二十四
パッと、ザッと、と頭の中で呟きながらなんとなく美紗子は手を動かしてみる。しばらくぼうっと赴くままに手を動かして「こうしてみたらどうだろう」「これは面白いかな」なんて考えて好きなようにやってみる。それはどこか子どもの頃にやっていた服を作る遊びにも似ていて自然と懐かしさや楽しさが込み上げた。
「ミサ突然どうしたの?すごく楽しそうだけど」
そんな美紗子の様子に、ギターを抱えたままの三井は不思議そうな表情で尋ねる。「そうかな?」と美紗子が訊き返せば「そうだよ」と被せるように答えた。
「さっきまで眉間にしわ寄せて作業してたのに、突然人が変わったみたいだよ」
「確かにさっきまではすごく煮詰まってたかも。今はなんとなく思いついたままに、深く考えずにやってみててさ、なんだか楽しい」
答える美紗子の声には、確かに明るい音が混ざっていた。
「なるほどね。突然別人みたいになったから、コーヒーに何か混ぜたのかと思ったよ」
三井もつられたように笑って答えて「どんなふうに出来上がるのか、楽しみだね」と言葉を続けた。それに「うん」と答えた美紗子だったが、しばらく手元の作りかけのそれを見つめて、何か思案するそぶりを見せてからまたゆっくりと口を開いた。
「ねえミツイくん、守破離って知ってる?」
「シュハリ?」
美紗子の言葉を繰り返した三井の顔には、知らない、という文字が浮かんでいた。
「うん、守破離」
今度は先程よりも少しだけ丁寧に言葉を発してから美紗子は説明を付け加える。
「日本の芸術関係の考え方の一つでね、まずは教えてもらった型を徹底的に「守る」。それから学んだ型をベースに研究して自分に合った型を見出し既存の型を「破る」。最後に自分の型を理解して習った型から「離れる」。こういう考え方を表す言葉なんだ。」
「へえ。つまり人の成長過程を意味する言葉だ」
三井はそう答えてから「守破離、守破離」と音を楽しむように言葉を二度繰り返した。
「それでね、もともとは千利休の言葉をから取ったものらしいんだけど「離」の後には続きがあるんだよ」
「続き?」
いつの間にかギターを壁に立てかけて、美紗子の話に正面から向き合っていた三井が訊く。
「うん。『離るるとても本は忘るな』って」
千利休の言葉ををそのまま引用する。三井はその意味を汲み取ろうとしてか「本は忘るな」と小さな声で美紗子の言葉を復唱した。
「型から離れて自分のモノを見つけても、根本は忘れちゃダメだよってこと」
ざっくりと要約した美紗子の言葉に三井は「へえ」と納得したように声を漏らす。
「それで、その守破離が突然どうしたの?」
「型から離れて本を忘れちゃうとこうなるんだよって、伝えたかったの」
そう言った美紗子は、先程まで自分が作っていたものを三井に掲げながら言った。するとすぐに「ああ、なるほどね」と三井が何かに納得したような様子で答えた。美紗子に手には、どこからが袖でどこまでが胴なのか、暑い日に着るべきなのか寒い日に着るべきなのかなんとも見当のつかないような、そもそも服と呼んでいいのかどうかも怪しいような、そんな何かが握られていた。
「なんというか、あれだね、すごく個性的で、独創的で、芸術的な感じだね」
三井はなんとか言葉を選びながら、なんとも言えない感想を紡ぐ。
「でしょ。まさに根本を忘れてるよね」
広げたそれを色々な角度から眺めて美紗子は笑う。三井も「何が何だかわからないよ」と笑って本音を漏らした。そして漏らしてから、少しだけフォローの言葉を口にする。
「でもなんだか、パリコレっぽいよ。俺、パリコレがどんなのかよく知らないけど」
だがフォローするともしきれないその言葉と三井の口から出てきた「パリコレ」という単語に、美紗子は思わず笑いころげる。ケラケラとひとしきり笑って、ふうと大きく息を吐いて落ち着くと「パリコレか」と噛み締めるように三井の言葉を口にした。
「基本の型もできないままに、個性とか独創性を求めに走るのは『型無し』で、きちんと型を得てから破るのが『型破り』なんだって。たぶん私のこれが『型無し』でパリコレはきっと『型破り』なんだよ」
それからその服のような何かを自身にあてがって「ほら、もう服かどうかも怪しいよ」とまた笑った。
「ミサの話ってなんだか面白いよね」
そう言う三井も笑っていた。
「そうかな?」
「俺からしたら、そうだよ」
三井の言葉に少し照れた美紗子は「ありがと」と答えしてから、服のようなそれをあてがった姿を三井に見せて「どう?」と聞いてみた。三井は楽しそうな色を声に乗せて「やばい」と伝える。その「やばい」が意味するところを美紗子は正確には理解できなかったがとりあえずまた「ありがと」と返した。
「でも俺さ、その守破離、ぜんぜん出来てないよね。楽譜もコードも、基礎は何にもわかんないし」
「どうだろう。ミツイくんたちも昔はコピーバンドやってたんでしょ? それが「守」なんじゃないかな。誰かの曲を真似て、それをアレンジして、自分たちのオリジナル曲を作れるようになる。これもある意味、守破離だと思うよ」
「なるほど。じゃあ俺たちもちゃんと守破離してたんだね」
三井は満足そうに頷いた。それからまたギターを手に取って、初めてコピーしたと言っていた曲のワンフレーズを口ずさむ。「スタンドバイミー」とカタカナで書いたような英語が綺麗な音になって空気を揺らした。
「うん。『守破離してる』って言葉が正しいかはわからないけど、Ricはちゃんと守破離してるね」
「意味もだけどさ、シュハリって言葉の響きもかっこいいよね。俺いつかシュハリって言葉で曲を書いてみようかな」
三井ならそれでも素敵な曲がかけるだろうと思って美紗子は「いいんじゃない」答えた。
「その時はミサのその服、CDのジャケットにするね」
その本気なのか冗談なのかわからないような言葉を、いつもの変に真面目な表情で言う三井には「それはどうだろう」と煮え切らない返事をした。
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