姉弟 楽園の日々

 ホロスコープの計算のほうは抜かりない、と思う。天球儀の分割体系が異なる数通りの方法で、誤差が出る部分を誤差のまま計算し、それでも変わらない共通項をくくると、際立つ特徴を示す角度が形成される時刻が絞られていく。

 その〈時〉の行動の手順を、ふたりは確認しておく。



 昔この島で仲良く遊んでくれた子どもたちは、そのほとんどがおそらく進学や就職で島外へ出てしまっているだろう。島に残っている人がいて、道で出会ったとしても、お互い気付かないだろうな。

 グリンたちは、島探検(ほぼ野遊び)の途中で出会う人たちと挨拶しておしゃべりを交わす。それから、ネプチュン鳥さんたちともおしゃべりを交わす。道順を覚えた祖父母の家へも遊びに行き、一緒にお散歩を楽しんだりもしている。

 外ですることは限られていて、あとは、部屋でアルチュンドリャのノートを読む。デューンは、一冊読み進むごとに、より深く入り込んでいき、自分でもメモを取りながら何か考えているみたいだ。



 寝つきのよいグリンは、ベッドに入ると5分も経たないうちに眠ってしまう。ひとこま深く眠り、半分目が覚めると、隣のベッドでデューンがごそごそ寝返りを繰り返している。


「なに? デューン、眠れないの?」

「・・・姉ちゃん・・・おれ・・・ここが・・あの・・」

 デューンの手が押さえている箇所を見て、

「あれ? おねしょしちゃったの?」

 寝ぼけながら、小さい頃しょっちゅう言ってた言葉が機械的に口から出てしまったが、まてよ、いま我々がる位置はどこだ? と考え、頭が少しはっきりしてきたので、言い直した。

「漏らしちゃった?」

「ううん。まだ・・・漏れてない」

「抜いてきたら?」


 さ、また寝よ。グリンも寝返りをうち、デューンに背を向けて布団にもぐる。


「えっと・・・姉ちゃん。手伝って」

 はいー? なにがかなしゅうてワタシが弟の精液を抜いてやらにゃならんのだ?

 無視したが、デューンの気配が動かないので、面倒くせ、と思いながらも振り向くと、息を詰めてこらえている様子のデューンがなんだか可哀想になり、グリンは起き上がった。


 をデューンの手から引き取り、さすってあげる。デューンの息が上がってきて髪にかかると、グリンはくすぐったいというより、照れくさい感じがする。

「こまめに抜いておきなさいよ」

「・・・・・」

「?」

 あ、お返事ができない状態か。優しく手を添えてやりながらも、ちょっとからかってみたくもなり、唇を重ね、ぐいっと深めのキスを押し込んだ。デューンの喉からこぼれる声、なかなかいいんじゃない? なんて思う。

 処理後、グリンはからかいついでに、

「彼女ができるといいね」

 と言ってあげた。

「うん」

 素直に頷くデューンのしおらしい姿・・・カワイイ奴だ。

「おやすみ、デューンちゃん」



 次の週末は、メカノフさんが宿まで迎えに来てくださり、再びロージーさんたちと過ごした。

 バーラちゃんは、普段はメカノフさんに勉強をみてもらうけれど、この日は数学と化学をデューンちゃんに教えてもらい、はりきっている。素敵な家庭教師だ。

 窓からネプチュン鳥が一羽、部屋へ舞い込んできてデューンの肩に止まり、バーラちゃんが問題を解くのを一緒に優しく見守る。



 一家がお気に入りだという場所へも連れて行ってもらった。ご自宅からだと、ウォーキングにちょうどよい距離だという。

 道中もひたすらビイル薔薇畑だから、天国を歩いているのかしら? ってな気分になってしまう。

 嗅覚のほうは、同じ匂いに慣れると麻痺してくるものだが、それでもなお優しい香りを心地よく感じるから、ビイル薔薇臭素恐るべし・・だ。


 細長い小さな浜辺。砂浜のすぐきわまでビイル薔薇畑が迫っている。なんか敷いてあるのかと見まがうくらい、砂粒までが薄いバラ色だ。

 波打ち際は透明な水に砂のバラ色が透けて見え、だんだんと水色が濃くなり、ディープブルーへのグラデーションが見事だ。


 ここで見る夕焼けショウはまばたきを忘れるほどの壮大な芸術だ。凪いだ海はまるで鏡面のよう。水平線を軸に線対称のバラ色模様を金色の輝きが渉っていく。

 背後のビイル薔薇畑と足元のバラ色の砂が、海との境界線をぼやけさせ、足で立っているのにふわりと浮いてしまいそうな錯覚に陥る。


 メカノフさんはロージーさんの肩を抱き、バラ色を映し込む海を、水平線の遠くまで眺めている。


 陸海空すべてバラ色に染まった世界に、グリンとバーラちゃんの、サファイアブルーの瞳が、溶け込むように似合っている。

 デューンは、ネプチュン鳥島人の瞳を美しいと思う。海の深い青色の宝石を授けられて生まれてきた人たちだ。

 ここの人たちは毎日こんな幻想的な夕暮れの景色に身を浸し、海の神様から祝福を受けるのだ。この世の楽園と表裏一体であるはずの〈影〉は、どこにどんなふうに吸収されているのだろう? 無意識の地下世界で圧を高めているのだろうか?



 ロージーさん宅で夕食をご馳走になり、メカノフさんが車で姉弟を宿へ送ってくださる。

「グリンちゃんの何気ない居住まいが、フォーチュンドリャさんに似てるな、って思ったよ。きっとロージーも同じように感じてたと思う」

「フォーチュンドリャさんは、どんなかたでしたか?」

「字が下手で・・」

 三人とも思わず笑ってしまう。まずそこか? それから、メカノフさんは、何を思い出したのか、ちょっと涙ぐむ。ひとこま路肩に車を寄せ、涙を拭き拭き語ってくれた。


「『優柔不断だった』ってロージーは言うけど、芯の部分でははっきりした考えを持っていたよ。今の僕からみても、優秀な技術者だったと思う。

 蒸留器はね、精油製造会社ごとに求めてくる仕様が異なるんだ。各社の細かい注文内容に合わせて僕らは設計する。アルチュンドリャさんの会社へ納入する製品もあって、フォーチュンドリャさんはそれもわかっていて、でも変わらず淡々と仕事をこなしていた。どんな気持ちだったんだろうね・・・」


「離れていても、蒸留器をとおして、かなり近くで繋がっていたんですね」

「そうだね。どこかで繋がってる、と思えることは救いだったのかな? 口数は少ないけど、わりといつもにこにこしてたよ。自然と周りに人が寄ってくる感じだった。

 最後にお見舞いに行ったときは僕も辛かったな。口元では微笑んでくれたけど、目は嘘をつけない。あのフォーチュンドリャさんが、もう微笑むこともままならないほど苦しそうで・・・。ロージーはお見舞いに行って泣いちゃった、って言ってた」



 エブリデイ絶景の楽園にも人の悩み苦しみ悲しみがある。アルチュンドリャとーちゃんとフォーチュンドリャおじさんはずっと前に亡くなったけれど、祖父母とナオスガヤさんたち、ロージーさん、メカノフさんはそれぞれ、いまでも彼らをかけがえのない人として、心の中に感じ、愛している。グリンとデューンの心にも、彼らが大切な人として感じられる。

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