アナザフェイトちゃん

 ネプチュン鳥島へ発つ前日、グリンの夢に入ってきた怪しい奴がいる。ひとの夢への入り込みかたが素人ではない。


 形のはっきりしない自由な形状をした、白っぽいそいつは、『グリンちゃんのいとこ』と肩書を名乗り、マーズタコ湖からやってきたアナザフェイトだという。


 マーズタコ湖といえば、生きられなかった無数の〈もうひとつの運命〉が沈んでいるトコロ。そいつが成ったのはグリンの誕生より4年ほど前だそうだ。

〈もうひとつの運命〉である〈アナザフェイト〉には、個体識別番号として通し番号が打たれているが、桁数が多すぎて、本人も自分が何番だか覚えていない。

 グリンは便宜上そいつを『n番ちゃん』と呼び、話を聞いてみる。


 n番ちゃんの父は、アルチュンドリャの弟のフォーチュンドリャさん、母は当時のガールフレンド、ロージーさん。ふんふん。父方のいとこ、ってわけだ。

 ロージーさんならグリンも知ってる。バーラちゃんのお母さんだ。昔、レイヤに連れられてネプチュン鳥島を初めて訪れたとき、祖父母やナオスガヤさんとも親しくしていた人。その後、故フォーチュンドリャさんの会社の後輩メカノフさんと結婚して、バーラちゃんが生まれた。お二人の結婚を予言し、祝福のまじないを与えたのはレイヤだ。


 そのバーラちゃんの母ロージーさんが、大学時代、マーズタコ湖の岸辺で一度だけ、フォーチュンドリャさんとま××ピーった。その際、運命の可能性の一つとして成ったのがn番ちゃんだ。


「んで、そのn番ちゃんが、なにしに来たの?」


「グリンちゃんのお父さんもワタシのお父さんも、恋愛に関しては優柔不断でトホホな人でした」

「うん」

「しかし、それなりに未来を展望していたのですよ。あのままシャバに残って頑張っていれば、それなりの仕事も成し得たでしょうに。夭逝したのは惜しかったですね」


「うん。で、何が言いたいの?」


「実はこのたび、湖底会議にて、ネプチュン鳥島関係アナザフェイトたちが協議のうえ、シャバのグリンちゃんに、未来への希望のひとつを託そう、ということになりました」

「楽園のネプチュン鳥島に、これ以上の希望が必要?」

「あそこは生態系が閉鎖的で、ちょっとした変化に弱いのです。かつてバラ中が短期間に一気に拡がってしまったでしょう?  余白のない楽園というのは、なにか刺激を受けた場合、その棘というか、毒気みたいなものを逃がす道がないから危険です。多様性や曖昧さの中へ解消されるべき負のエネルギーまで引き受けてしまいます。

 その閉鎖性に一石を投じる措置が必要なのではないか、というわけです」


「理屈はわかるけど、そういうふうに創造されてるんだったら、それは神様の責任なわけだから、人が手を加えてよい問題ではないでしょ?」


「かつて、タブーを犯し、果敢にもビイル薔薇精油を炭酸水で割って飲む、という革命的行動を起こしたアルチュンドリャさんの度胸を称え、娘のグリンちゃんにその栄誉を授けようと・・・」

「バラ中を広めた親父の責任を取れ、ってわけね?」

「まあそういうことといえないわけではないかもしれないようでもあるような・・」

「はっきり言えっつーの。でもネプチュン鳥島ではバラ中はもう撲滅されてるんでしょ? 旅のぬいぐるみさんたちも一役買ったって聞いてるけど」


「ぬいぐるみちゃんたちを起用したポスターによるキャンペーンはかなり効果的でした。いっぽう、アルチュンドリャさんも生前、いろいろと研究していたのです。

 社会的にどうこう、という以前に、ビイル薔薇精油自体を、なんとか無毒化できないか、という方向性で考えていて、一時ジュピタンへ渡ったのもそのためであったらしい」

「うん。かあちゃんからもそんなふうに聞いてる。だけど、毒性と香り成分の癒着が強すぎて、そこんとこ属性を分離するのは無理だった、って」


「ビイル薔薇の構成分子は、構造が堅固すぎて、この世の技術では遺伝子操作ができません。もともと、ピンク系の色味で花のバリエーションが展開されていますが、自然の〈幅〉はそこまで。そういうものとして創造されちゃってるから仕方ないのです。そこで、我々アナザフェイトは考えた。外部から、新たな遺伝子を持ち込んでみてはどうかと・・・」

「だからぁ、この世の技術では遺伝子操作できないって、アンタいま言ったじゃん」


「この世の技術でなければ可能性はあるかもしれない」


「なんかアブナイ領域に入っていきそう・・・」

 グリンは呪術学の研究生だから、この世の問題に、この世のものではないエレメントが介入することの危険性を、よくわかっている。


「生まれて生きて死んだ者の魂の世界である〈あの世〉と違い、アナザフェイトは初めから生きられなかった運命総体であるゆえ、あの世のものでもないのです。もちろん、この世のものではない。そこが〈隙間〉の可能性、フラクチュエイションです」

「あー〈揺らぎ〉ね。法則の網の目をくぐろうとする企みでも?」

「マーズタコ湖底で、ビイル薔薇と親和性のありそうな植物の種をみつけました」

「それをネプチュン鳥島に持ち込む?」

「サスペンシブでしょ?」

「デンジャラスね。海の神様の許可が要るわ」

「ネプチュン様には一応連絡済みです」

「許可する、って言った?」

「『聞かなかったことにする』と」

「なるほど。『止めはしないけど責任は取らぬぞ』というわけね」

「ビイル薔薇を大繁殖させてしまった負い目は感じておられるでしょうが、島の内部では環境がそれなりに安定しているし、神様もヒマじゃないから、なかなか改革に着手できないのでしょう」


 あの世の天国とは違い、この世の楽園には影の部分もある。アルチュンドリャが呑み込まれてしまった闇がそこだ。影のエネルギーをなす隘路を、アルチュンドリャも探求していたのだ。


「とーちゃんが何をどうしたかったのか知らないけど、志半ばで死んじゃったというのなら、供養のひとつでもしてあげたほうがいいのかな・・・」


「20日後の天体の配置を計算しておいてください。アルチュンドリャさんとフォーチュンドリャさんの生没年月日時分秒とそれらの場所の経緯度を、グリンちゃんの手帳に書いておきます。グリンちゃんとデューンくんの生年月日時分秒と場所はわかりますよね?」

「デューンも巻き込んじゃうの?」

「生粋のジュピタン人の星を添えることで、重要な意味を創出するアスペクトが形成されるはずです」


 もし何かあったら、自分だけでなくデューンまで傷つけることになる。面倒なことにはあまり関わりたくないのだけれど・・・


 単なる卒業旅行では済まなくなるかもしれない。瞳の色が違うことで、ジュピタン人とは異なるもうひとつのルーツを意識せざるを得ないという経験は幾度かあったし、幼い頃のひと時を過ごしたビイル薔薇畑とネプチュン鳥を懐かしくも感じていたから、旅行するならネプチュン鳥島、と決めていただけだ。

 そのもうひとつのルーツに、思いがけず深く関わることになるのだろうか?


 n番ちゃんをとおして、ネプチュン鳥島関係のアナザフェイトさんたちの〈気〉が、グリンに伝わってくる。この方々は、責任取ってくれるのかな?  守られてるようにも感じるのは何故だろう?


「なんだか、とーちゃんが恋しくなってきちゃった。会ったこともないけど」

「アルチュンドリャさんの魂から愛情がグリンちゃんに注がれているのですよ。愛は界境を超えるのです」


「うん。うまくいくかどうかわからないけど、やってみるね」

「デューンくんにとっても、実りのある旅になることでしょう。楽しんで、いってらっしゃい」


「そういえば、n番ちゃんって男の子?  女の子?」

「どちらでもよいのです。現実には生きられなかった運命ですから」

「あそっか。なんか・・ごめんね。傷つけちゃったかも」

「大丈夫ですよ。何にでもなれる、自由な存在ですから」

 何にでもなれる、というのは、何にもなれていないことだ。それはそれで哀しい運命でもある。


「ところで、アナザフェイトさんたちって、こんなふうにちょくちょく現実に介入するものなの?」

「いいえ。現実世界には普通は介入しませんよ。ファンタジーの世界にはたまに介入します」

「じゃあ、今日はなぜ?」

「特別サービスです」

「?」

 なんじゃ、こいつ?



 空港でレイヤとグル・ワヒラサに見送られ、ジュピタンからネプチュン鳥島へ向かう飛行機と船のなかで、グリンは、n番ちゃんから指示されたとおり、天体の配置を計算してホロスコープを描いてみた。


 100年分の天文暦が収録された電子辞書と、理系学生必携アイテム、関数電卓を駆使しながら、アルチュンドリャとフォーチュンドリャの各出生時刻・死亡時刻とその地点の経緯度、グリンとデューンの各出生時刻とその地点の経緯度、20日後の00時00分00秒から経過する24時間分のネプチュン鳥島の星図。時刻に嵩張かさばる数列は平面には書ききれず、3Dに配置していく。


 重要なのは、然るべき〈その時〉の星図が、それぞれの出生図と、意味のある角度をどのように形成しているか、故人についてはその死亡時刻の星図も〈その時〉にどのように関わっているか。アルチュンドリャの生没年月日時分秒と、グリンたちの生年月日時分秒との関係もみていく。

 数学の得意なデューンにも検算してもらう。



 複雑な立体ホロスコープを描きながら、グリンは、アルチュンドリャの魂が歩んだ苦難の道のりを知ることとなる。


 グリンが読み解ける範囲は十分な深さではないが、ホロスコープによれば、アルチュンドリャと肉親との愛情は、すれ違うことが多い。親との縁には、困難の相。心理的ダメージ最強の悲劇を示す運気のピークは、自身の死より少しずれて、その約半年前フォーチュンドリャさんが亡くなった時期。我が子との生き別れを暗示する星も、読み方によっては星図に出ている。友人や、仕事仲間には恵まれていたようだ。


 社会的には、わざわいの種を蒔く。その種は、希望の結実と表裏一体か。禍から希望への転換には、引き金となる星の力が必要。無意識の中に潜む〈可能性〉が外界へ投影されるのに相応しい時機を得ることができれば、意志の力が与えられる。解放への隘路を穿つ時機が巡ってくるのは・・・

 やはり、n番ちゃんの言うとおりデューンの星が重要な角度の起点になっている。


 ホロスコープの読み方は単純ではない。星が示すのは象徴であり、時間の経過につれて変化もするし、読み方によって同じしるしでも吉とも凶とも取れる。

 第五大では全学部の共通基礎課程で叩き込まれる占星術。ホロスコープを作成する計算には慣れたけれども、それを読み解くには、もっと専門的な訓練と経験が必要だ。だから、グリンの今の読み方が合ってるかどうかはわからない。多くの事項については、そもそも100点満点の正解はない。

 しかし、突出した特徴が繰り返し示される星図は、相応に運命を表わすものだ。


 n番ちゃんが示した日付の天体の配置を、グリンは3Dホロスコープに色をつけて記録しておく。

 普段から口数の少ないデューンは、このホロスコープの象徴を自分なりに解いてみると、さらに無口になり、姉弟ふたりして、やるせない気分に沈む。

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