第23話 狂王子

 ゼメキス公爵邸を後にしたレヴィナスは、エーナトルム宮殿に戻るなり自分の部屋に誰も入れず引き籠ってしまった。


 薄暗い部屋の中でひとり、彼はテーブルをじっと睨んでいた。彼の銀眼が、怒りと悲しみと悔恨に揺れている。歯を食いしばり、膝の上の拳を固く握りしめた。


 自分を次期王位につけるため、サクラコを政略結婚に利用しようと画策していたゼメキス公爵とリスト公爵。

 それを阻止するため、サクラコの命を奪ったバスク侯爵。彼に協力したとみられる騎士団庁副長官ニコラウス。護衛すべきサクラコの拉致・暗殺に手を貸した二人の騎士。そして、血を分けた妹に恋慕の情を抱いていた弟アマティ。


 幼い妹は、王族、貴族たちの思惑の犠牲になった。

 幼い妹を利用し、またはそれを阻止するために命を奪った。


 ひとりの幼女にそこまでしなければならなかった理由を、レヴィナスにはどうしても理解できない。


「……狂っている。この国は、王族も貴族も騎士も、みんな狂っている」


 頭を抱えガシガシを掻いて、顔を左右に振った。


 サクラコと過ごした時間を思い出して、苦しそうに自分の胸倉を掴んでいた。


 アマティやバスク侯爵が彼に向けてきた視線、父である王が自分に見せる表情、口角を上げるニコラウスの表情。


 次々と彼の脳裏に浮かぶ彼らの姿。思い出すたびに、レヴィナスは悔し気に拳でテーブルを叩いた。


「ふ、ふふふ、ははははははは」


 やがて、大きな声で笑い始めるレヴィナス。


「ならば、オレも狂ってやろう。この国の誰よりも、世界の誰よりも狂った王子となってやろう」


 ――それから約一月後。


 レヴィナスは王都を離れ、学術都市シュテルンフューゲルに来ていた。


 ヴィラ・ドスト王国では、秋になると一〇歳から十五歳の少年少女達が国内外から学術都市シュテルンフューゲルに集まる。この街にある王立学院へ通学するためだ。


 ――ヴィラ・ドスト王国王立学院。


 第五代国王トレミィの発案により王政、ノウム教会、騎士団庁が寄付をして設立した二〇〇年の歴史を持つ総合学院だ。


 各領地で選抜された少年少女達が、魔法や剣術のほか、語学、宗教学、哲学、地政学、歴史学、政治経済、法学、数学、物理学、化学、生物学……などを五年間かけてこの学院で学ぶ。


 王族であるレヴィナスとアマティ、クラウスもシュテルンフューゲルにある王族専用の離宮、レネン宮殿から通学する。


 レヴィナスは最終学年、アマティは四年生、クラウスは三年生になる。


 講義初日の朝、レヴィナスは鏡に映る自分の姿を眺めていた。彼の側には、アリシアが用意した衣服や化粧品などがおかれている。


 鏡の前に立つレヴィナスの背中を、アリシアは心配そうな表情で見つめていた。


「アリシア、済まないが手伝ってくれないか」


「かしこまりました」


 アリシアは目を閉じて静かに答えた。

 大きくため息を吐いて天を仰ぐレヴィナス。立ち上がり、上半身裸となりナイフで自分の髪を切る。


「レヴィナス様っ、いったい何を!?」



 支度を整えた第二王子アマティは、部屋から宮殿の廊下へ出た。それに続くようにクラウスも部屋から姿を現した。


 亜麻色の頭髪に碧眼、やや華奢な体格の王子がアマティ。こげ茶色の頭髪に紅色の瞳、兄のアマティよりも上背があり体格の良い王子がクラウスである。


 ふたりは、聞こえてきた足音のする方に顔を向けた。廊下の奥の方から、姿を見せたのは彼らの兄だった。しかし、そこにいたのは、いつもの兄の姿ではない。


 尋常でないその姿に戸惑った様子のクラウスは、レヴィナスに声をかけた。


「あ、兄上? そのお姿は……」


 二、三度瞬きしたアマティは、レヴィナスの姿を見て笑い出した。


「ぷっ、はは、ひゃはははははは」


 美しく長い金髪をバッサリと短髪にしたスパイキーヘア。顔の化粧は悪魔メイク。とても大国ヴィラ・ドストの第一王子には見えないその姿。いや、本人なのかどうかすら定かでない。


「兄上ぇ。なんですかあ? そのオカシな恰好。ひゃはははははは」


 レヴィナスが弟たちの問いかけには答えず、クラウスの前を通り過ぎる。

 アマティの前に差し掛かったときだった。


「とうとう、頭がオカシくなったので? 次期王位も断念されたのですかあ?」


 ニヤニヤしながらアマティがレヴィナスに声をかけた。

 するとレヴィナスは、アマティの方へ顔を向け微笑んだ。そして彼の耳元に顔を近づけ囁く。


「アマティ。サクラコに手をかけたお前が、王になれると思うなよ。バスク共々、すりつぶして魔物のエサにしてやるからな」


「ひっ!?」


 それを聞いたアマティの肩が、一瞬ビクリと跳ね上がった。レヴィナスがアマティに鋭い視線を向けている。やがてアマティは、真っ青な顔をして額に汗を浮かべた。まさか、目の前に立つ兄が自分に疑いの目を向けているとは、想像もしていなかったようだ。


 その様子を見たレヴィナスは、わずかに口角を上げた。


「へへっ、どうだ? 少しは、この狂った国の王子らしくなっただろ?」


 背後に控える側仕の女性に顔を向けて、レヴィナスはそう尋ねた。

 答えに窮したのだろうか、あるいは言えないような答えが頭をよぎったのだろうか。声をかけられた側仕は、困惑した様子でさっと視線をそらすように俯いた。


 レヴィナスは「ふっ」と小さく笑い、唖然とする執事や使用人、側仕え、護衛騎士達を見回して言った。


「いいか、お前たち。『第一王子レヴィナス・ヴィラ・ドストは狂った』と触れ回れ。いくら尾ビレをつけても構わんし、なんならデマでもいいぞ」


 いったいこの王子は何を言い出すのかと、周囲にいた者たちはお互いに顔を見合わせている。


「あはははははは」


 金髪スパイキーヘアの王子は、愉快そうに大笑いした。

 その笑い声が、レネン宮殿の廊下に響き渡る。



 その奇抜な姿と王子らしからぬ奇行から、ヴィラ・ドスト王国の貴族たちは、いつしか彼をこう呼ぶようになった。


 ――狂王子。


 狂王子レヴィナス・ヴィラ・ドスト。

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