8話 メイド




「ホミカ様」

「ん?」


 聞き覚えのない声が聞こえて目を開く。すると、視界いっぱいに見知らぬ女性の顔が見えた。そこで漸く、自分が寝ているのは自宅のベッドではなく王宮のベッドだということを思いだして慌てて起き上がった。

 部屋には2人のメイドがおり、1人は静かに立っていた。もう1人はホミカを起こすために声をかけていた。どうやらホミカが姿を見せないため、心配になったようだ。


「ごめんなさい。寝坊してしまったみたい」

「いいえ、気になさらないでください。馬車での長旅でお疲れになったのでしょう」


 靴を履いてゆっくりと立ち上がるホミカに手を貸しながら言うメイド。彼女はホミカの母親の年齢に近いのかもしれない。どこか安心感を覚え、洋服棚から服を取り出して脱衣所へと向かう。

 洗面台もあることから、脱衣所で身支度が全てできるのは嬉しい限りだ。メイド達がいなければ、部屋で着替えていた。しかし彼女達がいる中で堂々と着替えることはできない。

 身支度を済ませて部屋へ戻ると、そこは綺麗に片付いていた。レニーのキャットフードが入っていた器も別のものに変わっている。ベッドメイキングも終わっており、換気のために開かれた窓からは涼しい風が入ってくる。

 掃き掃除も終わらせたようで、床も綺麗になっている。汚れていないと思っていても、掃除された後の部屋を見ると汚れていたことが分かる。


「寝坊してしまって時間をとらせてごめんなさい」

「大丈夫ですよ。ホミカ様が部屋を綺麗に使ってくださっているから、予定よりも早く終わりました」


 1人のメイドが脱衣所に入り、洗濯籠を持ってくる。昨日着ていた服や、使ったタオルが入っている。そして、ホミカが手にしていたパジャマも籠に入れてしまう。

 寝汗をかいているから毎日洗った方がいいと言われてしまうと、渡さないわけにはいかない。


「ホミカ様。まだお時間があるので、少しお話をしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんよ」

「ありがとうございます」


 笑顔でそう返すと、嬉しそうに微笑んだ。

 この王宮には何かルールがあるのだろうかと思うホミカだったが、そうではないらしい。彼女達は、ただ話をしたかっただけのようだ。

 足元に洗濯籠を置いて、メイドが椅子に座る。ホミカともう1人のメイドも椅子に座ると、年齢が近いであろうメイドが不思議そうに尋ねてきた。


「ホミカ様は、どうしてあの方と普通にお話しできるのですか?」

「あの方?」

「ガルフレッド様のことです」


 あの方が誰か分からないホミカに、年上のメイドが真剣な眼差しで名前を言った。2人にとっては不思議で仕方がないのだろう。獣人は力が強い。だから怖いのだろうが、ホミカにはそれが分からなかった。

 確かに、獣人を見たのは彼が初めてだ。しかし、怖いと思うことはなかった。


「貴方達はガルフレッドと会話をしたことはありますか?」

「いいえ、ありません」


 2人同時に首を横に振りながら答えた。会話をしたこともないのに、何故普通に話せるのかと問いかけてきているのだ。ホミカにとっては、信じられない話だった。

 話したこともない相手を勝手に恐れ、どのような人物かを自分達の中で決めつけてしまっているのだ。ガルフレッドという獣人がどれほど優しいのかも知らないまま。


「彼には貴方達の陰口が聞こえています。獣人は私達人間よりも耳が良いんです。それを毎日のように会話をしたこともない人の口から聞かされている彼の気持ちをどう考えますか?」


 陰口でガルフレッドを傷つけているのだと、あえて言わない。言わなくても2人は理解したのだから。

 何も言わず黙り込んでしまった2人に、口元に弧を描いて続ける。その目は笑ってはいない。


「私は、初対面であっても恐ろしいとは感じませんでした。見た目が違うというだけで、人間と変わりません。逆に人間の方が恐ろしいです。王宮に来て、尚更そう思いました」


 話したこともないのに陰口を言うメイド。もしかすると、騎士の中にも陰口を言う人がいるのかもしれない。そうすると、ガルフレッドは1日に何度も傷ついていることになる。

 ホミカが普通に話しをするだけで喜ぶのは、何処にいても会話をする相手がいないからなのかもしれない。陰口を言われ続ければ、普通に会話をしようという気持ちさえ失ってしまうのかもしれない。

 それに比べ、ヒューバートはどうだ。国王だからというわけではなく、会話をしている時のガルフレッドはどこか安心しているようだった。彼とは気兼ねなく話をすることができるのだろう。


「そんな私達と会話をしてくれるかしら」

「大丈夫だと思います。後は、気持ちの問題だと思います」


 まず謝る必要があるのだが、それは言わない。言わなくても大人である彼女達はそれくらい理解しているだろう。あとは気持ちだ。

 心のどこかで恐ろしいと思いながら会話をしても意味がないだろう。彼にはその気持ちが伝わってしまうだろうから。


「そうよね。彼のことを良く知りもしないで怖がっていちゃいけないわ」

「まずは謝らないとですね」


 笑顔で話す2人は、ガルフレッドと話しをしてみようと思ったようだ。

 ホミカはずっと王宮にいられるわけではない。そのため、王宮にいる人とガルフレッドが仲良くなるということはいいことだ。

 またお話ししましょう。と言って2人は仕事に戻って行った。午後には別のメイドが来てお風呂掃除をするということ伝えられ、もしかすると午後には出かけていていない可能性があることを伝えた。

 今日はガルフレッドがナジャの森と街を案内してくれるのだ。誰かが来ても対応することはできないだろう。それでも大丈夫だと言って退室して行った。

 部屋には見られてはいけないものはない。部屋にいない時にメイドが入って来ても問題はなかった。




 それから30分。時刻は午前9時。

 王宮に来た時にガルフレッドに教えてもらった食堂に、少し遅い朝食を貰いに行こうと扉へと近づいた。

 だが、廊下から誰かが走る音が聞こえてきたため扉から離れた。この部屋に用があるわけではないだろうが、足音が近づいてきている。警戒しておくのがいいだろう。

 ベッドから下りたレニーが、ホミカの足元で同じように扉を見つめる。耳を立て、目を見開いて黙って見つめている。どうやら音の正体が気になっているようだ。

 足音は徐々に近づき、部屋の前で止まった。この部屋に用事があるようだ。走って来たということは急用なのかもしれない。

 ノックされたらすぐに扉を開けられるように近づこうとした。すると、ノックもなしに扉が開いた。勢いよく開かれた扉にホミカとレニーは驚いた。入って来たのはガルフレッドで、息を切らしながら扉を閉めた。背中を扉につけて、肩で息をしている。

 どれだけ慌てていたのだろうか。右手は昨日と同じようにバスケットを持っている。


「大丈夫?」

「ああ」


 大きく頷いて返事をすると、ゆっくりと歩き、テーブルにバスケットを置いた。今日も朝食を持って来てくれたようだ。

 椅子に座り、呼吸を整えているガルフレッドが準備をすることはできそうにない。バスケットの中には昨日と同じものが入っていた。走って来たというのに、こうちゃが零れた様子はなかった。

 皿を並べてパンをのせる。ティーカップとティーポットを取り出し、紅茶を注いだ。喉が渇いていたのか、ガルフレッドは注がれた紅茶を一気に飲み干した。もう一度紅茶を注ぎ、椅子に座ってから問いかける。


「何があったの? 急用ってわけじゃないわよね?」

「違う。……お前、メイドに何を話した」

「何って……」


 先程の会話を思い出す。彼が慌てるような内容は何も話していない。それなのに、ガルフレッドは疲れているように見える。

 いったい何があったのか。


「メイド達が俺に話しかけて来たんだ」

「良いことじゃない。陰口を言われるより、普通に話しかけてくれる方がいいわよ」


 パンを食べながら言うと、「そうなんだが」と元気のない返事が返ってくる。話しかけられるとは思っていなかったのだろう。突然のことに驚いて、どうすればいいのか分からないようだ。


「私と話すみたいに話せばいいのよ」

「ホミカと話すみたいに?」


 初めて名前を呼ばれたと、その時すぐに気がついた。顔に熱が集まる感じがして、ホミカはガルフレッドから視線を逸らす。


(どうして、顔が赤くなるのよ! 名前を呼ばれただけじゃない!)


 自分でも顔が赤くなる理由が分からず、内心慌てる。しかし、ガルフレッドの言葉が耳に届いて顔を上げる。その言葉に何故か心臓が大きく鼓動した気がした。


「ホミカと話すみたいには無理だ」

「どう、して?」


 動揺して声が震えるが、ガルフレッドは気がついていないようだ。首を傾げて「どうしてかは答えられない」と言うと、パンにかじりついた。

 どうやら少し落ち着いたようだ。それでもメイド達と話せるようになったことはいいことだと言うと、何も言わずに頷いた。それはガルフレッドも思っていたようだ。


「それで、このあとナジャの森に行くか?」

「良いの?」

「ああ。俺は良く分からないが、薬草が生えているらしい。ヒューバート陛下が、使えそうなものは採取していいと言っていた」

「本当!?」


 それなら採取しなくちゃと微笑むホミカをガルフレッドは見つめた。何も言わずに、嬉しそうにしている彼女を見つめて尻尾を振る。

 尻尾が振られていることに本人は気がついていない。気がつているのは、足元で大人しく座っていたレニーだけだった。


「仕事に関係することをしている時が一番楽しそうだな」

「当たり前じゃない。病気の人を助けることができるかもしれないんだもの」

「そうか」

「もちろん今は、貴方と話しをすることも楽しいわよ」

「そうか」


 紅茶を一気に飲み干す。

 千切れんばかりに振られる尻尾を右手で押える。顔には感情を出さないようにしても、尻尾は素直だ。

 ホミカと過ごしている時間は短いが、ガルフレッドは自分の気持ちに薄々だが気がついていた。

 しかし、初めて普通に会話をすることができたからそう思っているのかもしれないと考え、今はホミカに気づかれないようにと隠していた。

 メイド達とも話をすることができるようになったため、他の人にも同じような気持ちになるのかを確認することができる。

 もしも、同じ気持ちになるのなら思い違いだ。だが、ならないのなら。

 

(今は、まだ気づかれてはいけない)


 心の中でそう思いながらも、揺れる尻尾を止めることはできなかった。

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