第14話 黒塗りの馬車を追って

「バスク侯爵!?」


 ヴィラ・ドスト王国で一、二を争う大貴族の名前を聞いたレヴィナスは、大きく見開いた銀色の双眸をカヲルコに向けた。


 カヲルコが騎士団庁副長官ニコラウスに呼び出されてから、二日後の事だった。

 レヴィナスが王都に戻ったとアリシアから聞いたカヲルコはエーナトルム宮殿へ赴き、魔導騎士クロムリッターディラン・ベルトラントから得た情報をレヴィナスに報告した。


 ディランによれば、サクラコの護衛騎士達は拉致・暗殺事件の三日前にバスク侯爵の側近と会っていたという。


 部屋の中央に置かれていたテーブルを挟んでカヲルコの正面に座っていたレヴィナスは、席を立ち窓の方へ歩いていく。


 バスク侯爵は、ヴィラ・ドスト王国の大貴族のひとりである。

 

 彼が治める領都ダン・ハンク。初代国王ヴィラ・ドストが、建国の功臣初代バスク侯爵に与えたものである。大陸を横断する東西交易路の分岐点として栄える大都市だ。

 このためバスク侯爵家は王国で最も財力があり、これを背景として王政に対しても強い発言権をもっていた。

 また第二王子アマティの母親である第二王妃カトリーヌは、バスク侯爵の娘である。


「この話が事実なら、不自然よね。バスク侯爵の側近が、サクラコ様の護衛騎士に何の用があったのかしら?」


 カヲルコは窓に向かって歩くレヴィナスの動きを目で追いながら、そう言って首を傾げた。


「襲撃計画の最終確認でしょうか?」


 アリシアはティーカップに紅茶を淹れ、カヲルコの前に差し出してそう尋ねた。

 

「その可能性が出てくるわね」


 カヲルコは頷いてそう言うと、今度は窓際に立つレヴィナスが彼女の方に顔を向けて尋ねた。


「カヲルコ、その話は一体誰が?」


「騎士団庁の同僚でね。ディラン・ベルトラントという人が教えてくれたの。サクラコ様の事件の捜査を担当している魔導騎士クロムリッターね」


 カヲルコの話を聞いたレヴィナスは、顎に手を当てて俯いた。


 その様子を見たカヲルコは、アリシアが淹れた紅茶を一口含んだ。そして、ふとティーカップを見つめる。カフェ「ねこの長靴」で見たのと同じ野ばらの絵柄だ。


「それにしてもその男は、どうやって事実を突き止めたのでしょう?」


 アリシアの疑問は当然だろう。護衛騎士の死因に着目していたカヲルコ達でさえ、手を尽くしても知ることができなかった事実だ。


 もちろん、サクラコの事件捜査を担当していたディランが、サクラコの護衛騎士の死因に疑問を持った可能性はある。

 そうだとしても問題は、どうやって護衛騎士達が「バスク侯爵の側近と会っていた」事実を知ったのかである。


 たんに「誰かと会っていた」くらいなら、まだ分かる。それが「バスク侯爵の側近」だとなぜ判明したのか? 


 人物が特定されている点を、アリシアは不審に思ったのだろう。


「わからないわ」


 カヲルコはティーカップをソーサーに戻すと、目を閉じて首を振った。


「ディランというのは、どんな男だ?」


「平民出身の騎士よ。家名があるから、元は貴族の家柄みたいね。悪い人じゃないと思うけれど、つかみどころがないのよ」


 カヲルコにとってディランは、同じ魔導騎士クロムリッターであっても、プライベートではほとんど付き合いもない男だ。騎士団庁に入庁した経緯や生い立ちなど、詳しいことは何も知らない。

 

「こちらの調査を攪乱する狙いでしょうか? そうだとしても、理由がわかりませんね」


 アリシアは視線を伏せて頬に右手を当てている。


 何らかの狙いはあるだろう。アリシアの言うように、こちらの調査を攪乱するつもりかもしれない。


「その男のことは、とりあえずおいておこう。カヲルコ、引き続き護衛騎士の件と併せて、バスク侯爵の事件前後の動向も調べてくれ」


 レヴィナスは早々にディランの人物像を探ることを諦め、バスク侯爵の件に思考を切り替えた。


「……相手が大貴族になると少しやりにくいけれど、やってみるわ」


「頼む」


 🐈🐈🐈🐈🐈


 貧民街で黒塗りの馬車の正体・行方を追っていたアリシアは、少し焦っていた。


 というのも、未だレヴィナスに報告できるだけの情報が集まっていなかったからだ。

 シュテルンフューゲルから王都に戻った後、配下たちから捜査状況の報告を受けた彼女は芳しくない成果に肩を落とした。


 拉致・暗殺事件の夜、王女サクラコは貧民街の倉庫で黒幕の一味に引き渡された後、「黒塗りの馬車」でどこかに連れ去られたことが判っている。


 じつは「黒塗りの馬車」を見たというだけなら、目撃証言はいくつかあった。


 けれども馬車に描かれている紋章や貧民街を出た後の足取りなど、犯人に結び付く決定的な手掛かりを欠いていたのである。


 目撃証言は、いいかえれば「記憶」だ。日が経つにつれて、人の記憶は薄れて次第に曖昧なものとなる。だから、このテの調査はスピードが命だ。

 にもかかわらず、決め手になる目撃証言を得られないまま、時間だけが過ぎていく。


 こうして事件発生から、すでに一か月以上が経過していた。


 その間、アリシアは自らも貧民街に足を運んでは、事件当日に「黒塗りの馬車」を見た者はいないか捜査を続けていた。


 ある日、いつものように貧民街の大通りを歩いていると、少し先を歩く真紅のローブを羽織った銀髪の大漢の姿が彼女の目に飛び込んだ。


 銀髪の大漢は、ショートヘアの黒い頭髪で肩幅の広い黒スーツを着た男と並んで歩いている。何やら親し気に話をしているようだ。


 真紅のローブを羽織った銀髪の大漢に、彼の広い背中にアリシアは見覚えがあった。


 彼女にとって、久しぶりに見るその背中。


「枢機卿さま!」


 真紅のローブを羽織った銀髪の男性が振り向く。優し気な碧の瞳をアリシアに向ける銀髪の大漢――


 ハウベルザック枢機卿。


 アリシアの声に振り向いた彼は、その逞しい腕のなかに一匹の黒猫を抱いていた。

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