第10話 久遠の孤独②

 うねうねとした薄暗く幅の狭い坑道の奥から、さわさわと水の流れる音が聞こえる。


 坑道を抜けると、そこには大きな洞内どうない空間が広がっていた。


 成長したつらら石と石筍せきじゅんが連結してできた石柱は、まるで大聖堂のパイプオルガンのよう。

 眼下には、大きい皿のような鍾乳石が折り重なって広がる石灰華段丘せっかいかだんきゅう

 その一枚一枚が、冷たく透き通った地下水をたたえている。


 ボクとシュパルトワは、そんな水と石灰岩の造形を見ながら、上の階層へと続く道をとてとてコツコツと歩いていた。


 一二〇階層は、いつ来ても綺麗だね。


 流石のグラビスも、この辺りに白骨を撒くようなマネはしなかったようだ。

 ここにあんなモノをバラ撒かれたら興醒きょうざめだ。

 どうやら彼にも、この自然美を解する感性はあるらしい。


 小川のような地下川のほとりをしばらく歩いていくと、前の方で大きな漢が立ってこちらを睨んでいた。


 ボクは立ち止まり、ちょこんと座ってシュパルトワの方を振り返る。


 シュパルトワも立ち止まり、いったんボクの方に視線を落としてから前に立つ大漢おとこに視線を向けた。


「ここに、いたのか……」


 詳しくは聞いていないケド、このふたりにはナニか因縁があるらしい。


 ボクたちの前に立つ大漢おとこの名はロウダン。

 自ら「闘神」と称している。


 ボクが「わたりネコ」としてディベルト・ライレアに来るようになる以前から、この「礎のダンジョン」に籠っているらしい。


 その期間、なんと四〇〇年以上。


 このダンジョンに入った者は、どういうワケか老化しない。

「齢をとらない」というべきか?

 ダンジョン内にどれほど長期間滞在しても老いるコトはない。ダンジョンに入ったときのまま地上に出るコトができる。


 もっとも、外の世界の時間は進んでいる。

 だから何十年もこのダンジョンに籠ると、ボクが生まれた世界に伝わる「亀を助けた勇者」のようなことになる。


 四〇〇年以上もこのダンジョンに籠っていたら、もう、彼のコトを直接知る者は外の世界にはいない。


 いったい、なんのために四〇〇年以上も礎のダンジョンに独り籠っているのだろう?


 このおとこ、普通の冒険者と違って、魔石や魔物素材あるいはこのダンジョンの秘宝と伝えられている「コルステラ」を求めているワケでもない。


 と、シュパルトワが言っていた。


「コルステラ」は別名「創世神の叡智えいち」とも呼ばれ、ノウム教会所蔵の『旧大聖典』にのみその記録が残されている。

『旧大聖典』は、現在、ノウム教会本山にある図書館の禁書庫で保管されており、ごく限られた者以外は閲覧が許されていない。


 このため、今では、コルステラの存在はほとんど知られていない。


 ……まぁ、コルステラのことは知らない方が幸せかもね。

 たぶん、ロクなモンじゃないと思うよ。


「フン。また、その猫か。一体、どこから迷い込んでくるのだ?」


 ロウダンが、ボクに視線を落としてそう言った。


 ロウダンは、ボクが「わたりネコ」であるコトもニンゲンの言葉を話すコトも知らない。

 ボクと彼が会うときは、いつもシュパルトワが一緒にいる。

 そのためロウダンは、シュパルトワが「迷いネコ」を保護して地上に返しているのだと思っているらしい。


「……さあな。しかし猫は、創世神様の御遣みつかいだ。無事、外へ送ってやらねばならん」


 シュパルトワは、ボクの方に視線を落としてそう言ってから、屈んでボクを抱っこしようと腕を伸ばした。


「知らんな。創世神の御遣みつかいか……。ハッ、骨だけとなっても敬虔けいけんなことだ」


 悪態をつきながら、ロウダンはボクをじっと見詰めている。


 ボクが差し伸べられた腕のなかへと歩いていくと、シュパルトワはボクを抱っこして立ち上がった。

 そして、ボクの首のあたりを優しくなでなでしてくれた。


「………」


 ロウダンのエメラルドのような双眸そうぼうが、なおもボクに向けられている。


 …………。


 そして、懐に手を入れながら、ブロンズの髪を揺らしてこちらへ近づいてきた。


「………」


 …………。


 彼はボクたちの目の前に立つと、さっと懐からなにかを取り出して、ボクの鼻先にそれを近づけた。


 ……いらない。


 ふいっと、顔をそむけるボク。


「なっ!」


 世界が終わったかのような表情を見せるロウダン。


 ロウダンがボクの鼻先に近づけたのは、なにかの干し肉だった。

 なんの肉か判らない謎肉だが、絶対、ただの肉でないコトだけは明らかだ。


 ネズミやコウモリならマシな方だろう。


 見た目や匂いからすると、普通は食べないヤツだ。


「くっ、シュ、シュパルトワ。その、少しでいいのだ。そのネコ、こちらにくれ」


 実は、このおとこのネコ好きは筋金入り。

 だが、これまでネコに好かれたことは無かったらしい。


 そうだろうね。

 キミ、身体じゅうから、なんかスゴく酸っぱい匂いがするから。


 総じてネコは酸っぱい匂いを嫌う。その匂いを放つモノは、腐敗している可能性があるからだ。

 くわえて、その人外の域にあるモノが放つ覇気。


 ネコどころか、ほぼすべての獣に恐れられると思う。


 シュパルトワは、ロウダンからボクに視線を落とした。


 ニィ。


 ちょっとだけなら、いいケド。


「すこしだけだ。食うなよ」


「何をっ! 俺は、誓ってネコだけは食ったことはない!」


 ……ネコだけ?


 ロウダンはシュパルトワからボクを奪い取り、へにゃりとした表情をしながら、なでなでもふもふし始めた。


 やがて頬ずりし始め、ついには……、


 唇をとんがらせて……、


 てしっ、てしっ、ばりっ。


 鼻面にねこパンチして、後ろ足の爪で引っ掻いてやった。


「ぶぐわっ!」


 アホかっ! 調子にのるなっ!


 ボクはロウダンの腕から飛び降りて、とてとてとシュパルトワの方へ歩いた。


「ここまでだ」


 シュパルトワはボクを抱っこすると、引っ掻かれた顔を押さえてへたり込むロウダンを置いて歩きだした。


 コツコツコツとシュパルトワの足音が洞窟内を木霊する。


「必ず、ヒトのままでたどり着けよ。いつまでも、私は君を待つ」

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