第9話 盗賊の勝算
――夜、バスク侯爵邸。
つぎつぎと窓ガラスの割れる音。
屋敷のなかを駆け回る足音。
屋敷の明かりが消えていく。
室内に響く叫び声と悲鳴。
そして打撃音と金属音。
それらの音と声がひとつ、またひとつと減っていく。
やがて、ほとんどの音が消え失せた。
「エマっ!」
「兄さん、兄さん!? い、いやあぁーっ!」
屋内に不穏な静寂が広がっていく。
🐈🐈🐈🐈🐈
昼間とうって変わり、夜の歓楽街は、店の灯に誘われたニンゲンが大勢やって来る。
会話、足音、歌声、笑い声、楽器の音色が、あちらこちらから聞こえてくる。
妓楼「織姫や」の二階にあるスピカの私室。
ボクは、窓際に座るスピカの膝の上でまあるくなっていた。
魔導騎士カヲルコ・ワルラスによれば、ラステル亡命の計画を立てたのはレヴィナスとエリオン・アドラー、魔導騎士ディラン・ベルトラントの三人。
つぎはカヲルコから得た情報を手がかりに、エリオンとディランから証言を得るつもりだ。
「エリオン・アドラーの方は、いまのところ目撃情報なし。ファンフィールドへ帰ったのかもしれないわね」
スピカはボクの背中をなでなでしながら、そう話した。
アドラー伯爵の子息エリオンは、王都にいないらしい。
ファンフィールドは、アドラー伯爵が治める領地。王都からは、かなり離れたところに位置する。片道五日は必要だろう。
ファンフィールドは、ちょっと遠いね。まずは、手近にいるヒトから話を聞こうか。
「ディラン・ベルトラントは?」
「彼なら王都にいるわ。バスク侯爵家の家督承継がらみで色々あるみたい」
ボクは念入りに毛繕いをして、しばらく宙を眺めた。
ディラン・ベルトラントは事故死したバスク侯爵の庶子で、侯爵家の家督承継候補者だ。現在は、ノウム教会による審査がおこなわれているけれど、このまま他の家督承継候補者が現れなければディランがバスク侯爵家を承継する。
そのためか、バスク侯爵邸には貴族たちから多数の面会依頼が届くらしい。ディランは騎士団庁の仕事の傍ら、ここ最近、その対応に追われているそうだ。
正規ルートで、彼に会うのは難しいか。
面会依頼を出しても、たぶん、あっさり撥ねられるよね。
右後足で首筋を掻きながらそんなことを考えていると、誰かがこちらの部屋へ近づいて来た。
ほとんど足音はしない。けれども、まるで氷の刃を懐に忍ばせているかのような気配を感じる。
たぶん、アノ竜人のヒトかな。
「お頭」
部屋の外から、竜人女性のキヌエがスピカに呼びかけた。
彼女がスピカを「お頭」と呼ぶときは、盗賊稼業にかんする報せがあるときだ。
「キヌエ? どうかした?」
「入っても?」
「いいわよ」
キヌエが静かに襖を開けて、しずしずと部屋へ入って来る。落ち着いた様子だけれど、なにか急ぎでスピカの耳に入れたい情報があるらしい。
キヌエがスピカの側へ寄り、静かにその事実を告げる。
ボクも耳をピコピコ動かして、その言葉を聞いた。
思わず、スピカの膝の上から飛び降りてしまった。
「いかがいたしますか?」
スピカが険しい顔で、顎に手を当てて思案する。
いまから、バスク侯爵邸へ向かっても手遅れかもしれない。
けれどもディランは騎士団庁の魔導騎士。普通なら、盗賊風情に不覚をとることはないハズだ。
「すぐにバスク侯爵邸へ向かうわ。キヌエ、あなたも来なさい。それからヒルマンを呼んで」
スピカもボクと同じ考えらしい。ディランの救援に向かうことにしたようだ。
とはいえ、すでに夜。妓楼「織姫や」も営業中だ。ここは王都でも人気の店なので、開店からお客が何組か入っている。
盗賊「ハルカ」一味の多くは、この店で働くヒトたち。お客の相手をしているヒトもいるだろう。
事前に計画していたコトならともかく、今すぐとなると動かすことのできる手下は少ない。
けれど、ヒルマンか……。
まぁ、なにかの役には立つかもしれないね。カヲルコのときみたいに、また囮になってもらうというテもあるかな。
「かしこまりました」
スピカの指示に頷くと、キヌエは足早に部屋を出て行った。
「ティカレストからの情報にもあったね。ディラン・ベルトラントは、『鬼面猿猴』の連中に狙われていたとか?」
すこし前、ディラン・ベルトラントは貧民街を警ら中に鬼面猿猴の三人組に襲撃されたという。そこへちょうど出くわしたティカレストとハウベルザックが、ディランに手を貸したらしい。
なぜ、鬼面猿猴に狙われているのか。その理由については話さなかったという。
スピカは立ち上がると帯を解き始めた。「仕事着」に着替えるのだろう。
「アイツら、執念深いからね。あたしとしたことが抜かったわ」
そう言って、スピカはアメジスト色の瞳を悔し気に細めている。
打掛小袖を脱いで黒装束に着替えている間、彼女はずっと苦虫を噛みつぶしたような表情をしていた。まさか、大貴族の屋敷に襲撃をかけるとは予想していなかったようだ。
スピカが着替えを終えると丁度そこへ、銀髪をポニーテールにしたキヌエがヒルマンを連れて部屋へ戻って来た。
「お待たせいたしました」
「姐サン」
ふたりとも「仕事着姿」だ。準備は出来ているらしい。スピカとキヌエは、ボクのいた世界でいう「くのいち」みたいな姿だけれど、ヒルマンの方はフツウに「コソドロ」っぽい。
「ふたりとも準備はいいわね? 今から、バスク侯爵邸へ向かう。ディラン・ベルトラントの救援が、今回の仕事」
キヌエとヒルマンは無言で頷いた。
「すでにディランが討たれていた場合は、速やかにその場を離脱。鬼面の連中は相手にしないで」
相手の数も不明なうえに、こちらは少数。戦闘はできるだけ避けたいところだ。ディランが討たれているなら、なおさらムリするコトもない。
「はい、お頭」
スピカの意図を汲み取ったキヌエは、すぐに返事をした。
「ヒルマン、いいわね?」
「あいよォ。つっても、ディランは魔導騎士だよォ? 盗賊に後れを取るこたぁ無ぇと思うぜ」
ええと、その盗賊たちに後れをとった元魔導騎士が、ボクの目の前にいますケド?
ボクは瞬きしながら、ヒルマンを見上げた。
「ヒルマンさん、ウチや鬼面の連中をナメてはなりません。お頭を見ればわかるでしょう?」
キヌエが金色の瞳をヒルマンに向けて忠告する。
けれどもヒルマンは首を傾げて、スピカの方へ顔を向けた。
「姐サンは別格だよォ。ねぇ?」
「ふふっ。否定はしないケド、鬼面の連中は手段を選ばないからね。弱みを見せれば、しつこくそこを狙ってくる」
「あのディランに『弱み』ですかィ? 掴みどころの無ぇ野郎だけどねェ」
ヒルマンの言葉に、スピカは笑みを浮かべながら頷く。
「アンタのいうとおり、相手は魔導騎士。しかもディランだからね。だからこそ、勝算なく襲撃することは無いわ。おそらく鬼面の連中は、ディランの『弱み』を掴んだのよ」
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