第22話 仮面の黒騎士

 ――ヴィラ・ドスト王国セキレイ領。


 テスラン共和国と国境を接するこの地は東西交通の要所であり、軍事的にも極めて重要な地域だ。それゆえ、ここには騎士団庁管轄の拠点「ブラント要塞」がおかれている。


 この要塞は、かつての領主ホーディ・ブラント伯爵がテスラン共和国軍の襲来に備えて建設した長城である。南北に延びる長く連なった堅牢な城壁は、これまで幾度も外敵の侵入を阻んできた。


 その長城の櫓に立つ、白と黒の陰陽太極図を模した仮面の騎士。


 漆黒の鎧を身に着けていることから、この仮面の騎士は騎士団庁所属の「黒騎士シュバルツリッター」のようだ。


 黒騎士は、魔導騎士クロムリッターよりも一つ下のランクの騎士である。

 魔力値700~800の騎士のうち、剣技に特長のある者が黒騎士、魔力に特長のある者が白騎士ヴァイスリッターに任命される。黒騎士と白騎士は、部隊を率いる魔導騎士の副官として二名から五名ほどが配属される。

 ちなみに、黒騎士・白騎士の下は、青騎士ブラウリッター(魔力値400~690)、赤騎士ローテンリッター(魔力値390以下)と続く。


 仮面の騎士の視線は、夕日で赤く染まった大地の先に向けられている。

 テスラン共和国軍の砦がある方面だ。


 テスラン共和国軍に、いまのところ目立った動きはない。


 けれども、最近、不穏な情報も流れていた。

 テスラン共和国内では、「いまこそ、ヴィラ・ドスト王国に侵攻すべし」と主張する過激派が勢いづいており、侵攻の準備を始めているというのだ。


 バスク侯爵の死により、ヴィラ・ドスト王国はテスラン共和国との重要な外交ルートを失っていた。


 このためテスラン共和国は、様々な憶測からヴィラ・ドスト王国への不信を強めていたのである。


 国家間であっても、対話が無ければ両者の溝はいとも簡単に広がるものだ。


 それは、ヴィラ・ドスト王国とテスラン共和国との間であっても例外ではなかった。


 もともとテスラン共和国は、ヴィラ・ドスト王国の傀儡国家だった。

 ヴィラ・ドスト王国は、東側諸国との緩衝地帯とするためにテスラン共和国政府の樹立をバックアップしたのだ。


 やがて、テスラン共和国政府はヴィラ・ドスト王国に不信を持つようになり、共和国内は親ヴィラ・ドスト派と反ヴィラ・ドスト派に分断されて現在に至っている。


 もっとも、こうした政治的状況さえもヴィラ・ドスト王国は利用してきたのであるが……。


 たとえば、新王が人気取りのために、テスランの反ヴィラ・ドスト派を刺激して攻め込ませ、防衛戦で圧勝するといった具合に。


 しかし仮面の騎士には、今のテスランの状況はこれまでと異なるモノに見えていた。言い換えれば、背後関係が見えない。この緊迫した状況を作り出したのは、ヴィラ・ドスト王国の者なのか他国の者なのか。


「小隊長、カヲルコ大隊長がお呼びです」


 現れた伝令係の赤騎士ローテンリッターが、仮面の騎士の背後から声をかけた。

 その声に仮面の騎士は振り向くと、コクリと頷いた。


「すぐに行く」


 彼は自分の部隊に休息の指示を出してから、カヲルコのいる部屋へと向かった。


 仮面の騎士はカヲルコの部屋の前に立つと、扉をノックした。


「ゼルバイオです」


「どうぞ、入って」


「はっ」


 陰陽対極図の仮面の騎士ゼルバイオが、扉を開けてカヲルコの部屋へと入る。


 部屋のなかでは魔導騎士カヲルコ・ワルラスが、執務机で書類に目を通していた。

 彼女は、この要塞の北面防衛を担当する指揮官である。ここへ来て二年がほど経つ。

 副長官のニコラウスの不興を買って、追い払われたというワケではない。恩師でもある騎士団庁長官グレゴリウスから、直々に要請された任務だった。


 普段は好々爺としている長官グレゴリウスの真剣な目つきから、カヲルコはテスラン共和国との緊張関係が急激に高まっていると理解した。


 それはさておき、カヲルコがゼルバイオを呼び出したのは、テスラン共和国の件ではない。別件である。


「最近ね、この要塞周辺でちょこまかとネズミが、いろいろ嗅ぎまわってるらしいわ」


 カヲルコはそう言うと、手にしていた書類を机の上に放り投げるようにして置いた。


「ネズミですか?」


 カヲルコは頷いた。

 翡翠色の瞳を細めて、ゼルバイオに視線を向ける。


「しかも、二年前のね。貴男が死んだあの事件のこと」


 カヲルコが言う二年前のあの事件というのは、クィン伯爵家の次女ラステル・クィンが側近たちとともに亡命を図った事件である。


 将来、確実に天使の魂が暴走する者として、ヴィラ・ドスト王国は慣例に従いラステル・クィンを処分しようとした。ところが、彼女は護衛騎士、側仕を連れて国外へ亡命を図った。


 この件に関し、王政の公式発表は「慣例に従い処分した」というだけである。もっとも、騎士団庁の報告書には、カヲルコ・ワルラスが森の中に潜んでいたラステルを発見し処分したと記録されている。


「貴男も生真面目な男ね。なにも私の下で働くことなんてないのに。ラステル嬢たちの後を追っても良かったのよ?」


「死んだはずの私が今更ノコノコと出てきても、お嬢様にご迷惑をかけるだけです」


「それだけかしら? 元婚約者のコが心配で、ときどきそっと様子を見に行っているんでしょ?」


 カヲルコは、悪戯っぽい微笑みを浮かべている。

 ゼルバイオの方は、微動だにしない。動揺しているのかどうか、表情は仮面の下に隠れているので分からない。


「それにしても、いったい何者でしょうか?」


「さあ? 第二王子派か、第三王子派の手の者かもしれないわね。まっ、こんなところで情報収集したところで、何も出てこないでしょうけど。だって、この要塞であの時のことを知っているのは、私と貴男だけなんだから」


 ゼルバイオは俯いている。考え事をしている様子だ。


 ラステル亡命事件の後、しばらくして「ラステル・クィンは生存している」という噂がヴィラ・ドスト王国、テスラン共和国で流れた。


 現在のヴィラ・ドスト王国とテスラン共和国間の緊張関係を生み出した原因の一つである。


 しかし、その噂の真偽を調べるなら、この要塞の周辺を嗅ぎまわるより王都やテスランの方が良いハズだ。ネズミたちは、当時のことを知るカヲルコの周辺を探っているということだろうか?

 いったい誰が? 場合によっては「対処」が必要になる。


「何者なのか気になります。私の方で、探りましょうか?」


「そうね。念のため、お願いするわ」


「かしこまりました」


 ゼルバイオは、左胸に右手を当てて返事をした。


 じつは、このときカヲルコの周辺を探っていたのは「盗賊ハルカ」の頭領スピカの手の者達。その調査を依頼したのは、冒険者ギルド9625のマスター黒猫シャノワである。


 カヲルコもゼルバイオも、嗅ぎまわっていたのがネズミではなく、黒ネコだったとは夢にも思うまい。

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