第15話 黒猫は見た

 アリシアは、ノウム教会枢機卿ハウベルザックに駆け寄った。


 ――ハウベルザック枢機卿。


 十二人いるとされるノウム教会枢機卿のひとり。

 現在は、アルメア王国内にあるノウム教会「東部教団本部」に駐在している。

 このとき彼は、年に二回行われるノウム教会の幹部会議に出席するため、ヴィラ・ドスト王国王都に来ていた。


 その隣に立つ黒いスーツを着た短髪黒髪の男性は、シャシャ商会の会頭ユヌス。黒曜石のような双眸が、鋭く光っている。


「アリシア、久しぶりですね」


 アリシアは、ノウム教会の元修道女である。修道女になったときから、ハウベルザックの下で教会での勤めを果たしてきた。


 修道女になる前、彼女は隣国テスラン共和国を中心に活動する盗賊だった。パートナーの死をきっかけに修道女となったが、レヴィナスに出会ったことがきっかけで還俗し彼の直属の諜報員になった。


「ヴィラ・ドストに戻っておられたのですね」


「ええ。会議のため、しばらくこちらに滞在する予定です」


 アリシアは、ハウベルザックの腕のなかの黒猫に視線を移した。


「あら、可愛らしい黒猫ですね」


 艶やかな毛並みと金色の瞳を持つ黒猫は、アリシアと目が合うと「ニィ」と鳴いて彼女をじっと見ていた。

 アリシアも笑みを浮かべて黒猫を眺めている。


 そして視線をハウベルザックに戻すと、彼女は懐かしそうに笑顔を見せた。


「枢機卿さまは、また、医療院へ?」


 貧民街には、教会が設立した医療院がある。枢機卿になる前、ハウベルザックはこの医療院の運営に携わっていた。アリシアも、彼のもとで医療院の運営に関わったことがある。


「ええ。こちらの方が医療院へ寄付をして下さるということで、ご案内しているのです」


 そう言って、ハウベルザックは隣に立つユヌスの方を見る。


「シャシャ商会のユヌスと申します。よろしくお見知りおきを」


 右手を左胸にあてて、ユヌスはアリシアに軽く会釈した。


 アルメア王国のシャシャ商会会頭ユヌスは、先ごろ販売を始めた「ハイデンレースライン」の売り込みのため、一か月ほど前にヴィラ・ドストへやって来た。

 「ハイデンレースライン」は、貴族や商人に人気のある野薔薇の絵が描かれた陶器だ。


 この頃、シャシャ商会はヴィラ・ドスト王国の王都に拠点を置くことを計画していた。そのためユヌスはヴィラ・ドスト王国に滞在し、この王国で大きな権力を持つノウム教会の後ろ盾を得ようと奔走していた。

 そんな折、ハウベルザックもヴィラ・ドスト王国の王都に滞在中であったため、彼を訪ねたのである。


 そしてハウベルザックの提案により、シャシャ商会の名をヴィラ・ドスト王国に広めるためにノウム教会が運営する施設に寄付をすることにした。


「貴女は、ここで何を?」


 ハウベルザックはアリシアに尋ねた。


「サクラコ様が暗殺された日の夜に、この辺りで黒塗りの馬車を見た者を探しているのです」


「馬車ですか。ふむ」


 ハウベルザックは腕のなかの黒猫と顔を見合わせてから、ユヌスの方を見た。首を振るユヌス。ユヌスは知らないようだ。


 すると突然、ハウベルザックの腕から黒猫がひょいと飛び降りた。


 音もなく地面に着地した黒猫はハウベルザックの方を振り向いて、ニィと鳴いてからとてててと歩き出した。そして、角を曲がった細い路地へと入っていく。


「失礼」


 黒猫の様子を見ていたハウベルザックは、アリシアとユヌスに軽く会釈をして、黒猫の後を追いかける。

 細い路地に入ると、道の真ん中でその黒猫はちょこんと座り、右腕をぺろぺろと舐めていた。


「シャノワ様、いったいどうされたのです?」


シャノワは顔を上げると、ぴこぴこと耳を動かして金色の瞳をハウベルザックに向けた。


「さっきの馬車のコトだよ。夜のお散歩中に見た」


「黒塗りの馬車ですか?」


「うん。紋章の部分に認識阻害をかけていたから覚えてる。なんだろうと思って、鑑定スキルで診たんだ。三つの頭を持つ竜の紋章だった」


 一瞬、何を言われたのか分からないという顔で、ハウベルザックはシャノワを見つめている。普通ならば、そのような馬車が貧民街の道を走るなど、到底、考えられない。それほど馬車の紋章は意外なモノだった。


 そしてシャノワから視線を外して顎に手を当て、くぐもった声で「なぜ、このようなところに?」と呟いた。


 認識阻害をかけられていたにも関わらず、シャノワが黒塗りの馬車の紋章を見ることができたのは、馬車の紋章に認識阻害をかけた術者のレベルがシャノワの鑑定レベルよりも低かったからだ。


 シャノワの鑑定レベルは96なので、ほとんどの術者の認識阻害は見破られてしまうけれど……。


 シャノワがとてとてと彼に近づくと、ハウベルザックは反射的に少し屈んで腕を差し出した。そしてシャノワを抱っこすると、踵を返してアリシアたちのところへ戻った。


「お待たせしました。そうそう、馬車ですね。思い出しました。三つの頭を持つ竜の紋章が入った馬車を見ましたよ」


 ハウベルザックの言葉に、ユヌスは目を大きく見開いた。


「三つの頭の竜ですと!? そんな馬車が、なぜ、このようなところに?」


 意外な紋章の登場に、どうしても少し声が大きくなる。


 アリシアもハウベルザックの証言に大きく目を見開き、手で口を塞いだ。そして、信じられないといった様子で首を振っている。


「まさか、そんな……。それは、間違いありませんか?」


「ええ、間違いないでしょう」


 ハウベルザックはシャノワを見ながら頷く。シャノワは、ピンクの薄い花弁のような舌をぺろりと出して鼻柱を舐めた。


「失礼いたします。枢機卿さま、ありがとうございました!」


 アリシアはハウベルザックに軽く会釈すると、踵を返して駆け出した。

 みるみる小さくなっていく彼女の背中を眺めながら、


「サクラコ王女拉致・暗殺事件の夜……ね」


 とシャノワは呟いた。

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