姉弟 ネプチュン鳥島で

 グリンとデューンは、ビイル薔薇精油製造株式会社をご挨拶に訪れた。

 社長のナオスガヤさんとお会いするのは18年か19年ぶりくらいだけど、父母は手紙のやりとりをしていたから、ネプチュン鳥島の様子についてはグリンも聞いている。


 ナオスガヤさんは、グリンたちが初めてここへ訪ねてきたときのことをよく覚えている。

 レイヤさんは、ジュピタンで会った学生時代から、呪術師としての風格というか品格というか、輝きを増しているように見えた。腰まで届く薄茶色の髪は、その長さだけでも宗教ちっくな印象だけれど、きれいにぱつんと切り揃えられた艶やかな毛先。どこか近寄り難い、女神のような神々しさすら放っていた。


 そんなレイヤさんと、いまそこにいるグリンちゃんの姿が、ナオスガヤさんの目に重なって見えるのは、至極当然だろう。どうやらグリンは、母のレイヤにもよく似ているらしい。みんなからもよくそう言われるし、母の若い頃の写真を見てもそう思う。


 レイヤさんの服の裾をつかみ、はにかむように笑ってご挨拶してくれた可愛いグリンちゃん。アルチュンと同じサファイアブルーの瞳。

 弟のデューンちゃんは、まだよちよち歩きだった。この島に滞在している間、レイヤさんは時々、デューンちゃんのおねしょのシーツを洗濯して干していた。あの小さい坊やが、いまではグリンちゃんの背丈をすらりと超え、見惚れるほど美しい賢そうな青年だ。

 素直に成長してきた様子の姉弟に、ナオスガヤさんは胸がいっぱいになる。



 ナオスガヤさんはさっそくふたりのために宿を手配し、アルチュンドリャを慕っていた幹部社員たちを集めて、歓迎の宴席を設けてくださった。

 親世代くらいのおじさんおばさんたちにお酌して回り、お料理を美味しそうにぱくぱく食べながら、朗らかに宴席を盛り上げるグリン。アルチュンドリャの面倒見の良い人柄が受け継がれているな、と誰もが思った。無邪気で、コンパニオンのおねえさんみたいに社交的だけれど、ジュピタンの呪術師の卵だけあって、どこか神秘的なオーラもまとっている。

 レイヤが皆さんへのお土産にと持たせてくれていたジュピタンサンせんべいも、大好評だった。


 デューンのほうは、おばさんたちに包囲されて質問攻撃を浴び、もみくちゃだ。

 深いヒスイ色の瞳が、ネプチュン鳥島人からみて珍しい、というばかりでなく、デューンの瞳がどこか憂いを帯び(あくまでもおばちゃんの主観)寡黙で繊細なたたずまいが、母性本能をこしょこしょくすぐるのだ。

 そういうシチュエーションは、デューンはもともと苦手なはずなのだが、ネプチュン鳥島の人たちが楽園の住人であるためか、みなさんとても素朴で優しくて平和な感じがして、なにより、ビイル薔薇のいい匂いがするものだから、なかなか心地よいのだ。



「みなさん、良い人たちでよかったね」

「うん」

 今日はお風呂に入って気持ちいいベッドで寝られる。姉弟はほっこり落ち着いた気分で、おやすみの軽いキスをして眠る。




 翌日ナオスガヤさんは、ふたりをアルチュンドリャのご両親の家へ連れて行った。

 すっかり年老いた祖父母の姿を見ると、グリンはちょっぴり切なくなるが、それでもまだボケずに元気でいてくれて嬉しい。


 祖父母はグリンたちを力いっぱい抱きしめる。レイヤがジュピタンから送ってくれていた写真ですら、抱いて寝たいくらいに愛おしく思い続けてきた孫娘グリン。

 実物のグリンは、誇らしいほど、まばゆいばかりに美しく成長し、人懐っこい笑顔を見せてくれる。レイヤさんによく似ているが、やはりアルチュンドリャにも似ている。瞳の色だけじゃなくて、微笑むときの口元や、ちょっとした仕草のひとつにも、アルチュンドリャの面影を点滅させて見てしまう。

 デューンちゃんは、生粋のジュピタン人だけれど、おとなしくて繊細そうな雰囲気が、どこかフォーチュンドリャを思わせる。


 姉弟は、アルチュンドリャとフォーチュンドリャの部屋を見せてもらった。どちらの部屋も、祖父母が毎日風を入れてきれいに掃除している。

 フォーチュンドリャの部屋は、使っていた物や本などがほとんどそのまま置いてあり、時間が止まったまま、穏やかな人であったらしい本人の気配が残る。

 アルチュンドリャの部屋はちょっと空気が違う。会社に残された遺品をナオスガヤさんが整理し、形見になりそうなものを実家へ運んでくれていた。

 祖父母からみれば、アルチュンドリャが小中学校時代までに使っていたものと、自分たちが知らないアルチュンドリャの持ち物。空白の時間を埋めているのは、彼の会社に関する新聞記事と裁判の記録。どこか継ぎぎの思い出の羅列。霊感の鋭いグリンでさえ、アルチュンドリャの魂の残影を感じることができない。


 ただ、ひとつだけ、グリンの胸に刺さる物があった。子どもの握りこぶしほどの大きさの石がひとつ。ネプチュン鳥島ではみられない鉱物。ジュピタンの石だ。デューンもその意味を察したようだ。


魂交たまかわしのまじない石・・・〉


 古代ジュピタンで、戦地へ送られる兵士と、残される家族が、互いの魂の一部を石に載せて交換し合い、無事を祈り合う〈魂交たまかわし〉のまじない・・・。


 現代では、遠距離恋愛のカップルの間でも交わされるし、ホスピスの患者・・あの世へ隔てられる者・・と家族の間でも交わされる。硬軟様々な場面で呪術師が依頼を受けるポピュラーなまじないだ。

 呪文を唱えながら描く、五芒星を立体的に二つ重ねたような文様から、〈綾取り石〉とも呼ばれるその石は、一つの石を半分に割り、取り交わされる。

 生きて再会を果たすことができれば、お礼のまじないをかけて元の一つの石に戻すが、その際、割れ目がすり減っていれば、降りかかった災厄を石が身代わりに引き受けてくれた、と解釈する。石が失われた場合にも、身代わりになってくれたと解釈し、感謝を込めてまじなう。


 アルチュンドリャの机の片隅に置かれたその石の片割れを、レイヤが持っている。レイヤは家で事務作業をするとき、それをペーパーウェイトとして使っている。普段、なんでもないように、文字通り〈事務的に〉使うレイヤだが、本当は何を思いながら使っているのだろう?

 それを遺品のひとつとしてナオスガヤさんがここへ運んだということは、アルチュンドリャも生前、この石を大事に持っていたのだろう。ついに一つになれなかった魂交たまかわしの石。



 デューンは、書棚に整理されている20冊ほどのノートに興味をひかれ、見せてもらった。

「なんか難しい化学式がいっぱい書いてあって、意味はわからないのよ。日記かなにかかもしれないと思ったんだけど」

 と祖母は言う。

 並んでる真ん中あたりのノートを抜き出し、ぱらぱらとめくりながら目を通す。見てみる、というより、その一部をデューンは読んでいる。

 ノートをいったん閉じる。


「おじいちゃん、おばあちゃん、ここのノート一式、しばらく貸してもらえるかな・・」


 祖父母は、デューンがグリンと同じように自分たちを『おじいちゃん、おばあちゃん』と呼び、タメ口をきいてくれるのが嬉しい。この子は口数が少なく、声を出し慣れていないからか、声が小さく、かすれている。もっと声帯を鍛えなきゃね。



 祖父母が快く貸してくれたアルチュンドリャのノートをふたりで抱え、グリンとデューンは宿へ戻った。


 デューンが、先ほどパラパラめくっていたノートの一か所をグリンに示す。

「姉ちゃん。これ、かあちゃんの字だよね?」

 確かに、化学反応式、系統図などがびっしり並ぶノートの端っこに、罫線から45度ほど傾いて数式や記号が1行、別のページには2行・・というように、ところどころレイヤの筆跡と思われるメモが書かれている。別のノートには、グル・ワヒラサのものと思しき筆跡のメモも・・・・。グルのメモは、レイヤのよりずっと象徴的で難解なゴースト・ノートだ・・・。

 アルチュンドリャとナオスガヤさんがジュピタンに滞在していた時期のものだろうか? それならもう25年も前のことだ。

 この人たちはいったい何をしていたのだろう?


 何通りもの方式を体系的に算出し、原子配列に手を加えて物質を変換しようと模索していたらしい記録。

 連続するいくつかの化学反応式の横に、中世ジュピタン語の記号を拾う。

〈限界〉〈不可〉〈禁〉〈終焉〉・・・いずれもネガティブな内容を意味する錬金術用語のシンボル。(ただし〈限界〉は〈臨界〉とは異なり、〈終焉〉は両義的)

 180度回転しているメモは、グルが対面で書き込んだものか。


 書棚に並んでいたときは順不同だったようだ。日付も記されていないが、デューンは、書かれている化学反応式を辿りながら順序を推理し、ノートを並べ替えていく。

 レイヤのメモやグルのゴースト・ノートが散見されるのは、はじめの数冊。残りはすべてアルチュンドリャの筆跡と思われる。


 これらのノートは、アルチュンドリャの雑記的なメモなのだろう。もっと整理して日付を付した実験ノートがあるとすれば、ナオスガヤさんが会社の研究室に保管しているのかもしれない。



 デューンの発見とは別に、グリンはもうひとつの感慨をもってノートを眺める。


〈アルチュンドリャとーちゃんが書いた字・・・〉


 グリンは、ちょいと文字フェチなところがある。人の手書き文字を見るのが好きなのだ。整った清書の字よりも、走り書きのメモのような字のほうが好き。きれいに書こう、とか、何も意識せずに書かれた字には、書いた人の飾らない素顔が垣間見えるような気がするから。

 実験や議論をしながら、さらさらと書きつけたようなノート。ほとんどが記号と数字と線だから、手紙や日記のような〈言葉の意味〉が介在しない、アルチュンドリャの無防備な〈〉が表れているように感じられるのだ。


 レイヤ、グル、他の研究者らが書き込んだと思われる記号などは、赤や黒のインクだが、おそらくアルチュンドリャによるものは、すべて青インクで書かれている。

 グリンは、いくつかのページの青字を指でなぞる。


 アルチュンドリャの指先が、手のひらが、触れたであろうノートの何行かを、目を閉じ、指先で点字を読むようにたどってみる。きっと祖父母も、化学式は読めなくても、息子の直筆の文字を、こんなふうに撫でたりしたのだろうな、と思う。

 そして、最後の方のノートは、字がぐらついてきている。一番最後のは、残り3分の1ほどが空白で、最後の記述は式の途中でぶち切れている。

 社長室の窓からぬいぐるみさんたちが入ってきて、フォーチュンドリャさんの危篤をアルチュンドリャに知らせた、と聞いている。書きかけだったここが、その時だったのかな・・・。


 指先で、およそ20年前のアルチュンドリャの気配に触れようとしているグリンの姿に、デューンはちょっぴり胸が痛くなる。

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