幕間 老作家ポッサ 

 テラスに置かれたテーブルの上にちょこんと座り、前足をぺろぺろと舐めて、ボクは顔を洗う。


 ポッサは足を組んで椅子に腰かけて、にこにこしながらボクの話を興味深そうに聞き入っていた。


 時折、眼鏡をかけ直してノートにメモを取ったりしている。


 ボクの話が一段落すると、彼はノートのメモを見直した。

 顎をなでながら宙を見て、またノートに視線を落とす。


 ボクはしっぽを左右にふりふりしながら、そんなポッサの様子を眺めていた。


 彼は、小説家。

 きっと、ボクから聞いた話をもとに作品の着想を得ようとしているのだろう。


 どんな作品になるのか、ちょっと楽しみ。


 やがて彼は眼鏡を外して、ボクに視線を向けた。


「一休みしようか。何か食べるかい?」


 彼は椅子の背もたれに身体を預けるようにして、ボクに微笑みかけた。


「そうだね。すこしお腹が空いたよ。鶏肉がいいな」


 ボクがそう言うと、ポッサは頷いて立ち上がり、ゆっくりした足取りで部屋へと入って行った。


「ふう」


 空を見上げてみた。


 青い空に、はぐれ雲がひとつ浮かんでいる。

 ふあふあと、ゆったり流されている。


 ボクは、くあーっと、ひとつあくびをした。


 うーん。

 気持ちいいね。


 ディヴェルト・ライレアでの忙しい日々が、うそのようにのんびりした時間だ。


 とにかく、今回は色々ありすぎた。

 たぶん今日だけでは、とても語り尽くせないと思う。


 明日も明後日もその次の日も、ここに来てポッサに話してあげよう。

 きっと彼は今日みたいに、にこにこしながら聞いてくれるだろう。


 なんたって今回は、たくさんたくさんキミに話したいコトがあるんだ。


 しばらくするとポッサが皿を持って、部屋のなかからテラスへと出てきた。


「お待たせ。さぁ、クロ。キミの好きな鶏のササミだよ」


 ………。


 彼は、ボクの前に蒸した鶏のササミを盛りつけた皿を置いてくれた。

 その乳白色の鶏肉は、猫舌であるボクのためによく冷ましてある。


 ボクは鶏のササミに鼻を近づけて、その香りを楽しんでから、一口はむはむと咀嚼した。


「ポッサは、アレだね。作家のくせにネーミングセンスは、いまいちだよね」


 はぐはぐと鶏のササミを食べながら、ボクは呟いた。


「……この名前は、気に入らないのかい?」


 すこし残念そうな表情をボクに向けるポッサ。


「黒猫に、『クロ』って名付けるのはねぇ……」


 もともと捨て猫のボクには、名前なんてない。


 じつは、名前にそれほどこだわりがあるワケでもない。


 だからといって、同じような名前はふたつもいらない。


 ……さすがに、もう『クロ』は、ないよね。

 『シャノワ』っていう名前があるからね。


 どちらも、黒猫だからというありがちな名前だ。


「ふむ。キミのような猫ともなると、少し凝った名前がいいのかもしれないな。そういえば知ってるかい? 猫には、三つの名前が必要なのだそうだよ」


 三つも!?

 多くない?


 ん?

 ……あれ?


 よくよく思い出せば、ボクも三つくらいの名前で呼ばれているコトに気が付いた。


 でも、必要かと言われると、どうなんだろう?

 いく先々で、勝手に名前をつけられて呼ばれているだけだ。


 べつに、名前なんて無くても気にしないケド……。


 ボクが首を傾げていると、ポッサは指折り数えながら猫の名前について語り始めた。


「ひとつは『家族が毎日使う名』。もうひとつは『いっぷう変わっていて威厳のある呼び名』。そして最後に『深淵で謎めいた、たったひとつの名前』だそうだ」


 っ!


 このなかのひとつが、ボクの琴線を激しく掻き鳴らす。


 し、深淵で謎めいた、たったひとつの名前……。


 ナニそれ! カッコいい!!


「ここはひとつ、キミのために深淵な名前を考えてみようかね」


「いいね、それ。楽しみにしてるよ!」


 鶏のササミを食べ終わると、ボクは口の周りをぺろっと舐めた。


 ポッサは紫煙を燻らせながら、空を眺めている。

 さっき言っていた深淵な名前とやらを考えているのだろうか。

 また、ヘンな名前を考えているんじゃないだろうか。


 やがて彼は、ふとなにかを思い出したようにボクへ視線を移して尋ねた。


「ところで『空間の裂け目』とやらの正体は、何か判ったのかい?」


 ……。


 ――「礎のダンジョン」九〇階層にあらわれた「空間の裂け目」。

 その向こうには、別の空間が広がっていた。


 コレが結構とんでもないというか、しょうもないというか、迷惑千万いい加減にして欲しいと言いたくなるようなシロモノだった。


 どうやら頭がオカシイのは、エイベルムだけではなかったらしい。


「うん。でも、それはずっと後の話になるかな」


 ポッサは、両目をぱちぱちと瞬きした。


 そして今回のお話も、かなり長いモノになりそうだと悟ったようだ。

 ボクのするお話が大好きな彼は、しわの深い顔にぱあっと満面の笑みを浮かべている。


「ほうほう、そうかね。それから……、ラステルさんはどうなったんだい? ラムダンジュは発現したのかな?」


 ポッサは、テーブルに身を乗り出すようにしてボクを見ている。


 じつのところ、「空間の裂け目」よりも関心があるようだ。


 どうやら彼も、ラステルのコトがお気に入りらしい。


 そうだね。

 まずは、その辺りから話そうか。



🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈


ラステルのことをもっと詳しく知りたい方は、拙作『冒険者ギルド9625』をご笑覧ください。


『冒険者ギルド9625』

https://kakuyomu.jp/works/1177354055405576003


同作の最終話からも、『わたりネコのアノン』第二章第一話へ続きます。

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