番外編② ユリちゃん 来島

 フォーチュンドリャが亡くなって一年ほど経ったある週末、終業間際のロージーのデスクに受付から内線電話が入った。ロージーに来客だという。お名前を聞いても心当たりがない。


 受付へ出てみると、テッラのユリちゃんだ。ソーラーシステム第四大学工学部で、たしかフォーチュンより一年下のゼミ仲間だった人だと思う。テッラの人は、結婚すると姓が変わることがある。ユリちゃんも、内線で聞いた姓が学生時代と違っていたから、結婚なさっているのだろう。


「ロージーさん、ご無沙汰しています。突然お訪ねして申し訳ありません」

 ユリちゃんは、卒業後疎遠になっていた工学部の先輩から、フォーチュンドリャが亡くなったことを聞き、矢も楯もたまらずネプチュン鳥島へやってきたのだという。


「お墓参りをさせていただきたいのです」


 ロージーも仕事中だったゆえ、その場は少し立ち話で近況を伝え合い、翌日、ふたりはロージーの運転する車で墓地の丘へ向かう。


 ユリちゃんは、お花を供えたいのだけれど、この島には花屋さんが一軒もない。ロージーも、お墓参りに行くというのにお花の一本も持って来ていない。その理由はすぐにわかった。

 ネプチュン鳥島人の瞳と同じサファイアブルーの海を遠くに見晴るかす高台の墓地には、ビイル薔薇の花がわんさかと咲いている。というより、ビイル薔薇のお花畑の中に墓地が造られている。いや、そもそもこの島は、道と農地と建物以外、ビイル薔薇で埋め尽くされている。

 淡い霧に覆われた島全体が花と芳香に包まれ、幻想的な天国みたいなので、ユリちゃんはうっかり、

〈ワタシ、まだ生きてるよね〉

 って、ほっぺをつねってしまいそうだ。



 ここでは墓石までバラ色だ。

 ロージーが、まだ新しい墓標の前で立ち止まる。ユリちゃんにはネプチュン語の文字は読めないけれど、ここにフォーチュンドリャさんが眠っているのだろう。

 美しい書体の文字で、二人の名まえが刻まれている。フォーチュンと、もうひとりはお兄さんのアルチュンドリャさんだそうだ。刻まれた日付を見ると、フォーチュンより半年余り後に亡くなったらしい。ご両親の悲しみは如何ばかりかと、ユリちゃんは胸が痛む。


 指を組んで跪き、祈りを捧げ、まだ新しい墓石を撫でながら、ふたりは語り合った。


 濃厚なビイル薔薇の香りは、ロージーにとっては生まれたときからまったく日常の空気だけど、ユリちゃんにはびっくりするほど素晴らしい香りらしい。

「F国L社の製品に、この花の精油が使われていますよね? そのブランドのボディーローションの香りが好きで、愛用してるんです」

「ユリちゃん、よくわかったわね。原材料名と原産国名は国家機密級の企業秘密なのに・・」

「ええ。フォーチュンドリャさんも同じ匂いだったから」

「・・・・・」


 女の勘、みたいなもの・・・・。ユリちゃんはフォーチュンと、ただのゼミ仲間っていうだけの関係ではなかったのかもしれない。

 ユリちゃんも、

『ロージーさんも同じ匂いだから』

 とか言って、ここはなんとかごまかすべきなのかもしれないのだが、黙っていた。


 アルチュンドリャには、かつて愛し合ったレイヤさんがいて、グリンちゃんもいる。フォーチュンドリャには、ロージーの知らない一年間がある。

 なんだかやるせない気分のまま、二人はそれぞれの思いを胸に、バラ色の墓石を撫でる。


 ユリちゃんがおもむろにバッグから一冊の大学ノートを取り出した。

「フォーチュンドリャさんが卒業されるとき、もらったんです」

「?・・フォーチュンのノートなんて参考になるの? 字がぐちゃぐちゃでしょう?」

「いいえ、・・・っていうか、はい、っていうか・・・ほんとにぐちゃぐちゃな字で・・・」

 ロージーとユリちゃんは思わず顔を見合わせ、吹き出してしまった。フォーチュンの字の汚さといったら、それはもう筋金入りで、生前勤めていた会社でも、メカノフくんという後輩を班長とする解読班があるくらい、ぐちゃぐちゃなのだ。


「遠くに離れてしまうから、記念に、サインでももらうみたいな感覚で、直筆のノートをもらいました。私も同じゼミにいたから、字は汚くても内容はわかるんですけど、どうしても読めない箇所があって・・・たぶんネプチュン語だと思います」


 ロージーが見せてもらうと、懐かしいフォーチュンの汚い字で数式や図がびっしり書いてある。


「読めないのは、二か所。・・・ここと、ここ」

 ひとつは表紙に書いてあるフォーチュンの名まえだ。ネプチュン語で、

『フォーチュンドリャ・ネプチュン』


 もうひとつの一行の文をユリちゃんが指さす。記号と数式の並んだそのページの余白に、ネプチュン語で書かれた文字列は、


『ロージー、会いたい』


 ロージーは涙がどわっと溢れ出し、ユリちゃんもつられて涙が溢れ、ふたりして声を上げて泣いた。



 帰りの車の中で、あの一行の意味をついにロージーから聞き出したユリちゃんは、また少し泣いた。


 ふたりはそれから、フォーチュンドリャの自宅を訪問した。ご両親は、遠くテッラからはるばる来てくれたユリちゃんを、フォーチュンの部屋へも案内し、形見の品でも何か持って行って下さいと言われる。

 ユリちゃんは、心の中で、フォーチュンのいた部屋の気配に浸りつつ、あまりきょろきょろ見回しても失礼なので、少し遠慮してしまう。ロージーは、この部屋へは何度もおじゃましていたし、ご両親もロージーを身内のように思っているから、ほとんど親戚みたいな感覚だ。


 本棚の片隅に置いてある、子ども用のマグカップをロージーが手にとり、

「ユリちゃん、これをいただいたら?」

 とすすめた。フォーチュンが小さいころ、よく花粉ミルクを飲んでいた〈ひよこちゃんコップ〉だ。白地に、半透明なネプチュン鳥のひよこの絵が描かれた、丸くて可愛いマグカップ。


 ご両親はユリちゃんに、

「こんな田舎で何もないけど」

 といいながら、ビイル薔薇のポプリをたくさん持たせて下さった。ロージーもユリちゃんに、故アルチュンドリャの会社が製造する最高級品質のビイル薔薇精油をお土産に持たせた。



 テッラに帰ったユリちゃんは、フォーチュンの形見のマグカップを、自分の子どもに使わせようかどうしようかと考えて、結局、ポプリポットとして、自分が大切に使うことにした。

 幼い頃のフォーチュンが大事に両手で包み、ふうふうしながら花粉ミルクを飲んでいたのであろう丸い〈ひよこちゃんコップ〉。

 その可愛いひよこの絵に癒されながら、思い出を切なく胸に抱き、ユリちゃんは育児を頑張る。

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