土砂降り

 柏原くんの忌引きは3日間で終わり、週半ばに登校してきた。


 朝、教室で柏原くんの姿を見つけ、私は一瞬、声を掛けるのを躊躇った。


 驚いたわけじゃない。


 今日から登校すると、昨日メッセージが来ていたから。


 大型連休と合わせて10日あまり、久々に見る彼は、今まで以上に輝いて見えた。




 ヤバイなあ……。




 1年間、あんなに避けていたのに、4月以降、毎日のように隣にいられるようになったとたん、会えないのがツラくてたまらなかったんだ。


 それを、会えないときにじゃなく、会えたとたん、まざまざと感じてしまった。




 ……こんなにも、柏原くんに会いたかったんだな、私ってば。


 何だか息苦しくて、声を掛けられない。




「あ! れ……北見さん!」


 そんな私の気持ちも知らないで、柏原くんは、全開の笑顔で話しかけてきた。


「色々ありがとな。無事帰ってきました」


「いえいえ、お疲れさま」


 何とか気持ちを鎮めて、私は慌ててカバンからルーズリーフの束を取り出した。


「これ、休んでいた間のノート。分かりづらかったらゴメン」


「おお、サンキュー! ……スゲー丁寧に書いてあるじゃん! 字、きれいだなあ」




 ……よかった、何度も書き直した甲斐があったよ。




 他愛ないお世辞でも、こんなにも嬉しい。


 そして、おみやげの雷おこしをもらい。




 冒頭のやり取りに至るのである。






 その日は朝から晴れていたのに、部活を終える頃になって急に雲行きが怪しくなってきた。


 電車に乗っている最中に、車窓にポツポツ雨粒か当たるのが見えた。


 やっばいなあー。


 置き傘も無かったし、雨なんて予報もなかったから、今日は傘持ってないんだ。


 家に着くまで、降らないでもらいたかったんだけど。


 駅に着くと、雨は本降りになっていた。


 家に電話すると、留守電だった。


 母親のスマホにかけても、コールがむなしく繰り返されるだけ。


 多分買い物にでも行ってるんだろう。


 店内だと、ザワザワしていて、着信が分からないと言ってたから。


 一応メッセージ送信してみたけど、既読がつかない。




「あれ? 怜子もこの電車だったんだ?」


 声をかけてきたのは、絵梨香だった。


「今日、絵梨香、早かったんだね」


「うん。バレー部が練習試合で、コート全面使うから、基礎トレだけで終わったんだ……雨、すごくなってきたね」


「ホント。どうしよう……やまないかなあ?」


「うちの人は?」


「それが、家もスマホも出なくって。既読つかない」


「じゃあ、送ってくよ。うちの母親、買い物すんだら迎えにくるっていうから、一緒に待ってよ?」


「え、悪いよ。絵梨香んち、逆方向じゃない」


「いいって。車ならスグだし。行き違うといけないから、連絡しときなよ」


「じゃあ、お言葉に甘えて」




 絵梨香が連絡している間に、母親に絵梨香のお母さんに送ってもらうと送信する。


「母親オッケーだって。まだ時間かかるから、中で待ってよ?」


 普段待合室には、ほとんど人はいないけど、今日はお迎え待ちなのか、結構混雑していた。


 ベンチはいっぱいだったけど、なんとか端っこの席を確保できた。


 5月半ばといっても、こんなに雨が降っていると、肌寒い。




「お腹へったなあ……」


 不意に、絵梨香がつぶやいた。


「何で、この駅は売店もコンビニもないんだろ……」


 そう言われると、私も何だかお腹が空いてきた。




「あ、そうだ。これ、食べよっか?」


 カバンから、柏原くんにもらった雷おこしの入った袋を取り出した。


「え、何でそんなもの、持ってンの?」


「あ、おみやげにもらったから」




 誰から、とは言わず。


 ホントは、柏原くんからもらったものなら、大事にとっておきたいところだけど。


 でも、義理でもらったような、味気ないおみやげを大事にしまっておくのも、逆にむなしい気がする。


 キャアキャア言いながら食べてしまった方が、すっきりするかもしれない。




「もしかして……柏原くんから?」


 え、なんで……?


 声には出さなかったけど、絵梨香には通じたらしい。


「男バスのマネージャーが持ってきたんだ。柏原くんのおみやげを、おすそ分け、って」


 ……。


「雷おこしと、お茶の飴……静岡のお土産だからって」




 雨は、ますます激しくなってきた。


 まるで、私の気持ちに答えてるみたい。




「そっか、私のは、後で気が付いて買ったんだろうね……静岡土産ですらないし……」




 その他大勢に、とりあえず買っていくようなおみやげは、そんなもんだよね。


 でも。


 彼女のお土産だけは、きちんと静岡で買ったんだ。




 そういうもんなんだよ。




 雨宿りしてるのに、心は土砂降りの中で、雨に打たれているかのように。


 目の前が、霞んで、見えない。




「……怜子……?」




 涙が、止まらない。


 急に、まわりが暗くなる。


 絵梨香が、腕全体で、私の頭を抱えるようにして、引き寄せていた。




 優しい友達の体温を感じながら、私は、声を殺して、泣き続けた。


 散々絵梨香の服をハンカチがわりにして、何とか私の涙腺は閉じた。


 絵梨香は何も聞かず、私をトイレまで引っ張っていき、濡らしたタオルで瞼を冷やしてくれた。


 おかげで、絵梨香のお母さんが迎えに来た頃には、何とか見られる顔になっていたけど。






 次の日は、前日の雨雲なんてどこに行ったのかと思うくらいの快晴で。


 お昼休みには、中庭の芝生はすっかり乾いていた。


 「今日、中庭で一緒にお昼食べよ?」


 登校してすぐ、洗濯した後、一晩かけて何とか乾かしたタオルを渡すと、絵梨香が言った。


 今年になってクラスが分かれたので、一緒にお昼を食べるのは久しぶりだった。


 お昼休みになって、お弁当片手に中庭に行くと、もう絵梨香は場所を確保していて、私を見て手を振った。


 「4時間目、カヤバァだったから、早く来れたんだ」


 時間にうるさいけど、授業もきっちり時間内で終わらせてくれる古文の加山先生は、その点で生徒に評価が高い。




「……怜子、柏原くんのこと、どう思ってる?」


 お弁当を食べ終わる頃、不意に絵梨香が聞いてきた。




 最後のプチトマトを口に入れたばかりの私は、思わず噛まずに飲み込んでしまった。


 胸を叩いたりお茶を飲んだりして、何とか胃に落とす。


 背中をさすりながら、絵梨香は続けた。




「前に、彼女がいるかもって、言ったよね」


「……うん」


 バスケ部の美人マネージャー。


「付き合ってた、ってのはホントらしいんだ……中学では」


「でも……」




 手を出すなって、牽制されたのは、去年の今頃だったし。




「……私の主観で言うよ? 多分、あの二人、何でもない」


「……」


「中学で一緒だった子から聞いたんだけど。文化祭かなんかのイベントでベストカップルに選ばれて。彼女も内緒にしてたのに、みたいなコメントして……何だか公認のカップル扱いされてたみたいで」


「でも、柏原くんも否定しなかったんでしょ?」


 満更でもなかったんじゃ……美人だし。


「だから、彼女の方は、多分好きだと思う。でも、柏原くんは、わからない」


「でも……」




「ゴメン……怜子の気持ちに気付かなくて……ずっと、つらかったんでしょ。ずっと、好きだったんだよね……?」




 私は、コクンと、頷いた。


 昼休み終了の予鈴が鳴る。




「ともかく、気持ちを伝えるべきだよ! こんな風に苦しんでいるぐらいなら……」


 慌ててお弁当をしまいながら、絵梨香は付け加えた。




「それに、飴をお土産に選んだのも、多分、柏原くんじゃないから」


 ……?


「だって」




 ポイッと絵梨香が投げて寄越したモノ……緑色のパッケージのキャンディー。




「きっと、買ったの、お母さんか誰かだよ。このセレクトは」




 手のなかで、無表情のご当地白ネコちゃんが、笑っているように見えた。


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