第12話 わたりネコ②
暗闇のなかから、エイベルムがボクに問いかける。
「なぜネコの貴方が、あの王子に、そうも肩入れするのでしょうか?」
「彼は、ボクが初めてお話ししたヒトで、お腹いっぱいになるまで雷鳥のソテーを食べさせてくれたヒトだからだよ」
アルメア王国の第一王子レオンは、このディヴェルト・ライレアでボクがいちばん最初に会話をしたヒトだ。
あるとき彼は、お腹を空かせていたボクに雷鳥のソテーを食べさせてくれた。
世の中に、こんなにおいしい食べ物があるなんて! それ以来、雷鳥のソテーはボクの大好物になった。
レオンが暮らすルーナリエナ宮殿で食事をするときは、いつも雷鳥のソテーを食べている。それが目当てで、日を置かず通っていた時期もある。
ボクを「シャノワ」という名前を付けてくれたのも彼だ。
とくにお気に入りの名前というワケではない。それよりも喜びの方が勝っていた。いままで名前のなかったボクに、初めて名前をくれたから。
レオン、ボクはキミにどんなお返しをすればいいのだろう?
初めてお話してくれたヒトに。初めて雷鳥のソテーの美味しさを教えてくれたヒトに。そして、初めて名前をくれたヒトに。
アルメア王国第一王子ではあったものの、レオンには有力な貴族の後ろ盾がなく王位継承争いで腹違いの弟である第二王子と第三王子に大きく水をあけられていた。
そんななかで母親を失い、彼自身も幾度となく命を狙われてきた。
一時期の彼は、暗殺の影に怯え気軽に食事をするコトもできなければ、十分に寝るコトさえもできなかったほどだ。宮殿から外へ出るコトもなくなった。
精神的にも追い詰められ、とうとう思い余って自殺を図ろうとした。
それを発見して、止めたのはボクだ。
あろうことか宮殿の側仕たちは、コトの成り行きを物陰に隠れてただ見ているだけだった。
せっかく決心がついたというのにどうして止めた、と涙を流すレオンの頬っぺたを、ぺろぺろと舐めながらボクは言った。
――キミは、ボクと初めてお話をしてくれた。たくさんお話したよね。そしてキミは、ボクに雷鳥のソテーをお腹いっぱいになるまで、たくさんたくさん食べさせてくれた。そしてキミは、……初めてボクに名前をくれた。
だから、キミが安心してヒトとお話しできるように。キミが安心してご飯を食べられるように。キミが夜ぐっすりと眠ることができるように。
ボクが、キミの盾になるよ。どんな刃も、きっと防いでみせる。
……けれどもボクが盾になるとして、レオンにそんな平穏が訪れるようにするには、どうしたらいいのだろう?
アルメア王国は、長子相続が原則の国だ。だから国王が第二王子または第三王子を「王太子」とせずに死亡した場合、第一王子のレオンが国王となる。
このコトが、第二王子派、第三王子派にとって、力のないレオンを目の敵とする理由になったようだ。
この点を踏まえて、考えなければならない。
ボクは、まず、このまま王位継承権争いを続けてこれに打ち勝つのがいいのか、あるいはそれ以外の身の安全を図る策を採るのがいいのか、一生懸命、考えた。
けれども身の安全を図るコトができそうな策は、三つしか思い付かなかった。
所詮はネコの頭なのだと、がっかりした。
①レオンに王位継承権争いから身を引いてもらう。
……これが最も現実的な選択肢なのかもしれない。けれども第二王子派、第三王子派が放っておいてくれるとも思えない。たとえば彼らの反対勢力の貴族(または他国)が、レオンを担ぎ上げたりするコトを恐れるだろう。支持者がすくない現時点でも、レオンが命を狙われるのはそのためだ。
②他国に婿入りする。
……アルメア王国を離れたからといって、第二王子派、第三王子派が手を引いてくれるとはいえないだろう。彼らの懸念材料が消滅するワケではないからだ。たとえば、婿入先の軍勢を率いてアルメアになだれ込むコトを恐れるだろう。加えて、婿入先で新たな政敵に狙われるコトもありうる。敵が増えるだけだ。
③身分を捨てて平民になる。
……身分を捨てたところで第二王子派、第三王子派の懸念材料が消滅するワケではない。この場合でも、彼らの反対勢力がレオンを担ぎ上げることを恐れるだろう。護衛などが付かない平民に身分を落としたところで、第二王子派、第三王子派が手を下しやすくなるだけだ。
もちろん、ボクが彼の飼いネコになるコトも考えた。
けれども、飼いネコか野良ネコかでボクのやることが変わるワケじゃない。
それにボクは「わたりネコ」。エイベルムのヤツに、いつ強制召喚されるかわからない。
ボクがアルメア王国を不在にしているときであっても、レオンを守ってくれるヒトがいると安心だ。
そうだとすれば、このまま王位継承権争いを続けるとしても、最初の策を採用するにしても、レオンの支持者を増やして勢力を拡大していくしかないのかもしれない。
そう考えて、「ギルド9625」と「黒猫会議」を設立した。
「クッ、クヒャハハハハッ」
エイベルムの甲高い笑い声が、辺りに響き渡る。それに合わせて、周りの景色が激しく波打った。
「なにが、可笑しい?」
ボクは、笑い声のした方を見上げてそう言った。
「ククッ。いえ、ネコらしいお答えで安心しました。ヘンに、正義感だの理想論だのに訴えられるよりはマシです」
今度は、別の方向からエイベルムの声がする。
「……」
ボクは耳をぴこぴこさせながら、声のする方へ振り返った。
「そうでしたねぇ。貴方と最初に会話をした人間も、貴方に雷鳥のソテーの味を最初に教えたのも、あの王子でした。なるほど。『初めて記念』というワケですか。ククククク」
「……」
暗闇の空間に、エイベルムが姿を現した。漆黒の頭髪に整った顔立ち。ルビーを嵌め込んだような双眸。黒のスーツの上から、黒地に複雑な模様を金糸で刺繍したロングコートを纏っている。
姿を現すたびに異なる風貌なので、どれが彼の本当の姿なのかは分からない。
「そうだとしても、これ以上貴方が手を出すのは控えていただきたいものです。出来る限り手を加えず、自然の成り行きに任せて何が起きるのかを観察する。野山の花を愛でるのと同じように。それこそが、ディヴェルト観察の醍醐味なのです。それなのに貴方は、本来ならば死んでいた筈のあの王子の命を救いました。あの王子が自殺しようと弟たちに惨殺されようと、それはそれで歴史を彩る素敵な一頁になったでしょうに……」
「……レオンたちは、あなたの玩具じゃないよ」
ボクはエイベルムを睨みつけた。
「玩具ですよ?」
「なっ!?」
エイベルムは、ボクを見下ろしながら薄笑いを浮かべている。そして、やれやれといった表情で目を閉じると、ワケのわからない説明を始めた。
「貴方は、何か勘違いしているようですねぇ。ディヴェルト観察は、ワタシの趣味です。ですからディヴェルトは、ワタシにとっては玩具のようなモノ。貴方は、そのワタシの玩具で勝手に遊んだうえ、台無しにしようとしているのです。たとえばシミュレーションゲームをやっているとして、いいカンジのところでセーブしておいたとしましょう。それを友人がやってきて勝手に遊んだ挙句、『ここまで進めておいたぞ』と言われて嬉しいですか?」
「そんなので、遊んだコトないから知らないよ!」
「……そうでした。貴方はネコでしたね。例えを変えましょう。貴方も、お散歩をワタシに邪魔されたりしたら怒るでしょう? それと同じです」
……確かにあなたは、よくボクのお散歩を邪魔しているよね。
「ですからワタシのディヴェルトを、貴方に掻きまわされるのは大変不愉快なのです。最初に言ったはずですよ。自由に過ごしてよいけれども、観察者、傍観者でいろと。安易に、人間社会に手を出すなという意味です」
「いまの言葉、そっくりそのまま返すよ。あなたも、ボクのお散歩を邪魔しないで欲しいな」
ボクは、しっぽを左右にぴたんぱたんとさせて、彼に反論した。
自分の趣味を邪魔されたくないのなら、ボクの趣味も邪魔しないで欲しい。
「クククッ。ホントに口の減らないネコですねぇ。どうやら、躾が足りなかったようです。そうそう。わたりネコの躾け方をご存じで?」
「知るワケないでしょ」
「こうするのです」
彼の手がボクの胸に突き刺さり、ずぶずぶと入ってくる。そして、なにかが引き抜かれたようなカンジがした。つぎの瞬間、視界がぐにゃりと曲がり、ボクはその場にペタンとうつ伏せ状態になった。なんだか、すごく気分も悪い。
「ククククッ。貴方の命をひとつ剥がしました」
!? ど、どういうこと!?
ぐにゃぐにゃの視界のなかを目を凝らして見れば、彼の手のひらの上で七色に輝くオタマジャクシのようなモノがびちびちとうねっている。
アレが……、命? ひとつ?
「おや? 言い忘れましたかね? 最初に、ワタシが貴方に与えた命は全部で六つ。今そのうちのひとつを、返してもらいました」
「な、六つだって!?」
ディヴェルトで命を落としても、生きて元の世界に戻るコトができるとは聞いていた。けれども、複数の命を与えられていたというのは初耳だ。たんに寿命を伸ばしてくれたのだと思っていた。
「ああ、でも誤解しないように。消費できるのは、ひとつのディヴェルトについて、二つまでです。ライレアでは、あとひとつ、ということになりますねぇ」
「つ、つぎにライレアで死んだらどうなるのっ!?」
エイベルムは、貼り付けたような微笑みを浮かべていた。
「しばらく、ライレアはおあずけです。いいコにしていれば、また、渡らせてあげますよ」
「……っ!」
屈辱、憎悪、焦燥、戦慄、寂寥などをない交ぜにした言いようのない感情が、お腹の底から湧き上がってくる。
「これに懲りて、今後はお気をつけ下さい」
「レオンの王位継承権争いに手を貸すなと?」
「クククッ。そうは言っていません。今回は警告です。貴方は、少々、ワタシを甘く見ているようですからね。ワタシは、貴方に自由を約束しました。ですから、あの王子に肩入れしたければ、お好きにどうぞ。ただしワタシが気に入らなければ、最後の命を剥がします」
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