7話 紅茶





 案内された部屋は広く、客室にしては豪華なものだった。客室ではないのではないかと問いかけたホミカに、はっきりと客室だと答えたガルフレッドに何も言えなかった。


(流石、王宮なだけはある)


 すぐに換気ができるように、窓の前に大きな机がある。一脚の椅子もあり、薬を作る場合はそこで作ってくれと言われているようなものだ。

 薬師であるホミカのために用意された部屋だということがそれだけで分かる。

 客人を迎えるためのテーブルセットや、洋服棚、化粧台まで用意されている。この部屋まで運んだのだろうと思うと、申し訳なさでいっぱいになる。せっかく用意された化粧台だが、朝使うくらいだろう。薬を作るため、化粧はしない。もしも薬の中に入ってしまったら大変なため、ホミカは休みの日であろうと化粧をすることはない。化粧をしないことが日課になっているのだ。

 ベッドは3人が寝転がれるほどに大きい。同じ部屋にベッドがあることに、ホミカは喜んだ。朝起きてすぐに作業が出来るからだ。

 部屋には、出入り口以外の扉が2つあった。1つはトイレ。もう1つはお風呂だった。客人用の部屋でも、お風呂がついている部屋を選んでもらったと言うガルフレッドに、彼が選んだわけではないのだが礼を言う。

 お風呂の脱衣所は広く、そこには洗面台もあった。朝身支度をする場合も狭く感じることはないだろう。

 王宮には別にお風呂やトイレはあるのだろうが、できれば王宮で働いている人には会いたくないと思っていたホミカにとって、感謝の気持ちでいっぱいだった。関係者ではないのに使っていれば、文句の1つくらい言われてもおかしくはない。

 ガルフレッドはベッドの側にトランクを置いて、部屋の説明をする。まるで客人に部屋の説明をすることには慣れているようで、何度も説明したことがあるのかと問いかけると「獣人の俺に任せる人はいない」と返した。


「それなら、どうして慣れているの?」

「……お前の世話役を任されているんだ」


 その言葉だけで、ホミカは理解することができた。部屋の説明をするため練習したのだと。

 その姿を思い浮かべるだけで、笑みが浮かぶ。相手が誰かも分からない人間だけれど、王宮で過ごす時間は不便が無いようにと部屋の説明を何度も繰り返し練習する。その姿を見て見たかったと思いながら、ガルフレッドへと視線を向ける。


「嫌なら、メイドに声をかけるが……」


 何も言わないホミカを見て不安に思ったらしい。耳と尻尾が下がっている。その声にもどこか元気がない。よく見れば、表情も悲しそうに見える。


「嫌じゃないわ。むしろ、貴方が世話役で良かったと思うわ」

「本当か!?」


 下がっていた耳と尻尾が持ち上がる。尻尾は千切れるのではないのかと思うほどに振られている。これは、誰が見ても喜んでいるのだと分かるだろう。

 感情を尻尾に出してしまえば、メイド達の態度も変わるのではないかと思うのだが、そうはいかないのかもしれない。


「知らない人より、知っている人の方が気楽でいいの」

「だが、俺ではできないこともある。その場合はメイド達が来ることになっている」

「ええ、分かっているわ。だって、貴方に私の服や下着を洗濯できるとは思えないもの」

「そ、それは……できない」


 顔を赤らめて恥ずかしそうに言うガルフレッドに、ホミカは小さく声を出して笑った。世話役と言われても、そこまで任せるつもりはないのだ。

 メイド達なら、何も言わなくても洗濯物を回収して持って行ってしまうだろう。ヒューバートに何も言われていないのなら、放っておかれるかもしれない。そうなれば王宮で場所を借りて洗濯をすればいいのだ。


「ところで、ガルフレッドって王宮での仕事はないの?」

「昨日も言ったと思うが、今は暇なんだ。他国との争いもなく、ヒューバート陛下も外出予定はない。騎士は見回りや警戒くらいしか仕事はない。俺の仕事は夜警だ」


 夜警。夜に見回りをするということは、明るい時間帯は休みなのだろう。それなら、今の時間は眠っていた方がいいのではないのだろうか。

 世話役をしている時間があるのかと思っていると、「朝には眠るから心配はいらない」と微笑まれた。

 ガルフレッドと過ごしている時間はまだ短いが、感情が表情に出るようになってきている。初めて会った時よりも分かりやすい。


(気を許してくれているからなのかもしれない)


 そう考えるだけで、ホミカは何故か嬉しくなってきた。もしも彼女にも尻尾があれば千切れるほど揺れていたに違いない。

 今は平和なレヴェンエーラ王国だが、数年前までは他国と戦争をしていた。戦争で崩れた建物の撤去や建設の手伝いをするために、騎士達が駆り出されていた。その作業が終わり、レヴェナへと戻ってきたため騎士達はいつもの日常へと戻ったのだろう。それが、暇と感じてしまうものだとしても。

 部屋の説明も終わったことで、トランクの中の服を洋服棚にしまおうとすると、ガルフレッドは一度咳払いをして「何か用があれば、廊下にいるメイドにでも声をかけてくれ」と言って、慌てるようにして退室してしまった。

 その様子に驚いていると、「貴方の下着とか見たら気まずくなるとでも思ったんじゃないかしら」とベッドで丸くなるレニーに言われてしまう。

 先程顔を赤らめていたくらいだ。その可能性はあるだろう。気をつけようと考えながら、服を洋服棚にしまう。

 黒いトランクから本を取り出して本棚に並べる。まだ資料になるものが手元にないため、全ての本を本棚に入れると、ノートは机の上に置く。必要なものが揃った時にすぐに道具を出せるようにと、黒いトランクは机の横に置いた。

 今は何もできないため、椅子に座りノートを開く。まとめたものの中に、何か役立つことがあればいい。頼んだものが手元に届くまでは、薬も作れないためノートと本を読むしかない。

 ナジャの森や街に行きたいと思うホミカだったが、今日は出歩く気分ではなかった。




 ノートを読んでいると、扉がノックされた。机の上に置かれた時計を見ると、30分が経っていた。頼んだものが用意できたにしては早すぎる。

 返事をして扉を開くと、そこにいたのはガルフレッドだった。右手には、ピクニックに持って行くようなバスケットを持っている。そこから仄かにパンの香りが漂ってくる。


「昼食を食べていないだろう。コックから昼食のあまりだが貰ってきた」

「わざわざありがとう」


 テーブルにバスケットを置き、食器を取り出すと慣れた手つきで皿にパンをのせる。さらに、ティーカップとティーポットを取り出すとカップに中身を注ぐ。中身は紅茶のようで、仄かに甘い香りが漂った。

 ガルフレッドも昼食を食べていないようで、自分の分も用意している。邪魔にならないように手早く準備する様子を、椅子に座りながら眺める。

 騎士として働いていれば遠征にも行くだろう。その時に食事は自分で準備をするのだろう。だから手早く準備することができるのかもしれない。

 準備が終わると、ガルフレッドも椅子に座った。そして2人同時にパンを食べ始める。


「美味しい」

「この王宮のコックが作ったものだ」


 王宮に勤めるコックというだけあって、腕はいいようだ。毎日ではないが、パンを食べているホミカも初めてパンが美味しいと感じていた。今まで食べていたパンもたしかに美味しかった。しかし、口に出して言うほどのものではなかったのだ。


(これだったら毎日食べたい)


 カップを手に取り、紅茶を一口飲む。これもまた美味しい。紅茶を飲むのは初めてだったが、王宮以外でこの美味しい紅茶は飲むことができないかもしれない。


「紅茶も美味しい」

「そうか。それはよかった」


 尻尾を揺らす様子から、この紅茶は彼が入れたのだろう。パンを食べながら顔をそむけている。


「この紅茶は毎日飲みたいわ」


 様子を伺いながら言うと、顔を僅かに赤らめて「わかった」と答えた。どうやら毎日持って来てくれるようだ。嬉しさから口元が弧を描く。

 黙々とパンを食べていると、ベッドで眠っているレニーの姿が視界に入る。彼女は今まで一度も食べ物を口にしていない。それだけではなく、何かを飲んでいる姿すらも見たことがない。

 悪魔であるため、食べ物や飲み物を口にする必要がないのかもしれない。

 ガルフレッドもレニーを気にしているようで、時々振り返りレニーを見ている。しかし見られている本人は気がついていないのか、気にしていないのか目を覚ます様子はない。


「それで、今日はどこか行きたい場所はあるか? 案内するぞ」

「今日は休みたいかな。明日からはナジャの森と街に行きたい。街を歩いていれば何か分かるかもしれないもの」

「それなら、明日案内しよう」


 仕事は夜警と言っていたので、それ以外の時間に案内をしてくれるようだ。知らない人に案内してもらうよりも、暫く一緒にいたガルフレッドに案内してもらう方がいいだろう。

 断る理由がない。


「ええ、お願いするわ」


 紅茶を飲み終えて答えると、ガルフレッドは頷いて紅茶を注いだ。礼を言ってまだ温かい紅茶を一口飲む。

 美味しい。そう呟くと、嬉しそうに尻尾が揺れるのが見えた。それからホミカはスエルトでの話をした。

 幼い頃のこと。学校に通っていた頃のこと。母親の花屋を手伝っていた頃など様々な話しを、ガルフレッドは黙って聞いていた。

 日が落ちるとガルフレッドは一度退室したが、夕食の時間だと言って夕飯を持ってきた。その時に、少量ではあったがキャットフードと器も持って来ていた。どうやらレニー用に持ってきたようだが、ガルフレッドがいる間はどんなに声をかけても反応することはなかった。

 夜警の時間になるからと、2人で食べた夕食がのっていた食器を持って退室していった。その間レニーはべ度から動くことはなかった。


「レニーって、キャットフード食べるの?」


 ガルフレッドが退室してから5分。近くに誰の気配もしないことを確かめて話しかける。


「何も食べなくても生きていける。でも、食べないと気になるようね。貴方も、あいつも」


 そう言うと起き上がり、伸びをしてからベッドを下りた。向かうのはテーブルの足元。用意されたキャットフードの匂いを嗅いでから口をつける。


「味は?」

「美味しいとは言えないわね」


 それでも文句を言うこともなく全て食べ終わってしまう。グルーミングをする姿を見ると、普通の猫とどこも変わりはない。

 椅子から立ち上り浴槽にお湯をためる。お湯がたまるとお風呂に入る。思っていたよりも馬車での移動が疲れていたようで、欠伸が出る。

 30分ほどしてからお風呂から上がり、着替える。ある程度髪を拭いてからあとは自然乾燥。髪が短いのため、しっかり拭いていれば寝る前には乾いている。

 眠いといっても寝るには早い時間。薬草の本を手に取り、ベッドに座りページを捲る。レニーは机に上がって外を見ているため、部屋にはページを捲る音だけが響いていた。

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