぎゅっと目をつぶり――


「はい、じゃぁ冗談はこのくらいにして、そろそろ本題に入りましょうか」

 ぱんぱんと手を叩く乾いた音と共に、玲愛さんが言った。

「え?」

「え、じゃありません。まさかあなた、本当に志茂田さんのズボンを脱がせるつもりだったんですか?」


 冷静なツッコみをもらい、少し落ち着いたのだろうか。

 清美は炬燵机の前に腰を下ろし、


「ふっ……もちろん冗談よ。いいアイスブレイクになったでしょう?」

「お前は絶対本気だっただろ」


 ま、かくいう俺も、玲愛さんになら確認されても良かったんですけどね!


「志茂田さんも大変ですね。こんな人に振り回されて。もうちょっと邪険に扱ってもいいと思いますよ?」


 うわあ、なんか改めてそう言われると涙出るわ。

 確かに傍から見たら明らかに異常だよなあ。

 とはいえ、だ。


「もう慣れたよ。もちろん、最初はちょっと驚いたけどさ」

「桔梗屋さんって、昔からこんな感じだったんですか?」

「いや、小学校の頃は見た目通りの清楚な子だったよ。中学校で一回離れて、高校で再会したらこうなってた」

「ほうほう」


 玲愛さんはサイドテールの毛先をいじりながら、続けた。


「それってやっぱり、志茂田さんのせいですか?」

「は?」

「だって女の子が変わるのは、いつだって男の子のためですから」

「んなわけあるかよ。中学の友達に変な影響受けただけだろ。俺は関係ない」

「征一君の言う通りよ、彼は関係ないわ」

「ふうん。じゃあなんで志茂田さんにだけ、下ネタ言うんですか?」

「ストレス発散のはけ口よ。綺麗な自分ばかり見せてるのって疲れるから」

「なるほど? ま、筋は通ってる気がしますね」


 言いながら玲愛さんはぱくっと一口、栗饅頭を食べた。

 一口のサイズが小さくて可愛い。


「でも、そのままでも別に良くないですか? 下ネタを言う美少女って多分需要ありますよ。たぶん、恐らく……それなりの確率で……まあぶっちゃけどうでもいいんですけど……」


 ほんとに投げやりな口調で笑うわ。


「ダメよ。清楚な私は、それなり以上に需要があるのだから」

「アイドルみたいなこと言いますね」


 それな。俺も全く同じこと思ったよ。気が合うね俺たち。結婚する?


「まあ、理解はしました。桔梗屋さんがどう生きようが、私が口を挟む問題ではありません。あなたは志茂田さんの前でだけ下ネタを話し、ストレスを発散している。そしてそれを他人に知られたくない」

「その通りよ」

「なのに私に見られてしまったと」

「そうよ。だからどうすれば口封じできるか、今必死で考えてるところなの。あなた、何か致命的な弱みとかない? 実は女装している男の娘だった、とかだと最高なのだけど」

「残念ながらそんな特殊設定は背負ってません」


 はあ、っと大きなため息を一つ。


「どうしても信じてはもらえませんか? 本当に私は、平穏な高校生活を送りたいだけなんですけど」

「今までの会話で信じられる要素がどこかにあったかしら? 嘘とおべっかで塗り固めたうすら寒い笑顔を信じろとでも?」

「お、おい清美。なにもそこまで言わなくても……」

「そんな風に言われると、私もちょっと気分が悪いですねえ。いいんですか、桔梗屋さん? 今あなたの弱みを握ってるのは私なんですよ? 変なこと言ったら、うっかり口が滑っちゃうかもしれませんよ?」

「玲愛さんも、そんなあおるような言い方しなくても……」

「ほら、すぐそうやって好戦的になる。平穏な生活を送りたいだなんて口先ばっかり。これだから信用できないのよ」

「好戦的にさせたのはあなたでしょう! 私は本当に――」

「あ、あのさあ!」


 思わず俺は、大声を上げて間に割って入った。

 だめだ、このままじゃらちが明かない。

 二人の意見は平行線で、いつまで経っても妥協点を見つけることはないだろう。

 だったらもう、いっそのこと――


「二人で遊んで、親睦を深めてみるってのはどうだ?」

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