二十七
二人が揃って足を踏み入れる頃、教室にはそれなりの数の生徒が既に収まっていた。それらは大小さまざまな塊になっていて、好きに時間を過ごしている。二人もその塊の一角に腰を据えた。授業まではまだもう少し時間が残っている。
「そういえばさ、美紗子のあの四角い鞄かわいいよね。あれ幾らだっけ?私も欲しい」
「ありがとう。あちらは五千円でございます」
荷物を置きながら訪ねてきた彼女の目の前に、美紗子は大きく広げた手のひらを見せながら答えた。するとなぜか、彼女は古臭い口調で答える。
「なるほどなるほど。しかしなかなかに値が張りますなあ」
「すみませんねぇ。ただし、お客さんには特別に割引もできますよ」
それに合わせるように、美紗子もあくどい商人のような口調で付け加えた。それに彼女は「ほうほう。それは実にありがたい」とまたふざけた口調でお礼を言った。それからついに二人は「なにそれ」と笑いだす。
「でも確かに、私の商品ってちょっと高いよね」
ひとしきり笑った後に、今度は普通の口調で美紗子が言った。彼女も「まあね」と口にする。
「安くしたいんだけどさ、材料費に製作費、諸々考えるとこれ以上の値下げはきついよ」
彼女は「確かに難しいよね」と言ってから、眉間を寄せた。完全に「難しい」を表現した顔をしている。しかしその皺をすぐに解くと、勢いよく手を叩きながら「あ、そうだ」と声を上げた。
「美紗子もさ、私みたいに小物を売ってみたら?」
「小物?」
「うん。ピアスとかネックレスみたいなもの」
「アクセサリー系か」
彼女の言葉を噛み締めるように呟きながら美紗子は思案する。
「あんまり作ったことないな」
美紗子は布を扱う方が好きだし得意だった。
「そっか。でも小物って結構いいよ」
思案する美紗子に彼女は言葉を続ける。
「なんだかハンドメイドのネット販売ってさ、買う側からしたら少し敷居が高い感じじゃん。普通の量産型のショップより値段はするし、品質も不安だし」
「それはわかるかも」
「安いものだったら、まあ仕方ないよねって割り切れるけど、高かったらそうもいかないじゃん。だからもっと買いづらいの。で、誰も買ってくれなかったら販売実績もレビューも上がらないから、もっと見向きもされなくなって悪循環だ」
彼女が言っていることはよくわかる。美紗子は頷いた。
「アクセサリー系ってモノにもよるけど、多少は材料費も製作時間も抑えられるから、販売価格を下げられると思うんだ。そうやって価格を落としていけば買い手も増えるし、買い手が増えれば評価が上がるから、多少高いモノでも買ってくれる人が増えると思うよ。私も実際そうだったし。ピアス売り始めてから売り上げ増えたよ」
「なるほどね」と返しながら美紗子は頭の中でデザインや材料費、製作時間を検討してみる。しかし、アクセサリーを作る経験に乏しい美紗子はその勘定に手間取る。
「あ、あれもいいじゃん。美紗子が鍵につけてるクマ。あれにイニシャルとか付けてもいいんじゃない」
計算し続けていた美紗子に彼女はさらにアドバイスを送った。その言葉に、美紗子の頭の中の電卓が活発に動き出す。
「名案だ」
計算の結果は良好だった。新たなやる気が算出される。
「でしょでしょ。私はアイディアバンクだね」
「うん。千恵さまさまだった」
ふふんと得意気に胸を張る彼女を美紗子は拝んだ。
「千恵さま、あのお鞄、三千円でいかがでしょう。」
それから忘れていた商売をふっかける。
「うーん、もう一声、かな」
彼女はニヤリと笑った。
「二千八百円」
「うーん」
「二千五百!」
楽しそうに笑っているが、彼女はなかなか首を縦を振らなかった。それでも美紗子はこの会話を楽しんでいた。
「二千円!」
「買った!」
しかしここらでこの会話を収束させる。
「嘘だよ、タダでいいよ。その代わりピアス作って、可愛いやつ」
「ありがと、もちろんだよ。オマケにブレスレットも付けちゃうね」
二人はそう言って笑うと、お互いに希望の色味を確認し合った。
「あ、そうそう。そういえばさっきの『カギのクマ』で思い出したんだけどさ、部屋の合鍵を受け取ってくれない男の心理って何なんだと思う?」
「なになに、今度は恋愛相談?」
今度は全く別の話題が始まる。
「別に、そんなんじゃないんだけどさ。ちょっと考えてたの」
「ふーん」
彼女は頬杖をつきながら返した。その様子を見ながら、興味のない話題だっただろうか、と美紗子は少しだけ後悔する。しかし意外にも彼女は「でもさ」と話題を続けた。
「でもさ、美紗子は向こうの鍵持ってるんだよね?」
「うん、くれた。でも私のは、ミサが困るかもしれないからって返された。何回か渡そうとしたんだけどね」
美紗子の鍵を一向に受け取らない三井は、随分前に自分の部屋の鍵を美紗子に渡していた。美紗子が三井の部屋に行くことはほとんどなかったが、今でも美紗子は大切にそれを持ち歩いている。
「不思議な人だね。なんかこだわりでもあるのかな」
「こだわり、か」
美紗子は彼女の言葉を繰り返した。ちょうどその時、授業の開始が告げられる。しかしすぐに切り替わらない頭は先程の会話の続きが繰り広げられている。『こだわり』という言葉は奇妙なほど美紗子の思考に綺麗にはまって、それが答えなのだと確信させた。今度、三井にもう一度、受け取らない理由をちゃんと聞いてみよう、そう思った。
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