エピローグ
ホミカは以前と然程変わらない日々を送っていた。
店に出ると薬を作り、客に薬を提供する。スエルトにいない間、薬が足りなくなることはなかったようで、急いで追加する必要もない。しかし、王都で原因不明の病が流行っているらしいという噂がスエルトで広がっていたのだ。
王都へ行く時よりもゆっくりと馬車で帰ってきたホミカは、夕方にスエルトについた。店の近くで降ろしてもらうと、店に顔を出した。店は閉まっていたが、ネスティが掃除をしていたため帰ってきたホミカを出迎えてくれた。そして、すぐに病のことを尋ねて来たのだ。
そのことにホミカは驚きはしたが、解決したことを伝えるとネスティは安心したようだった。王都へ行ったのは、その薬を作るためだったことを伝えると「話してくれても良かったのではないですか?」ネスティはふてくされた。けれど噂にもなっていない病で不安にさせたくはなかったことを告げると、不満そうではあったが納得したようだった。話されていたら、彼女は心配ばかりしていただろう。
一緒に掃除を終わらせると、ネスティに「明日は休みですから、しっかり休んでくださいね」と言われて見送られた。
自宅に着くまでにも顔見知りに会い、少し立ち話をしてから漸く家に着くことができた。家の中に入りリビングに行くと、丁度母親が夕食をテーブルに並べているところだった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「夕飯は食べる?」
その言葉に大きく頷いた。久しぶりに母親のご飯を食べられることが嬉しかったのだ。荷物を部屋に持って行き、帰宅するからという理由で洗濯をすることができなかった服を持って部屋から出る。服は籠に入れて石鹸をつけて手を洗うと、リビングに戻った。
ホミカの分も用意されており、母親は椅子に座って待っていた。椅子に座ると、2人で手を合わせて夕食を食べ始めた。
久しぶりに食べた母親の手作りの料理は、とても美味しく感じられた。王宮の料理もおいしいものではあった。しかし、食べなれた料理の方が美味しいと思えたのだ。
夕飯を食べ終わると、レニーを連れてお風呂に入った。自宅でのお風呂ということもあり、ゆっくりすることができる。薬を作る必要もないため、今日はレニーのことも洗い十分温まってからお風呂を出た。
それから、寝る時間になるまで母親に王都であったことを話した。王都で好きになったガルフレッドの話もした。今まで誰かを好きになったという話しを聞いたことがなかった母親は、相手が獣人であろうと気にしていないようだった。
いつか会ってみたいと言う母親に、ホミカも何時か会ってほしいと思っていた。
翌日。ホミカは最近はずっと忙しくしていたことから、黙って家にいるのが嫌で、レニーを連れてとある場所に来ていた。そこは、騎士寮。鍵は開いていて、誰でも自由に入ることができる。
しかし、扉を開けると誰も入っていないことがすぐに分かる。埃が空気中に舞った。思わず左手で口を押さえながら寮に入った。
扉を閉めると、暗くなり室内がよく見えなくなる。カーテンを開けて、ついでに窓も開ける。埃が舞うが、気にしている場合ではない。
「さて、はじめようかな」
ホミカが始めたのは、騎士寮の掃除だった。いつ騎士達が来てもいいように今から掃除をしようと考えたのだ。掃除道具は持って来ている。1人では1日では終わらないが、毎日少しずつ掃除していればその内終わるだろう。そう考えてはじめたのだけれど、1人ではなかなか終わらなかった。
電気はつかないため、遅くまでは掃除ができない。水も出ないため、店や自宅からバケツに入れて運ばなくてはいけなかった。
休みは掃除に使い、次の日からはお昼休みと仕事終わりに少しだけ掃除をすることにした。ネスティがいれば薬を作る時間が十分にあるため、忙しくない限り研究室に入り薬を作る。昼食を食べるとすぐに騎士寮に来て掃除をする。休憩時間のギリギリまで掃除をしてから、急ぎ足で店に戻る。
仕事を終えて、店の掃除を終わらせてすぐに騎士寮に向かい掃除をする。掃除時間は1時間くらい。それくらいの時間でなければ、室内が見えなくなってしまうのだ。母親には暫く帰宅は8時になることを告げていた。
心配はされたけれど、騎士寮を掃除していると知っているため、それ以上は何も言うことはなかった。手伝おうかと聞かれたことはあったのだが、母親も手が離せないため断っていた。
しかし、1人で掃除を始めて4日が経った頃。毎日騎士寮に入って行くホミカを見ていた人達が掃除を手伝うようになった。中には、ホミカの母親から話しを聞いたと言う人もいた。
お陰で、掃除を開始して6日目には騎士寮内は綺麗になった。3年間誰も使っていなかったようには見えず、雨漏りをしているような場所もない。これなら、今すぐ騎士達が来ても大丈夫だろう。掃除を手伝ってくれた人達も、騎士が来るのを楽しみにしているようだ。
そして、その日の夜。お風呂から上がり、部屋で本を読んでいたホミカは、ベッドで丸くなっているレニーに問いかけた。
「以前の私とどうやって契約をしたの?」
「ただ、病を治したいのなら私と契約すれば手助けしてあげるって言っただけよ」
その時のホミカは、その言葉を聞いて頷いたのだという。手助けと言うより、助言ではあったのだが、少しは手伝うことができたのだとレニーは嬉しそうに言った。けれど、自分の所為で処刑されてしまったことにショックを受けたのだ。だから、それきり契約をしていない。
「ありがとう、レニー。貴方が側にいてくたことで、どれだけ助かったことか。これからも離れないで側にいてね」
「悪魔を側に置いておくつもりなの?」
驚くレニーは、ホミカの言葉が信じられなかったようだ。原因不明の病にかかった人のために新薬を作り、無事に完成させた。これからその薬を飲んだ人は病が治っていくのだ。
もう処刑されることはない。それだけではなく、ガルフレッドと両思いになった。無事、幸せを掴んだのだ。レニーは、自分が側にいる理由はないと考えていた。
「何を言っているの? 貴方は家族よ。側にいてくれないと困るわ」
母親もレニーを気に入っている。突然いなくなると悲しむことだろう。もちろん、ホミカだって悲しむのは同じだ。
レニーの隣に座り、頭を撫でると照れ臭そうに顔を逸らした。
「仕方ないわね。嫌だって言われても、ずっと側に居続けてやるんだから」
そう言うと、レニーは尻尾をホミカの腕に巻きつけた。それが嬉しくて、ホミカは思わずレニーを抱きしめた。
少し苦しそうではあったが、レニーは何も言うことはなかった。
王都から帰宅して、数日が経っていた。
今日は朝から少し忙しく、なかなか休憩することができないでいた。薬を受け取りに来る常連客以外にも、旅をしているという冒険者や旅行者などが店に来たのだ。
冒険者がもしものことを考えて風邪薬を購入していくことは時々あった。冒険の途中で、風邪をひいてしまうことがあったら大変なのだ。風邪が軽いうちに薬を飲んで休めば、翌日には治ってしまうこともある。
しかし、旅行者が薬を購入するということは今まで一度もなかった。それどころか、スエルトに旅行者が来たこともない。何も見るものがないからだ。来たとしても素通りして行くほどだ。
どうしてこんなに客が来るのかと不思議に思ったネスティが旅行者に尋ねたところ、王都でホミカが作った薬のお陰で病が治ったという話しが広まったのだという。嘘ではないのだが、ここへ来たのはそれだけが理由ではない。王都では現在風邪薬などが少ないため、薬を買いにスエルトに旅行をしに来たのだ。
病を治す薬を作った薬師の薬なら、よく効くだろうと思ったようだ。たしかに作る人によっては効き具合が少し変わる。しかし、ホミカは他の薬師と然程変わらないと説明をした。
そうしなければ、他の薬師が作った薬が売れず、薬師の生活が苦しくなってしまうからだ。この様子だと暫くは客が多くなるかもしれないが、すぐに元に戻るだろうとホミカは考えていた。
旅行者の中には、ホミカのことを『魔女様』と呼ぶ人もいた。どうやら、家族が病にかかっていたようで何度もホミカに感謝をした。ホミカに会って礼を言うことが目的の人もいたのだ。
客足が途絶えたのは、午後2時を回ってからだった。お昼も食べていないことから、2人で休憩をとることにした。1時間店を閉めることにして、2人で外に出ると少し騒がしいことに気がついた。
騒ぎは広場の方向からだった。ホミカとネスティは顔を見合わせてから広場へと駆け足で向かう。後ろからレニーもついて行く。
広場の中心で何かが起こっているようだ。聞き覚えのある声がホミカの耳に届いた時、広場に集まった人達が一斉に拍手を送る。
ネスティは騒ぎの原因が分かっていないようで、どうして拍手をしているのかと周りを見ていた。しかし、ホミカは分かっていた。人の間を通り、声が聞こえた方へ向かって行く。離れないようについて来るレニーとは違い、ネスティが離れた場所からホミカを呼んだが、ホミカは足を止めることはなかった。
人の間を通り、一番前に来るとそこには10人の騎士がいた。馬車から荷物を下しており、その中で指示をしている人物に視線を向けた。騎士達は人間なのだが、その人物だけが獣人だった。馬車から荷物を運ぼうとしているその後ろ姿に、ホミカは声をかけた。
「ガルフレッド」
「ホミカ」
すぐに反応して振り返ったガルフレッドは、千切れるのではないかと思うほどに尻尾を振った。
その姿に微笑むと、人前だということを理解していながらもホミカはガルフレッドに近づくと抱きついた。会えたことが嬉しかったのだ。
たった数日会っていないというだけだったが、ひと月以上会っていないように感じられたのだ。ガルフレッドも同じように抱きしめ返してくれる。
「ヒューバート陛下の命令で、今日から常駐することになった」
「ふふ。ヒューバート陛下には見抜かれていたのね」
「そうらしい。お前はスエルトに行かなければならないと言われたよ」
ガルフレッドに向かってそう言うヒューバートの姿は容易に想像できる。
きっと、バルコニーでの2人を見ていたのだろう。
「ヒューバート陛下には感謝しないといけないわね」
そう言うと、どちらからともなく唇にキスをした。周りからは口笛を吹く音が聞こえたが、2人の耳には届いていない。
今はお互いの姿しか見えていなかった。
「これからは、いつでも会えるわね」
「ああ。もう、寂しくはない」
そう言うとガルフレッドはホミカの頬にキスをした。多くの人に見られていることにその時になって気がついたが、気にすることはなかった。
ホミカがいなくなってからの王都でのことをガルフレッドは話す。病にかかった人のほとんどが後遺症もなく完治したこと。製薬所は綺麗になり、現在はホミカが作った薬を中心に作っていること。もう少し落ち着いたら、以前のように風邪薬などを作り始めること。現在の責任者は、製薬所内を案内してくれた男性だということ。
ホミカは何も言わなかったが、製薬所内にいた薬師の中で『魔男』と呼ばれているのは彼だけだった。
そして、アルハイトは以前よりも騎士として見回りなどの仕事を積極的にやっているという。今までも積極的ではあったのだが、人の話をよく聞くようになったのだ。そのお陰で、以前よりも騎士達から頼りにされるようになったのだ。相談事も真面目に聞いてくれるようになり、話しやすくなったのだとガルフレッドは言った。
病が広がった原因は、魔物によるものだと民衆には伝えられているのだという。国を襲うようなことをしない魔物が、年に数回レヴェナ付近に現れることがあるのだ。今回その魔物が怪我をし、自信を守るために体から毒素を放っていたのだと説明したのだ。それに納得してくれたという。真実を知っている人には、箝口令を敷いているのだ。
それらを聞いて、ホミカは安堵した。自分が帰ってから、何か騒ぎが起きていないかと不安だったのだ。
やって来た騎士達を見ていた人々が徐々に数を減らしていき、残ったのはネスティとレニーだけだった。
ネスティの視線の先には楽しそうに話をしているホミカとガルフレッドがいる。キスをする姿も、偶然人の間を抜けた時に見ていたのだから、2人が両思いだということには気がついていた。
しかし、ネスティにとっては複雑だった。相手は、初めて会った時に自分が怖がった獣人だったからだ。その獣人に師匠であるホミカが奪われたのだ。
ホミカが幸せになることは嬉しかったが、どのような顔をすればいいのか分からなかったのだ。一瞬だけ考えてみるが、すぐに答えは出てしまう。
「いつも通りでいればいいし、普通に幸せを願えばいいよね?」
足元で座っているレニーに向けて問いかけた。ガルフレッドが獣人だということを気にせず、普通に話しをすればいい。それに、幸せになってほしいという思いは間違いではないのだ。
問いかけられたレニーは、「それでいい」と返事をするように小さく鳴いた。その視線の先には、幸せそうに笑い合っているホミカとガルフレッドがいた。その姿に、漸く幸せにすることができたのだと気がついたレニーは、静かに涙を流したのだった。
薬師ホミカは幸せになれるのか さおり(緑楊彰浩) @ryokuyouakihiro
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