姉弟 墓地の丘

 絶海の孤島ネプチュン鳥島


 小高い丘の墓地で、バラ色の墓標を見つめる瞳はサファイアブルー。

 この島のお墓はどれも、煌めく粒子が混ざるバラ色の鉱石でできている。楽園の香りを放つビイル薔薇畑に埋もれるように美しい墓石が並び、刻まれた名まえを読まなければ、どれが誰のお墓かわからない。


 グリンはひとつひとつ、それらのネプチュン文字をたどり、ようやくその墓標をみつけた。


 アルチュンドリャ・ネプチュン。

 没年月日は19年前の日付。


 その半年余り前の日付で、もうひとつの名まえが並んで刻まれている。

 フォーチュンドリャ・ネプチュン。


 ふたつの名を指でなぞり、グリンはそこに頬をよせ、口づける。


 立ち上がり、母と同じ薄茶色の髪をなびかせ、父と同じサファイアブルーの瞳で、霧の向こうに遠く霞む海を見遣るグリンの肩に、デューンはそっと手を添える。

 あの海も、グリンの瞳と同じサファイアブルー。


 デューンの瞳はヒスイ色。


 異父姉弟のふたりだが、母のレイヤも、デューンの父グル・ワヒラサも、ふたりに分け隔てなく愛情を注いでくれる。


 ジュピタン首都郊外の広大な学術研究都市。そのなかでも最古のアカデミー、ソーラーシステム第五大学の大学院呪術学研究科で修士号を取ったばかりのグリンは、博士後期課程への進学を控えたいま、実父の故郷ネプチュン鳥島へ弟とともにやってきた。


 実父のアルチュンドリャをグリンは知らない。アルチュンドリャも、自分に子どもがいることすら知らないまま死んだ。



 楽園のタブーを破ったとされるアルチュンドリャ。そういう時代だったのだ。

 度胸試しにビイル薔薇精油を飲んでみよう、という若者たちが増えてきたあの時代。その麻薬作用については、当時まだ詳しく解明されていなかった。


 あらゆる生き物の脳に快楽を呼び起こし、同種族間でも異種族間でも、皆が力を合わせて仲良く楽しく暮らし、働き、社会を発展させていく原動力を与えてきたのは、ビイル薔薇の香り成分。花びらから抽出される精油は、世界中のアロマオイルのなかでも異彩を放つ最高級品である。

 ただしそれは飲用厳禁。

 この島に創造された半透明のネプチュン鳥は、ビイル薔薇の葉と花粉を主食とする。花びらを食べないのは、毒性があることを知っているからだ。


 しかしビイル薔薇精油を誤飲して毒に当たり、その苦痛をやり過ごせば、天国へ召されたかのような幸福感が舞い降りてくる。人類が上陸する以前の、太古のネプチュン鳥島の楽園を体感できるのだ。酔っ払っている間は・・・。酔いから醒めれば、身体中、悶絶級の痛み苦しみに襲われる。


 アルチュンドリャは若者たちのリーダーとして、やがて高級ビイル薔薇精油を製造する会社の社長として、皆から慕われていた。

 はからずも、ビイル薔薇精油中毒、いわゆるバラ中の恐ろしさを身をもって示してみせることになる。彼が苦しみ抜いて獄死した後、人々は精油の飲用を止め、バラ中患者の治療・リハビリ支援体制も充実し、ほどなくバラ中は撲滅された。

 良くも悪くも、あの時代のネプチュン鳥島を象徴する人物であった。


 アルチュンドリャが断バラするきっかけとなったのが、彼の最愛の弟フォーチュンドリャの病死であったことは、悲しい事実だ。



 グリンは、人生の進路を定めたこの年、自らのルーツをいま一度その目と心で確かめておきたかった。ジュピタンからは3プラネッツも離れた、遠い遠いこの島で。ひとつの預かり物を携えて。



 デューンは姉の旅に同行するにあたり、自分なりの、ある思いを抱いている。それはべつに、旅をしたからといってどうにかなるものでもない。仮に旅をするなら、こんな天国かシャバかどっちつかずで不透明な(ネプチュン鳥は半透明)離島ではなく、テッラかマーズタコか、そっち方面の都会へ出たほうが刺激的で、良い人生経験になるのかもしれない。

 けれど、グリンがネプチュン鳥島へ行ってみると言うものだから、デューンの好きなグリンの匂いがネプチュン鳥島由来なものだから、それに、ひょっとしたら自分が姉のボディーガードくらいにでもなれるかもしれない(あまり期待できないけど)とか、そんなこんなでついて来たのだ。


 二十歳になったばかりのデューンは、ソーラーシステム第五大学錬金術学部に在籍し、学業にいそしんでいる。将来は父のラボラトリーを継ぐであろう。

 父の研究テーマは、いまの自分から見ても魅力的だ。まだ理論的にも技術的にも乗り越えるべき課題が少なからず残ってはいるが、やがてそれが実現したアカツキには、世界にとって役立つはずだ。


 幼い頃から、快活な姉の後を影のようにくっついて回り、3歳を過ぎても言葉を話さず、人と目を合わせられず、この子はコミュニケーション能力に問題を抱えているのだろうとさえ思われてきたデューンは、頭脳のほうはなかなか明晰で、背丈も姉をぐんと超えてはいるが、性格はそんなに変わっていない。

 どちらかといえば聞き上手なタイプだと、人からは言われるけれど、自分から発言もせず、受け止めてばかりいるのは、結構疲れるものだ。もう少し大きな声で、はきはきと話せるようにならなきゃ、と自分でも思っている。



 霧の向こうを透かし見る空に、雲の筋が色づき、舞い始める。

 イッツショウタイム!  海の神様のイブニングルーティン、楽園タイムだ。

 雲の筋は淡いピンク色から幾通りものバラ色、茜色・・・彩りのニュアンスを滑らかに変化させながら空を染め、空の色を映し込む海と、島一面のビイル薔薇畑がひとつになる。

 海の神様がこの島に与える日々の祝福。海の神様は、お昼寝の時間が遅くにずれ込んだり、雑務に追われて余裕のないときは、夕焼けショウをお休みされるが、この日は遠くジュピタンからネプチュン鳥島人の血を引くお嬢さんが来島してくれたから、張りきっちゃう。


 グリンは父と叔父の名が刻まれた墓標に手をかざして目を閉じ、バラ色の霧に包まれ、祈りを捧げる。デューンは指を組み、海の神様にこの旅への加護を祈る。


 夕焼け雲の隙間から二筋の金色の光が射し、霧を突き抜けて姉弟に注がれた。



 楽園の夕焼けタイムが過ぎれば、墓地の丘に闇が降りてくる。

 デューンがマッチを擦り、その焔にグリンが鬼火を召喚する。鬼火は、少し離れた区画にある墓石から飛んできてくれたようだ。

「よろしくね」

 グリンが鬼火に微笑むと、鬼火ちゃんは照れくさそうに焔をちらちら揺らす。


「そういえば、おなかすいたな~。なんか食べよっか」

 独り言のようにグリンが呟くが、デューンはマイルド・ブリザリアンなので、ごはんは食べても食べなくてもどちらでもよい。

 グリンが荷物の中からゴソゴソとインスタントラーメンの袋を取り出し、鬼火にちらっと目をやると、鬼火ちゃんはぎょっと後ずさりして、いやいやをするように焔をよじり、やがて諦めたようにうなだれた。

 グリンは鬼火でお湯を沸かし、ミニサイズのインスタントラーメンを作って食べた。デューンは、鬼火ちゃんが挫けそうになると、

「がんばれ」

 と、赤リンの粉をべて応援する。

 残ったお湯で歯磨きをして、寝る用意だ。


 今夜はこの墓地で野宿。デューンはあまり気乗りしないけど。

 グリンは拾った棒きれで空中に十字印を切り、両隣の墓石との間に結界を張った。簡易テントのような結界のそばで、鬼火ちゃんは暖房のおつとめを頑張る。


 寝袋に入るとすぐに寝息を立て始めたグリン。ジュピタンから飛行機を乗り継ぎ、隣島から船でまるまる一日かかってネプチュン鳥島へたどり着いた。

「おつかれ、姉ちゃん」

 デューンは寝入ったグリンの額にキスを捧げ、

「おつかれ、おれも」

 と呟いて寝袋にもぐる。



 アルチュンドリャの霊魂は、この世では会ったことのない娘が、自分たちの墓の前で爆睡する姿を、愛おしげに眺める。グリンの髪を撫で、ジュピタンで愛したレイヤと生き写しの寝顔に、祈りをこめて口づける。

 傍らで姉弟を守るように燃えている鬼火にも微笑みかける。鬼火ちゃんが喜んでひときわ明るく燃え立つのをアルチュンドリャは優しく制し、

「今は明かりよりも暖かさを、この子たちに与えておくれ」

 と頼むと、鬼火ちゃんは〈ガッテン!〉とハッスルして熱くなった。



 明け方、ビイル薔薇花粉が甘い香りを放つ。その香りにくすぐられるように、姉弟は目を覚ました。

 この時間帯のふわふわ花粉を蜂蜜入りホットミルクと混ぜると、めちゃくちゃ美味しい花粉ミルクができる。と、グリンは母から聞いていた。母はアルチュンドリャから聞いたそうだ。その花粉ミルクを、弟のフォーチュンドリャが美味しそうに飲んでくれるのを見るのが、アルチュンドリャは好きだった、ということも。

 グリンもぜひ一度、その花粉ミルクを飲んでみたいと思うけれど、今日のところは、鬼火ちゃんにミルクを温めさせるのは可哀想かな、と思うから、諦めよう。

 鬼火ちゃんは眠くてコックリコックリ・・・時々消えそうになりながら、それでも一生懸命グリンたちを暖めてくれていた。


 空が明るくなり、いまにも消えちゃいそうな鬼火ちゃんをデューンが両手ですくい、

「ありがとう。ご苦労さま」

 と軽く口づけると、鬼火ちゃんはポッと赤くなり、じぶんちの墓石へ戻ってしゅるんと消えた。

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