姉弟とロージーさん

 ロージーさん宅へ向かう車の中で、ナオスガヤさんにデューンが尋ねる。

「アルチュンドリャとーさんと同級生だったのに、ナオスガヤさんは飲バラしなかったんですね」

「舐めてみたことはあるよ。興味本位でね。でもマズ過ぎて飲めなかった。飲バラした人たちは、そこを突破したわけだから、強かったともいえるし、一線を越えてしまったという意味では弱かったのかな。どこか自傷行為的で、逃避場所を必要としていたのかもしれない」


 ナオスガヤさんは、デューンが『アルチュンドリャさん』ではなくて『アルチュンドリャとーさん』と呼ぶのを、微笑ましい気持ちで聞いている。

〈まるで息子もいるみたいだね、アルチュン。素直ないい子たちだよ〉



 グリンはロージーさんに、アナザフェイトちゃんのことを訊いてみたいと思う。それから、娘さんのバーラちゃんに会えるのも楽しみだ。


 ネプチュン鳥島の祖父母が買ってくれたローズピンクのランドセルを、グリンは小学校のあいだ大切に使い、卒業後そのランドセルはバーラちゃんの手に渡った。メカノフさんとロージーさんが希望したのだ。

 祖父母は、そういうことなら、フォーチュンが生前お世話になったお二人の娘さんだから、血のつながりはないけれど、新しいランドセルを買ってあげたい、と申し出て下さったが、ロージーたちが、グリンちゃんから受け継ぎたいというのでそうしてもらった。

 バーラちゃんはそのランドセルを背負うと『たくさんの人から守られてる感じがする』と言い、やはり大切に使ってくれたそうだ。


 バーラちゃんがグリンのランドセルを使い始めた頃『らんどせるありがとう』とお手紙をくれて、それ以来、何回か手紙のやり取りをしている。実際に会うのは初めてだ。バーラちゃんは高校生になっている。


 ロージーさんは、笑顔も話し方も、のんびりした感じが昔の印象と変わっていない。

 そのロージーさんに熱烈アタックでプロポーズしたというメカノフさんは、故フォーチュンドリャさんの会社の後輩。なんでも、字が汚くて読めないフォーチュンドリャさんの書面を解読するチームが自然発生的に立ち上がり、そのチームリーダーだったという。ご趣味はパズルを解くことだそうな。いちどジュピタンの古文書も読んでもらいたいな、とデューンは思う。


 溌溂として純朴なバーラちゃんは、平和な楽園の島で、皆から愛されてすくすく育ってきた風情のお嬢さんだ。グリンたちは年上だけど、ロージーさんとメカノフさんがずっと『グリンちゃん、デューンちゃん』と呼んでいたから、バーラちゃんも同じように呼ぶ。


 バーラちゃんはデューンを誤解してるようだ。初対面の瞬間から、目がハート型になってる。まあこんな見た目だし、おとなしいから、〈繊細なイケメン王子様〉であるかのような幻想を抱いてしまう気持ちもわからぬではないが、こいつが小さい頃ねしょんべんたれの泣き虫ボウズであったことも、いまではエロ本だって見てることも、お風呂で鼻歌を歌うことも、グリンは知っている。それが音痴なことも。



 この島では家の周りのビイル薔薇畑が自分ちの庭みたいなものだ。家の中まで、ビイル薔薇のいい香りがする。芳香剤は要らない。この島の人たちは、芳香剤というものすら知らない。敷地の境界線というものも、ない。雑草も生えないから、お手入れ不要の庭なんだけど、考えてみれば不自然でもある。


 テラスでランチをしながら思い出話で盛り上がる楽しいひととき。

 グリンは、アナザフェイトn番ちゃんのことを、ロージーさんにだけ話してみるつもりでいたけれど、皆さんの人柄が、不思議なことでも受け入れてくれそうな、柔軟性に富む、というか、ものごとにこだわらないような雰囲気だったから、思い切ってここで話を切り出してみた。

 そもそもこの島の人たちは、かつて旅のぬいぐるみたちが滞在して、ネプチュン鳥たちや役場の職員さんたちと仲良く過ごしていたことを知っているし、そのぬいぐるみたちは、バラ中撲滅キャンペーンのお馴染みのポスターのモデルでもあり、〈嗅ぐは極楽 飲んだら地獄 ビイル薔薇〉というキャッチコピーを手書きしてくれたのもぬいぐるみさんだったことも知っており、そういうことをすんなり受け入れている人々なのだ。


 グリンたちは、ロージーさんがマーズタコ湖でアナザフェイトn番ちゃんと出会ったときのお話を聞かせてもらった。

 メカノフさんは前にも聞いたことがあったらしい。バーラちゃんも、母親と元カレとのラブストーリーに困惑するほど子どもではない。ナオスガヤさんには初耳だった。


 

 フォーチュンドリャさんが亡くなってすぐ、ロージーさんが休暇を取って旅行に出かけたマーズタコ市は、お二人が学生時代を過ごした街だ。

 第四大の学生だったころ、ロージーさんとフォーチュンドリャさんが、一度だけ、マーズタコ湖畔で抱き合った。いつもはぶらぶらお散歩するくらいで、特に恋人らしいコトを行なうということもなかったのだが、そのときだけ、もののはずみで・・。


 そのとき、〈もうひとつの運命〉として成ったn番ちゃんが、およそ8年後、傷心旅行中のロージーさんと、一緒についてきてくれてたぬいぐるみさんたちの前に現われた。

 夢の世界にはたまに現われるけど、現実世界にはふつう現われないアナザフェイトが、その日は『特別サービス』ということで、ロージーさんを慰めるために出てきてくれたらしい。

 ロージーさんはn番ちゃんを抱っこさせてもらい、

『なんだかフォーチュンが私のなかに、かけがえのない宝物を置いていってくれたような気がする』

 ってなぐあいに、悲しみを乗り越えて頑張っていこう、という気持ちにさせてもらった、という。


 ロージーさんのお話から推測されるn番ちゃんは、やはりグリンの夢に入ってきたn番ちゃんと同一人物(同一アナザフェイト)のようだ。理屈っぽい性格も変わってないのだな。いや、アナザフェイトの性格ってそもそも経年変化するものなのかな?


 グリンがn番ちゃんから託された〈種〉は、ロージーさんたちにとっても、個人的な問題を超える事案だ。楽園の生態系に影響を及ぼすことになるかもしれないそんなものを、蒔いてしまってよいのだろうか?

 かつてアルチュンドリャたちの飲バラが、バラ中という社会問題の端緒となったように、いや今度はそれ以上に、自然環境まで攪乱するような災厄をもたらすことになりはしないか。

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