第25話 ラステル・クィン亡命事件――ある護衛騎士の視点③

「まだ、遠くには行っていない筈だ。必ず捕らえろ!」


 私達を追う捜索隊の声がした。


 茂みのなかに身を伏せて、声のした方へ視線を向ける。

 丘の上で、沢山の松明の火が揺れている。捜索隊の怒号が、飛び交っている。


 このままでは、捜索隊に捕らえられるのも時間の問題だ。


 目を閉じて拳を握った。


 ――私は、ラステル様の護衛騎士。あるじの危機に私が身体を張らなくてどうする! 私が命を懸けなくてどうする!


 お嬢様の方へ顔を向ける。お嬢様は不安そうな表情で丘の方を見詰めておられた。


「お嬢様。私が彼らを引き付け、時間を稼ぎます。その間にお嬢様は、この森を抜けてテスランに入国を」


 私の言葉を聞いたお嬢様は、目を見開いて首を左右に振った。


「だめよ。あなたはどうなるの?」


 お嬢様はそう言うと、ラピスラズリを嵌め込んだような青い瞳に涙を浮かべておられた。


「必ず、追い付きます。私に構わず行って下さい。ターニャ、お嬢様を頼む」


 ターニャが頷いたのを見た私は、お嬢様に軽く会釈をしてその場を離れた。

 お嬢様たちから、できるだけ離れなければならない。


 私は身体強化をして森の外れまで疾走する。


 丘の麓あたりに煌々と松明を灯す一団があった。大声で怒鳴って、部下に指示を出している者がいる。どうやら、この辺り一帯を担当する捜索隊の隊長のようだ。


 指揮官を失った部隊は脆い。この隊の隊長を戦闘不能にすれば、かなりの時間を稼ぐことができる筈だ。


 私はその一団の背後に回った。樹の陰に身を隠して様子をうかがう。


 深呼吸をして、きつく目を閉じる。瞼に浮かぶのは父、母、そして婚約者の姿。


 ――父上、母上、さきに神の下へ参ります。どうかお許しください。

  サラ、すまない。どうか幸せに。愛している。


 私はカッと目を見開いた。隊長らしき騎士が兵士たちに指示を出している。私はその背中を狙って魔力弾を数発撃ち込んだ。


 一直線に飛んで行った赤い光球が、彼を直撃する。


「はぶべらっ!」


 背後から魔力弾をまともに受けた騎士は、大の字になって吹き飛んだ。


「ヒルマン隊長ーっ!」


 彼の周りにいた部下たちが叫ぶ。


 私は剣を抜いて森のなかから躍り出ると、その隊列に斬り込んだ。


 彼らを殺すつもりはない。私の目的は、捜索隊の注意をこちらへ向けること。陽動だ。

 一般兵士や騎士たちにも家族がいる。ここで彼らを殺害して、父や母、弟や婚約者のサラたちが恨まれるのを避けたい。


 殺さないように剣の腹で兵士たちを打ち据える。


 魔力弾を受けて吹き飛んだ騎士は、魔導騎士クロムリッターのひとりだったらしい。

 縮れ毛でエルフのような長い鼻をした瘦身の小男だった。


 彼は「くそがっ!」と言いながらよろよろと立ち上がり、周りの者に指示を出す。


「てめぇら、あのバカを捉えるんだよォ!」


 と右に立つ騎士と兵士に指示を出す。

 そして左にいる騎士と兵士に向かって、


「ヤツのいるその先に、クィンの娘たちがいるよォ。行けィ!」


 と指示していた。


 魔導騎士クロムリッターヒルマンの左の兵たちが、私の脇を駆け抜けようとする。通すわけにはいかない。通してしまえば、陽動だとバレてしまう。私は兵士たちを打ち据えた。


「私は、ラステル様の護衛騎士フランツ・ベリーニ。ここから、先へは行かせない!」


 そう叫ぶと、捜索隊へ向かって斬りかかる。


「HeyHeyHeyHeyHey、てめぇらァ、何をやってんだよォ。あんな雑魚ひとり取り押さえられんのかァ!」


 魔導騎士クロムリッターヒルマンが縮れ毛を振り乱して、部下たちに怒鳴り散らす。


「お前が来たらどうなんだ? 魔導騎士クロムリッターなんだろう?」


 私は、ヒルマンを睨みつけた。


「くっ! 雑魚騎士めェ!」


 逆上したヒルマンは、私に向けて次々と魔力弾を撃ち込んできた。

 私はその全てを躱して、一気に彼との距離を詰める。


 剣を薙いで彼の腹部を殴打した。


「ぶぼらっ!」


 強かに打ち据えられたヒルマンが後方へ吹き飛ぶ。


 どうやらこの魔導騎士クロムリッターは、近接戦闘がニガテのようだ。騎士としての格は向こうが上だが、十分に勝機はあるかもしれない。


「ぐっ……、こ、このアホがァ……」


 片膝をついて腹を押さえながら、ヒルマンは私を睨んでいる。信じられないことだが、この男は簡単な回復魔法も使えないようだ。


 この程度の男が、なぜ魔導騎士なのか理解に苦しむ。なにかの手違いだろうか。けれども、今だけはその手違いに感謝したい。


 私は口の端をわずかに上げた。

 彼の懐めがけて踏み込もうとしたその時だった。


 ――リィン。


 その場に似つかわしくない音色。

 鈴の音とともに現れたのは、黒髪を前下がりのショートボブにした女性騎士だった。


 白銀の鎧が黒のローブの下から覗いている。彼女も魔導騎士クロムリッターのようだ。


「ずいぶん、派手にやられましたね。隊長」


 黒髪の魔導騎士クロムリッターが、薄く笑ってヒルマンを見下ろしている。


「か、カヲルコォ! あ、あのアホを捉えちゃいなァ!」


 ヒルマンは女性騎士を見上げながら、私の方を指さした。女性騎士が翡翠色の瞳を私に向ける。


 ――カヲルコ……、ワルラス。


 騎士団庁随一といわれる剣の腕を持つ女性騎士だ。剣の腕だけなら、黄金騎士を凌ぐという。


 私は奥歯を噛みしめて剣を構える。


「はーい」


 彼女はヒルマンの指示に子供っぽく返事をすると、静かに剣を抜いた。


 私は背筋にヒヤリとしたものを感じた。全身に鳥肌が立つ。

 思わず息を呑んだ。


 すらりと伸びた手足で剣を構えるカヲルコの立ち姿は、美しく隙がない。完璧なお手本のような構え。私はこれほどの騎士と戦ったことはない。


 さきほど対峙した魔導騎士ディラン・ベルトラントでさえ、彼女と比べるとかすんで見える。


 そして、私は彼女の剣を凝視した。


 それは見たこともない透き通る刀身をもつ剣だった。剣の外延が青白い光を放ち焔のように揺らめいている。


「な、何だ、あの剣は? あれが神剣『草薙くさなぎ』……」


 カヲルコが、ニコリと笑みを浮かべる。ショートボブの黒髪がふわりと揺れ、彼女の姿が消えた。


「っ!?」


 彼女が私の懐に入っている。なんという踏み込みの速さと鋭さか。

 全身から、冷汗が一気に噴き出した。


 私は慌てて飛び退いて、カヲルコから距離を取った。

 口の中にビリビリするモノが広がっている。


 肩で息をする私を、カヲルコは笑みを浮かべながら見ていた。

 圧倒的な実力者の表情がそこにあった。


 ダメだ。とても敵わない。

 だが、ここで諦めるわけにはいかない。すこしでも時間を稼がなくては……。


「おおおおおぉ‼」


 腹の底から声を上げる。

 そうでもしないと、戦慄のあまり全身が固まってしまいそうだった。


 無理やり四肢を動かして、私は魔導騎士カヲルコ・ワルラスに斬りかかった。

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