アルチュンドリャの想い出

 刑務官に両脇を抱えられたアルチュンドリャの姿が法廷の入口に見えると、ご両親は泣いておられた。凶悪犯でもなく、逃亡の恐れもないだろうに、後ろ手に手錠と腰縄で拘束する必要があるのか?

 拘束を解かれ、アルチュンドリャは深々と頭を下げて入廷する。被告人席までのほんの数メートルの距離も、職員が手を添えねばならないほど、足元がおぼつかない。

 不規則な呼吸、震える指先、焦点の定まらない目つき。これがバラ中患者の姿だ。


 社会に飲バラが広がり、ビイル薔薇精油中毒者が増えてしまうきっかけを作った張本人、とされ、罪名もなんとかかんとかこじつけて起訴されたアルチュンドリャは、社会への見せしめなのだ。


 ネプチュン鳥島の人々は何百年ものあいだ、仲良く平和に穏やかな暮らしを続けてきた。オールシーズン、島を覆い尽くすほど咲き誇るビイル薔薇の花の香り成分が、あらゆる生き物にそのように作用する。精油を誤飲しない限り・・・


 アルチュンドリャはタブーを破り、ビイル薔薇精油のソーダ割りの飲用を、始めは仲間内から、徐々に社会全体に広めてしまった。今では青少年の健全育成をも妨げている。

 いっぽうで、元々は村営だったビイル薔薇プラントの経営を、民営化によって村から引き継ぎ、高級品質のビイル薔薇精油を製造・輸出して経済を潤し、村全体を豊かにしている功績も大きい。



 第1回公判後、弁護人は、保釈請求をして少しの間でもアルチュンドリャを両親のもとへ帰してやりたいと考えていたのだが、逮捕前から飲バラを断っているアルチュンドリャの禁断症状は酷く、かえって両親を苦しめることになるからと、アルチュンドリャ本人が保釈を希望しなかった。仮に保釈請求していたとしても、裁判所も許可しなかっただろう。


 飲バラを始めた十代の頃に家出をしたまま一度も家に帰らなかったアルチュンドリャ。小さい時から仲の良かった弟のフォーチュンドリャが危篤に陥ったときも、両親はアルチュンドリャと連絡を取ることを諦めていたが、たまたまネプチュン鳥島に滞在していた旅のぬいぐるみたちから知らせを受け、病院へ駆けつけた。そのとき、十数年ぶりに両親と顔を合わせたのだ。

 まもなくフォーチュンドリャは亡くなり、葬儀を終えると、アルチュンドリャは恩師のポセドンさんに付き添われて自首した。



 村長のポセドンさんは、アルチュンドリャの小学校時代の教師だ。支えてやらなくてはならないほど、アルチュンドリャの歩行がよぼついているからでもあるが、それ以上に、ポセドンさんは、アルチュンドリャの心身に寄り添ってやりたいという思いを込めて、しっかりと腕を支え、背中をさすり続けた。

 起訴後も暇を見つけては拘置所へ通い、面会している。


 フォーチュンドリャの危篤を知らされた時から、アルチュンドリャは一滴も飲バラしていない。その禁断症状は凄まじいものだった。ポセドンさんが最初に面会したときは、目も当てられないほど気の毒な状態。

 起訴後、何をおいてもアルチュンドリャに会いたがった両親は、本人の容態が落ち着くまでひと月ほど、面会許可をもらえなかった。



 ロージーも公判期間中、何度かアルチュンドリャに面会していた。

 恋人だったフォーチュンドリャのお兄さんだから、とかいう義理ではなく、村役場の職員としてバラ中患者の立ち直りを支援する、とかいう義務感でもない。自分でもなんでだかよくわからないけれど、会っておきたい。


 挨拶程度の会話でも、ときどき吐き気をこらえるようにうつむき、呼吸を整えようとする。指先の震えも意志の力では止められないようだ。

 兄弟は顔の輪郭と、口元が少し似ている。声と話し方はもっと似ている。電話で話しでもしたら、きっと間違えてしまうだろう。だけと、目つきが違う。瞳の色は同じだけれど、それはロージーも同じだし、ネプチュン鳥島人ならみんな同じ色だ。

 しかしアルチュンドリャの目は、バラ中のせいかどうかわからないけど、焦点が合っていない。正面を向こうとしても、どこを見ているのかわからないような視線。そもそもロージーと正面切って向かい合える気分でもないだろう。うつむき加減に目を伏せている。

 アルチュンドリャの、どことなく険しい印象の目を見ていると、フォーチュンドリャが病床で苦しんでいたときの目を思い出す。十年近く付き合っていても、フォーチュンのあんな目は見たことがなかった。いつもにこにこして、穏やかな目をしていたフォーチュンなのに。

 あのときフォーチュンは、ロージーを真っ直ぐ見つめ、残りの命を精一杯込めて、それでも集中しないと聞き取れないくらい、途切れ途切れのかすれた声で言った。

『ロージー・・・きみは・・必ず・・幸せになれ』

 アルチュンドリャの目はロージーに、不吉な予感も抱かせる。




 弟の恋人、と風の便りに聞いていたロージーさん。この人を、フォーチュンは愛していたのだな。それなのに結婚しなかったのは、フォーチュンは自分の命がさほど長くないことをわかっていたのかもしれない。

 家を飛び出したとき、フォーチュンは僕に手を差し延べようとした。僕はそれを受け止めることができなかった。あのとき、フォーチュンはたしか13歳。一緒にいれば、きっと、学校のことや、青春の悩みや喜びも語り合えただろうに。


 フォーチュンがマーズタコの第四大に入学したときも、僕はその噂を聞いていた。父さんと母さんは嬉しかっただろうな。昔から一生懸命働いて、子どもたちを大学へ行かせるために頑張っていた父さんと母さん。

 僕は高校も中退してグレてしまったけれど、フォーチュンは立派に大学を卒業して、故郷の大手企業に就職している。小さい頃から体が弱かったことがちょっと心配だったけど、きっと丈夫になって、勉強して働いて、親孝行しているのだろう。そう思っていた。なのに、三十にもならないうちに死んでしまうなんて・・・。


 僕が家出したあと、フォーチュンはどんなふうに生きていたのだろう?  何を喜んで楽しんで悲しんで我慢して、何をどう思いながら、誰をどう思いながら、死んでいったのだろう?  フォーチュンのことをもっと知りたい。



 ロージーは、面会していても、アルチュンがフォーチュンのことを、学生時代はどんな子だったか、就職してからは充実している様子だったか、どんなことが好きだったか、等々、いろいろ聞きたがるものだから、聞かれるままに答え、気がつけば面会時間終了、なんてこともあった。

 ロージーのほうは、体調とか、自分達に何かできることはあるか、とか、アルチュン自身のことをもっと聞いておかなくては、と思っていたのに、アルチュンの思いは、兄弟の空白の時間を少しの断片でも埋めようとするかのように、フォーチュンに向けられる。

 埋まるはずもないのだけれど、ロージーはフォーチュンの思い出を、ひとつでもアルチュンにも分けてあげようと思う。それがアルチュンにとって、嬉しいことなのか哀しいことなのか、ロージーにもわからないけど。



 何度か面会するうちに、アルチュンドリャの身体のほうは容態が少し落ち着いてきて、まとまった話もできるようになってきた。

 ただ、精神状態のほうは良くなさそう、というより、むしろ悪化してきているようにも見受けられる。険しさがなんだか増していくみたいな目の下には青紫色のクマができ、会うたびに頬がけていくのを見ていると、きっとあまり眠れないのだろうな、と思う。

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