第23話 ラステル・クィン亡命事件――ある護衛騎士の視点①
――二年前。
「お嬢様っ!」
暗い森のなかで、お嬢様は樹の根に足を取られた。
転んで膝を強く打ってしまったようだ。膝を押さえ声を殺して痛みに耐えておられた。
「お嬢様、お怪我は!?」
側仕のターニャが、心配そうにお嬢様のお顔を覗き込んでいる。
お嬢様は無理矢理、笑顔を作って「大丈夫です」とお答えになった。
「まだ、遠くには行っていない筈だ。必ず捕らえろ!」
私達を追う捜索隊の声がする。
茂みに身を伏せて声のした方に視線を向けた。
丘の上で、沢山の松明の火が揺れている。捜索隊の怒号が、飛び交っている。
このままでは、捜索隊に捕らえられるのも時間の問題だ。
――私は、お嬢様の護衛騎士。
お嬢様の方へ顔を向ける。お嬢様は不安そうな表情で、丘の方を見ておられた。
「お嬢様。私が彼らを引き付け、時間を稼ぎます。その間にお嬢様は、この森を抜けてテスランに入国を」
🐈🐈🐈🐈🐈
私は、フランツ・ベリーニ。クィン伯爵家の次女ラステル・クィン様の護衛騎士。
あの日、お嬢様の表情は悲しみに染まっていた。いつまでも、焦点の定まらない目でテーブルを見詰めていらっしゃった。
お嬢様の双子の姉マルティナ様にラムダンジュの適合紋が現れた日だ。
このため、お嬢様の「処分」が決定した。
ラムダンジュが双子の胎児に施された場合、通説によれば双子のうちどちらかは不適合者であるという。
そしてラムダンジュ不適合者は、世界に破壊と殺戮をもたらすとされている。
このためヴィラ・ドスト王国の慣例では、ラムダンジュを持つ双子のうち片方が先に適合者と判明した場合、未発現のもう一方は「処分」するという方針が採られていた。
廊下の方から、足音がする。女性と男性のモノだ。男性の方は騎士だろう。こちらへ近づいてくるのが判った。
――いよいよか……。
私は目を閉じて、拳を硬く握りしめた。
父、母、そして婚約者のサラの顔を思い浮かべていた。ヴィラ・ドストでの日々を思い出していた。
扉をノックする音が、脳裏に浮かぶ光景を打ち消す。お嬢様の側仕のターニャが、扉を開けて客を出迎えた。
部屋へやって来たのは、マリア・クィン様とジュストだった。このジュストも私と同様、お嬢様の護衛騎士だ。
マリア・クィン様は、お嬢様の母親だ。女性ながら、クィン伯爵家の現当主でもある。
マリア様は、お嬢様の様子を見て俯いた。お嬢様と同じ瑠璃色の瞳が、悲しみに揺れている。顔を上げると、私達を見回して硬い表情で頷いた。
「では、ターニャ、フランツ、ジュスト、手筈通りにお願いします」
マリア様の言葉に応じて、私達三人も顔を見合わせて頷く。
「お母様?」
お嬢様は、これからの「手筈」について何も聞かされていない。
「この日のために準備していました。ラステル、貴女は、この国から逃げなさい」
マリア様の言葉に、お嬢様は大きく目を見開いて首を左右に振った。
「え? それではお母様が、罪に問われます」
「構いません。もともと軟禁されているようなものです。私達クィンの女は、『魔導大全』の編纂のためだけに全てを捧げるのですから」
「でも、わたしは……」
マリア様は目を閉じ俯いて、首をゆっくりと左右に振って話された。
「貴女が不適合者なら、そのときは私が貴女を討ちましょう。けれども、まだ、どうか判りません。貴女が適合者の可能性もあります」
「わたしも適合者……ですか? それならば、なぜ、処分されるのですか?」
「サンドラ事件は、知っていますね?」
「はい」
――サンドラ事件。
かつて、この王国を震撼させた惨劇だ。
双子の妹として生を受けたサンドラ・クィンは、「クィンの末裔」でありながらラムダンジュの不適合者だった。
サンドラが持つ天使の力は暴走したため、当時の騎士団庁が彼女の討伐にあたった。
しかし、この事件で百数十名の魔導騎士が命を落としたという。最終的にサンドラ・クィンは、ラムダンジュ適合者だった彼女の姉に討ち取られた。
「あの事件以来、王国も教会も天使の力が暴走することを恐れているのです。ひとつ間違えば、王国は破滅します。双子がどちらも適合者である可能性、得られる利点を考慮しても王国の存亡を賭ける訳にはいかないのです」
「……」
残酷な話だ。ただ、双子だったというだけで、どちらかは必ず殺される。王国の存続という名の下に。
「それでも……、それでも私は、貴女に生きて欲しい。ならば、私は貴女のために罪人となりましょう。ラステル、たとえ貴女が不適合者で、沢山の人を殺めたとしても、貴女は私の愛する娘です」
「お母様……」
マリア様は涙を浮かべて、お嬢様に手を伸ばした。
「ラステル……、ラステル、どうか元気で。強く生きて。愛しているわ」
そして、お嬢様を抱き締めると、お嬢様の額に別れのキスをした。
「さあ、行きなさい」
おふたりとも、名残惜しそうな表情をしておられた。それでもマリア様は、お嬢様から手を離す。じっと、お嬢様の目を見詰めながら。
マリア様は、ターニャに視線で合図された。
「お嬢様、行きましょう」
ターニャが、お嬢様の背中に手を当てて退室を促した。
お嬢様は悲し気な表情を浮かべたまま、マリア様の方へ顔を向けていた。
逃走経路は、この屋敷の執務室から隠し通路を抜け別邸へ入る。そこからは、警備や騎士団庁の監視の目を掻い潜って他国へ向かう。
どの国へ向かうかについては、マリア様から特に指示は無い。ただ「創世神さまのお導きに従え」とのことだった。状況を見て、亡命先を決めろということだと私達は解釈した。
隠し通路は、屋敷の東側にある山の麓に立つ別館の地下室に繋がっている。
私達は、ターニャが用意していた蝋燭の灯りを頼りに薄暗い階段を駆け上がり、別館の玄関へと向かった。
外に出ようと、ターニャが玄関の扉に手をかけたときだ。
「やあ、お揃いで。どちらへ?」
声のする方を見ると、そこに白銀の鎧を身に着けた騎士が腕を組んで立っていた。
――
魔導騎士は、騎士団庁に所属する上級騎士だ。総勢五百名。
最上級騎士である
ゆらめく蝋燭の灯りが、魔導騎士の顔を浮かび上がらせる。
ターニャが後退りして声を上げた。
「魔導騎士ディラン。あなたが、なぜ、ここに!?」
魔導騎士ディラン・ベルトラント。
騎士団庁副長官ニコラウスの腹心と言われる男だった。
すぐさま私とジュストは、剣を抜いて構えた。
「ん? ああ、いかにも。……僕って、結構、有名人だったのですね」
蠟燭の明かりに照らし出されたディランは、冷たい微笑みを浮かべている。
彼は静かに剣を抜いて言った。
「で、どちらへ?」
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