十一

 三井の言葉はまるで「自らから音楽を取れば、この肉体以外は何も残らない」とでも言うかのようだった。


「それくらい、三井さんには音楽が大事なんですね」


答えながら美紗子は考える。私から服飾を取ったらどうなるのだろうか。


「大事というより、十年間、音楽しかやってこなかったから音楽以外は何も無いんだ。不器用だから同時に色々やれなくて、勉強も部活も何も無い。空っぽなんだ」


そう言いながら「駄目な大人でしょ」と自傷気味に口元を笑みの形に歪めた。

 美紗子は器用な性格だ。大体のことはそれなりにこなせる。だからきっと、服飾を取っても何かしらは残るだろう。そんな美紗子は好きなものにまっすぐな三井を羨ましくも思ったし、自分の器用さに少しだけ安心もした。だから


「でも、かっこいい生き方ですね」


と当たり障りの無い答えを返す。


 その言葉を最後に、二人をしばしの沈黙が包む。店内を流れるBGMが鮮明に聞こえた。しかし美紗子にはこれがなんの曲なのかは分からなかった。異国の曲ではあるような気がした。


「ねえ、それ美味しいの?」


そのBGMを引き立てる沈黙を破ったのは三井だった。繊細そうな指先が、美紗子の半分ほどまで減ったカンパリソーダのグラスを向いている。


「バーで運ぶことはたまにあっても、飲んだことないかも」


「うーん、私は好きですよ。でも好みは分かれるかも」


美紗子はカランと氷を鳴らして、グラスを揺らせて見せた。


「飲んでみます?」


恋だの愛だの騒げる歳だが間接キスではしゃげる程に若くもない。揺らしていたグラスをすっと三井の前に押し出した。それを素直に受け取った三井は、グラスの縁に唇を寄せて中の液体を口に流し込む。その後で一瞬、うっと驚いた顔をした。


「予想外の味だった。けど、結構好きな味だ」


口の中のアルコールをこくりと嚥下すると、ふっと顔を緩めて言った。指先が官能的な動きで唇の端を撫でて雫を拭う。


「甘いのを想像してました?」


「うん。すごく偏見あるけど、女の人が飲むお酒って甘いのが多いと思ってた」


少し照れくさそうに、三井は言う。


「私、甘いお酒は苦手で普段はビールばっかりなんです。これも偏見かもですけど、男の人ってビールばっかりの女の人は嫌かなと思って、私、男の人と飲む時は見た目が綺麗で甘くないカンパリをよく飲むんです」


「そんなの気にせず飲めばいいのに」


「実はさっきまで合コンだったんです。友だちは皆、綺麗で甘いお酒を飲むから少し恥ずかしくて」


美紗子も照れたように、髪の毛に触れた。


「合コン、だったの?」


三井はなぜか「合コン」という言葉を繰り返す。


「はい、合コンです。でもああいうお酒の場って少し苦手で、いつもは誘われても行かないんです。でも今日はたまたま、来てみました」


「合コン、俺も前に何度か行ったけど得意じゃなかったな。会話が上手く続かない」


三井の言葉に美紗子は「わかります」と同意した。酒が入ったがやがやと異様な熱を持つ空間では、美紗子はただひたすらに相槌を打つだけの存在になってしまう。


「でも今日は合コンに来てよかった。合コンは何も無かったけど、トイレで三井さんを見つけた」


ふふっと笑みを溢しながら美紗子は言った。言った後「あれ?これって三井さんに気があるように取られる?」なんて思ったが、酒に浮かされた頭が思考を放棄する。


「俺も、来てよかったよ。ミサちゃんと話せたし、カンパリが美味しいって知れた」


三井もふわりと笑いながら、そう言った。


「ねぇ三井さん。その美味しいカンパリの朱色が、何で作られてるか知ってます?」


何やら流れ出した、甘い空気を断ち切るように美紗子は話題を急転換させた。もう少し、この心地いいリズムで会話を楽しみたい。


「え、何、知らない。変なものでも入ってるの?」


突然変わった話題にか、自分が口にしたものに変なものが含まれているかもと気にしてか、少し慌てて三井は言った。それに美紗子はニヤリと笑って間を持たせ、答えを焦らす。


「ふふふ。この朱色、実は虫なんですよ」


「え、虫?」


「そう。虫、です。それもサボテンとかにくっついてるカビみたいな、なんとも言えない姿の虫です」


少しだけ嫌な表現も混ぜて美紗子が説明すれば、切長の目の上でぐにっと眉毛が動いて眉間に皺が寄った。


「私も初めてそれを教えられた時、今の三井さんみたいな顔しました」


三井の反応に美紗子は満足する。


「でもこれちょっと前までの話なんで、さっき三井さんが飲んだのは合成着色料由来の朱だから大丈夫です」


三井の反応を十分に味わってから、美紗子は本当のことを口にする。三井の眉間の皺が解けた。その反応を美紗子はただただ可愛いと思った。


「まあ、この虫から抽出した赤色は結構ほかの食品にも入ってたらしいので、私たちも口にしたことはあるんだと思いますけどね」


ふふんっと得意気に美紗子は言った。少し前まではただの「相槌マシーン」だったのに、三井の前ではスラスラと言葉が繋がる。満足そうな美紗子の前で、三井は「びっくりした」と鼻の頭に触れながら笑った。

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