第2話 消せないおっぱい 前編
教室に入ると、たくさんの挨拶が投げかけられる。
「おはよー、桔梗屋さん」「清美ちゃん昨日の宿題やったー?」「キヨちゃんキヨちゃん! 今日お昼一緒に食べようよー!」
俺はそんな黄色い声の間をすり抜けるように自分の席に向かう。
俺に向けて発せられた発言、0。
最高の結果だ。みんなどんどん無視してくれ。
清美はすでにたくさんの女生徒に囲まれていて、「もう、一度に話しかけられたら反応しきれないわ」と眉をハの字に下げながら微笑んでいる。
さっきまでと同一人物とは思えない、見事な豹変っぷりだ。
桔梗屋清美を嫌いな人間はいない。
試しに俺がクラスで漏れ聞いた清美への評価を上げてみよう。
「いいよな桔梗屋さん! だって美人だし!」
「おっぱい」
「一挙手一投足が綺麗なのよねー! 指先まで洗練されてるっていうか、もう髪の先まで行き届いてるっていうか!」
「ふくらはぎが綺麗。舐めたい」
「おっぱい!」
「お肌つるつるで毛穴とか全然ないの! もう一生頬ずりしてたいよねー!」
「シンプルにののしられたい」
思ってたよりもうちのクラスは変態が多いな。大丈夫か?
まあとにかく、桔梗屋清美はクラスの中心的な存在なのだ。
例え裏にどれだけ度し難い本性が隠れていようとも、その事実だけは揺るぎない。
他方の俺はといえばどうだろうか?
試しに俺がクラスで漏れ聞いた志茂田征一への評価を上げてみよう。
ただし実際には俺に関する話題なんて一度も耳にしたことがないので、以下の評価は全て俺の脳内で想像したフィクションである。
「志茂田君……あー、うん。物静かな子だよね」
「この前消しゴム拾ってくれたかな」
「桔梗屋さんの周りでうろうろしてるハエ」
「喋ったことない」
「誰?」
うむ、一部のスキもない完璧なシミュレーションだ。
我ながら惚れ惚れするぜ。
こんな感じで、俺は空気だ。
圧倒的な存在感を放つ清美とは対照的に。
だから清美には、学校では話しかけないように言ってある。
当然、俺から話しかけることもない。
家が近くだから一緒に登校する。
清美と俺は、ただそれだけの関係だ。
一人はいい。集団行動なんて大嫌いだ。
スマホに登録されてる連絡先の数は片手の指で数えられるし、ラインのチャット欄はワンスクロールもあれば確認できる。
母さんも姉さんも、そして清美も、昔は口を酸っぱくして「友達はいた方がいいよ」と、それこそ耳にタコができるくらい言い聞かせてきたものだけど。
最近は諦めたのか、それもめっきりなくなくなった。
それでいい、それが生きやすい。
俺はみんなに干渉しないから、みんなも俺に干渉しないでくれ。
それぞれの価値観を、それぞれの領域に持ち寄ってさ、幸せの多様性ってやつを認めていこうぜ。
「……っと」
心の中で美しくまとめ終えたところで、スマホがぶるりと震えた。
視界の端で、清美がプリーツスカートのポケットにスマホを入れたところを確認し、嫌な予感を抱えつつロックを解除する。
【桔梗屋清美】
今、背中に美智子ちゃんが抱き着いて来たのだけれど、彼女のおっぱいすごく柔らかかったわ。多分彼女、今日付けてるブラが柔らかい素材なのね。
そういえば征一君は知っているかしら? 知らないだろうから教えてあげるけど、一口にブラジャーと言っても、実は結構な種類があるのよ。具体的には、ワイヤーブラやノンワイヤーブラ、スポーツブラにナイトブラ、フロントホックタイプにモールドカップタイプブラ。それとブラの中にもどれくらいの面積おっぱいを覆うかによって種類があって――
下着屋の店員か? 割と詳しく説明してくれるタイプの下着屋の店員か?
いや、確かにほとんど知らなかったしちょっと勉強になったけど、俺が女性の下着に詳しくなってどうすんだよ。
あ、君の今日の下着、フロントホックタイプだね☆ とか言うの? 一発で通報されるわ。
【桔梗屋清美】
それではここで問題です。私が今日付けているブラは何タイプでしょうか?
う、うぜえ……。
「はい、じゃあここまでで公式は一通り教えたので、ここからは問題を解いてみましょうか」みたいなノリで自分の付けてる下着のタイプを問題に出すな。
あと、上品な顔で女子トークかましながら片手で猥談送ってくるんじゃねえよ。器用か。
なんだかむかっ腹が立ったので、俺はこう返した。
【志茂田征一】
ノーブラ
教室の斜め前に座った清美の肩がぴくりと跳ねる。
その反応を見て、俺はにやりとほくそ笑んだ。
はは! どうだやってやったぜ!
これまでの流れを一切無視した規格外の一手!
さすがの清美もあきれ返って、これ以上メッセージを送ってこないだろう。
これに懲りたら素直に休み時間は友達と和やかに女子トークでもしてることだな。
やれやれ、おかしな幼馴染を持つと苦労するぜ。
一仕事終えた気分になり、椅子にのしりと背中を預けたその時。
またスマホが震えた。
【桔梗屋清美】
どうして分かったの?
バカなっ!?
風を切るほどに早く、俺はスマホから顔を上げた。
見れば清美は、こちらをチラチラ見ながら、胸のあたりを抑えて顔を赤らめている。
「くっ……落ち着け。落ち着くんだ、俺……!」
冷静に、冷静に考えるんだ……!
そもそも、あのサイズの胸で、下着をつけ忘れるなんてことがあるのだろうか?
普通そういうのはもうちょっとこう、胸の大きさが慎ましやかな子が犯す過ちなのではないだろうか、よく知らないけど。
それにおっぱいというのは結構な重量になると聞く。下から支えてくれるブラジャーがなければ、家を出る前にさすがに気付くのではないだろうか? いや、ほんとよく知らないんだけど。
ただ、もし、仮に、万が一の可能性として。
清美が夜寝るときに下着を付けない派だったとしたら?
そしてもし、清美が昨晩エロ動画を漁るのに夢中になっていて、夜更かしをしていたとしたら……?
よみがえるのは登校中のやり取り。
他愛のない、取るに足らない会話の断片。
『ふわぁ……』
『なんだよ、お前は眠そうだな』
『寝不足気味なの。少し寝坊したから、朝はバタバタしてしまったわ』
『へえ。お前でもそういうことあるんだな』
刹那――脳裏に閃光が走る。
繋がる、繋がってしまった。
今朝からの不毛なやり取りが、散りばめられた無数の点が、ここに来て一本の線となって一つの真実を浮き彫りにした。
そうか、そうなんだな、清美。
お前は今、そのセーラー服の下には――
「何も付けて……ないんだな……!」
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