三井の優しい話し方を聞いていると、嫌なことから解放されたように感じた。


「どんなバンド?って聞かれると、難しいんだよね。なんか、色んな曲やってるから」


三井はまた、目をくにゃりと細めて楽しそうに言った。


「楽しそうですね」


美紗子も、昔は服が作るのが楽しかったのを思い出す。


「バイトしてるバーもメンバーの叔父さんが経営してるジャズバーで、そのメンバーも一緒にバイトしてるから、オープン前に場所借りて少し練習するんだ。そこ、生演奏もできるバーだから、営業時間中にもたまに演奏させてもらったりして。でも俺めっちゃ下手だから、基本はホールで物運ぶだけなんだけど」


彼は、好きなことに対しては饒舌になるようだった。楽しそうに笑いながら話す姿が、美紗子は羨ましかった。


「楽器、なに演奏するんですか?」


「ギター。あと、バンドでは歌ってる」


「ボーカルなんですね」と美紗子は返す。


「一緒のバーに行ってるメンバーもギターで、そいつがすごく上手い。色んな楽器ができるし。俺、中学の時にそいつに誘われてギター始めたんだ。ただ俺が未だに上手くなんなくて、いっつも馬鹿にしてくるけど」


「でもバンドで歌って弾くんでしょ、すごいよ」


「ありがとう」


三井は歳上だけど、子どもみたいだった。楽しそうに、少し早口で話した。本当にやさしい顔をして笑う。それが、可愛く思えた。


「でもミサさんも、服とか作るとか、すごいよ」


お互いがお互いを「すごい」の三文字で褒め合うのは、すごく子どもっぽいけど心地がいい。


「んー、でも今、すごい悩んでて、ちょっとへこんでるんですよね」


また、長い睫毛が美紗子の顔に影をつくった。


「あんまり引かないで聞いてほしいんですけど、私、結構なんでもすぐできるんですよね。だから才能あるとか思い上がってたかもです。結局、そうじゃないって思い知らされて、めちゃめちゃへこんでます」


美紗子の顔は笑っていたけど、泣きそうだった。


「なんか私って『平凡じゃなかったけど、非凡じゃなかった』みたいな、『悪くないけど、良くはない』みたいな」


泣かないように、美紗子はぐっと顔に力を入れた。平気なように、楽しそうに見せようと、足を二、三度パタパタと動かす。


「たしかに今、俺たちが目指すものって誰でもなれるというか、名乗れる時代だから『平凡じゃないけど、非凡じゃない』ってのわかるかもしれない、です」


今度は少しゆっくり、言葉を選ぶようにして三井は返す。

 ここでまた、会話が途切れる。木陰とはいえやはり暑くて、手持ち無沙汰で口に含んだペットボトルのお茶は、もうすでにぬるかった。二人を覆う木陰は、先程よりも少し長く伸びたようだった。


「あの、ごめん。今日すごい一人で盛り上がってたかも。時間とか、大丈夫だった?」


三井は眉毛をハの字に下げて尋ねる。


「全然大丈夫ですよ。家にいたら色々煮詰まりそうで、ふらふらしてただけなんで」


美紗子は少し大袈裟に手を振って答えた。

「よかった。」と三井がほっとしたように笑う。


「三井さんこそ、時間大丈夫ですか?」


「うん。そろそろ、行こうかな。今日もバイトの前に練習やるし。ごめんね、すごく、時間とらせちゃって」


「いや、すごく楽しかったですよ。話ししたら、少し気持ちも軽くなりました」


「よかった。俺も、楽しかった」


三井がベンチから腰を上げる。蝉は未だにそこら中で鳴いていた。


「あのっ」


立ち上がった三井を、美紗子が呼び止める。


「よかったら、バンドの名前、教えてもらってもいいですか?」


自分から男性に連絡先を求めたことがなかった美紗子は、連絡先を聞くことができず、それでもなんとか繋がりを残したくてバンド名を聞いた。


「リックだよ。大文字のRと、小文字のiとc。短くて覚えやすいでしょ」


美紗子は頭の中で何度か『Ric』という名前を繰り返した。


「あの、もし、よかったら、連絡先を聞いても、いい?」


三井が、おずおずと言った様子で聞いてきた。


「いいですよ」美紗子は答えながらスマートフォンを出す。


「バンドマンだし、バーテンダーじゃないけど、バーでバイトしてるから、女の人に連絡先聞くの、すごい申し訳ないというか、なんというか、聞きにくくて」


三井は右手で髪の毛に触れ、ぼさぼさと長い前髪で顔を少しだけ隠した。


「あ、意外!そういうの、気にするんですね。でも私も連絡先聞きたかったから、よかった」


くすくすと笑いながら美紗子が返すと、三井はまた照れたように笑った。


 三井は別れ際、登録したばかりの美紗子の連絡先に一つのURLを送って「そこ、バイトしてるとこ」と告げた。美紗子は「いつか、行ってみますね」と本音半分、建前半分で返した。


 それから美紗子は遠くへ歩いていく三井をしばらく見ていた。だけど三井は一度も振り返らなかった。美紗子も鞄を手に取ってようやく帰ることにした。


 帰りは電車を使った。原宿駅まで歩いて外回りの山手線に乗る。夏休みの原宿駅は、着飾った若者で溢れていて歩きづらい。車内もそれなりに人が多くて、歩き疲れた足が痛いが座れそうにない。諦めて吊革に捕まって電車に揺られる。目の前の座席では、制服姿の男女が、手をぎゅっと繋いで電車に揺られていた。


 男の方が「さっき食べた白いお菓子なんだっけ?」と聞くと、女が「メレンゲでしょ」と答える。「いや、なんかもっと他に名前あったでしょ」とさらに聞くが「知らないよ、調べなよ」と返す。男が繋いだ方と反対の手でスマートフォンを取り出すと、女の方に向ける。女はそれを慣れた手つきで操作する。それはまるで二人ではなく一人のようだった。絶対に手を離して調べた方が楽なのに。美紗子はその様子を視界の端で眺めていた。


 「ムラングだって」女が言うと「思ってたのと違う」と返して二人はくすくす笑った。

 美紗子は少しだけ、この二人の手がいつほどけるのかが気になり出していた。

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