6話 王都レヴェナ
朝、目を覚ましたホミカはガルフレッドに何度も謝った。膝枕をしてもらっていたことに赤面しながら謝ると、「人には馬車の中でも寒かったのだろう」と言って微笑むだけだった。
ホミカは、目を覚まして寒かったのは覚えていた。暖かい場所を探して焚火のそばへ向かった。それだけではない。獣人であるガルフレッドが暖かそうに見えたのだ。だから、彼にくっついていれば暖かくなると考えた。しかし、膝枕をしてもらった記憶はなかった。
(まさか、寝ぼけて膝枕をしてもらうなんて恥ずかしい!)
朝食を食べて、出発する前にと薬草を採取するホミカは目を覚ました時のことを思い出して赤面していた。目を覚ましてガルフレッドの顔が見えた時に驚きすぎて声は出なかった。
誰かに膝枕をしてもらった記憶はない。それなのに、ガルフレッドに膝枕をしてもらったのだ。申し訳ないと思うホミカとは違い、ガルフレッドは特に気にしていないように見えた。
「そろそろ行くぞ」
準備が終わったようで、ガルフレッドが声をかけてくる。
今日のホミカは、普段着の上に紺色のローブを着ている。紺色のローブは薬師の正装で、一人前と認められた時渡されるものだ。普段、ホミカがそれを着ることはない。街の人達はホミカが薬師と知っているから、着ていなくても問題はないのだ。時々ホミカを訪ねてくる人はいるけれど、ローブを着ていなくても問題はなかった。
しかし、これから国王に会うのだ。着ていなければいけないだろう。王都内を歩く時も、情報を集めたりするには着なければいけない。だが、休憩を兼ねて歩く時は着る必要はない。
馬車に乗り込み、薬草の入ったオイルボトルを黒いトランクにしまい、座席に座る。膝にレニーが乗ると、馬車がゆっくりと動き出した。このまま順調にいけば、王都にはお昼頃に到着することができる。
無事魔物に会うこともなくククリの森を進んで行くと、木々の数が減り始めた。そろそろ森を抜けるのだ。馬車の音を聞きながら、レニーを撫でていると視界から木が消えた。ククリの森を抜けたのだ。
それと同時に、地面が土から石畳に変わった。灰色の石畳は、王都へと繋がっている。分かれ道もなく、原っぱの間の道を進むだけ。
1時間ほど進むと、左右に建物が見えてくる。どうやら果樹園のようで、木には果物が生っている。作業している人もおり、どうやら王都では果物がとれるようだ。
さらに30分ほど進むと、大きな白い門が見えてきた。青い模様の描かれた門が王都への出入り口になっている。王都は白い壁に囲まれており、出入りができるのは門だけになっている。
門の前で停まると、2人の門番が近づいてきた。1人は馭者と話しをしており、1人は馬車の中を覗き見る。やましいことはないので、ホミカはレニーを撫でていた。ガルフレッドは相変わらず、目を閉じて腕を組んでいた。
どうやら問題はなったようで、馬車が動き始めた。速度がゆっくりなのは、王都に入ったからだろう。
「ここが、王都レヴェナ」
石畳は灰色で、多くの建物は白い。しかし、その中でも茶色や緑など多くの色が存在している。王都であっても、木が生えている。カフェや花屋など様々な店があり、そこには白以外の色が多い。
多くの人が歩いている姿も見えるが、人間以外が見当たらない。どうやら本当にガルフレッド以外の獣人はいないのかもしれない。いたとしても、広い王都内では見つけることも不可能なのかもしれなかった。中には、騎士と思われる人物の姿も見受けられる。
王族専用馬車が珍しいのか、多くの人が立ち止まり馬車を見ている。流石に多くの人に見られるのはいい気分ではなく、ホミカは外から見えないように移動した。
移動したホミカに、片目を開けたガルフレッドは小さく笑っただけで何も言わずに目を閉じた。もしかすると、ホミカの気持ちが分かるのかもしれない。
外の人達の話し声までは聞こえないけれど、見られながら話をされるのはいい気分ではなかった。何を話しているのかと気になってしまうからだ。
ゆっくりと進む馬車が向かう先には、大きな湖がある。その中心に王宮が建っているのだ。屋根だけが青い白い建物。低い壁に囲まれ、鉄の門の前には王都に入る時と同じように2人の門番が立っている。低い壁は、助走をつけて頑張ればホミカでも越えられそうだ。
門番は馬車が近づいてくると何も言わずに門を開いた。誰が乗っているのかは分かっているのだろう。馬車が通りすぎると、門番は素早く門を閉めた。
手入れの行き届いた庭園を通りすぎて、馬車は漸く停まった。馭者が開いた扉から降りると、体を伸ばした。先日よりは長く乗っていなかったとはいえ、馬車での移動にホミカは疲れていた。
今日からはまたベッドで眠れると思うだけで、ホミカには充分だった。スエルトに帰る時また馬車に乗らなくてはいけないが、それはまだ先のこと。
「あら、森があるのね」
「ナジャの森だ」
王宮の右手に森があることに気がついたホミカが誰に言うでもなく呟くと、両手にトランクを持ったガルフレッドが答えた。後ろにレニーが続いてホミカの足元にすり寄る。森に行けば何か薬草があるかもしれない。時間があれば行ってみようと考えて振り返ると、トランクを持っているガルフレッドが目に入った。
トランクを持ってもらうのは悪いからと、受け取ろうとするホミカにガルフレッドは気にするなと渡すことなく開かれた扉へと向かって行った。王宮内の案内も任されているようで、誰かに声をかけることなく進んで行く。
後ろを歩くホミカは、周りを見渡した。忙しなく働いているメイド達の姿が見える。王宮内にホコリ1つ落ちていないは、彼女達のお陰なのだろう。いたるところに花が飾られており、それらもメイド達が選んでいるのだろう。ホミカの視界には、鼻を飾るメイドの姿が見えていた。海のように青い絨毯にも汚れ1つなく、毎日新しいものに変えているのかもしれない。
案内された先には、庭園もあった。この庭園は先程通った庭園には繋がっていないようで、王宮内の休憩所とされているようだ。休憩しているメイドがベンチに座っている。庭園は広く、中心には噴水がある。ベンチだけではなく椅子とテーブルも設置されており、外で本を読むにはこの場所は良さそうに見えた。庭園に咲いているのは薔薇のみで、この薔薇も手入れが行き届いていた。
ベンチに座っているメイドは本を読んでいるようで、ホミカ達には視線を向けない。集中していて気がついていないのだろう。
さらに進むと、視界の端に映るものがあった。それは、何度か影として見えていた。しかし、見ても誰もいないことから気のせいだと思っていたのだ。だが、今通路の角に影が消えたのは見間違いではないだろう。
その姿はメイドだ。近くを通ると、3人のメイドがこちらを見ながら囁き合っていた。聞こえないように話しているようだが、ホミカの耳には届いている。ホミカが聞こえるということは、ガルフレッドとレニーにははっきりと聞こえていることだろう。
(私への陰口かと思ったら、違うのね)
陰口であることは間違いなかった。だが、ホミカに対してではない。てっきり王都の優秀な薬師ではなく、別の街から薬師を呼んだことに文句を言っているのかと思った。
しかし、陰口はガルフレッドのことだった。獣人だというのに、国王陛下から薬師を迎えに行くことを任されたことを話していた。迎えに行っても、1人で帰ってくると思っていたことや、無理矢理連れてくると思っていたことなど。前者はあったかもしれないが、後者はガルフレッドのことを少しでも知っていればありえないことだ。それどころか、最初にホミカを迎えにこようとしていた騎士が無理矢理王宮に連れて来ていただろう。
「王宮ではいつもこうなの?」
「気にするだけ無駄だ」
問いかけには答えなかったが、帰ってきた言葉だけでいつものことだということが分かる。何かを言おうとしても獣人だからという理由で逃げられるのだろう。
ガルフレッドには信頼する存在はいるのだろうかと、ホミカは背中を見ながら思った。
絢爛豪華な調度品を眺めながら歩いていると、ガルフレッドは厳かな作りの扉の前で立ち止まった。前を見ていなかったため、慌てて足を止める。扉の先は大広間となっており、そこにレヴェンエーラ王国の国王が待っているのだ。
ホミカを呼んだ国王がいると聞いて、居住まいを正した。今更ながら緊張してきたホミカに、ガルフレッドは小さく笑うと扉をノックした。
ゆっくりと扉を押し開く。開いた扉の先に見えた光景に、ホミカは息を呑んだ。白い部屋の壁側に、色とりどりな花が飾られていた。花の香りが仄かに漂うが、ガルフレッドとレニーには辛いかもしれない。
大広間に入り、中央に立っているのが国王だということは理解していた。そばには、1人の男性が立っている。しかし、周りにいる大勢の人間に警戒してしまうのは、以前の記憶の所為だろう。
(私は、この人達に処刑された)
名前も知らない多くの騎士。朧気だが騎士の中には、処刑の時にいた人の姿もある。左右に並んだ騎士達は、何を思っているのかホミカには理解することはできない。ガルフレッドの後ろを歩いて中央へと進む。
豪華な白い衣装に、青い装飾。金髪の頭に乗せられた赤と金色の王冠。初老の彼が国王だと、遠目に見ても分かる。
「ただ今戻りました」
立ち止まったガルフレッドの隣に並ぶ。真っ直ぐ国王の目を見て言うガルフレッド。その言葉に大きく頷くと、国王はホミカへと視線を向けた。
「長旅、ご苦労だった。君がエミリアの弟子、ホミカ・ベルリアだね」
「はい。お初にお目にかかります。ホミカ・ベルリアと申します」
「俺は、ヒューバート・レヴェナだ。長旅で疲れているだろうが、君を呼んだ理由を話しても構わないだろうか」
頷こうとしたホミカだったが、それよりも先にガルフレッドが口を挟んだ。彼は、ホミカを訪ねて来た時に言った言葉を覚えていたのだ。
原因が分からなくては薬は作れないこと。原因が分からないかもしれないこと。原因が分かっても薬を作れないかもしれないこと。真っ直ぐヒューバートを見て言うガルフレッドに、何も言わずに頷いてから口を開いた。
「ホミカ。君を呼んだのは間違いではないようだ」
「どういうことですか?」
ヒューバートが言うには、すでに薬師を数人王都へ呼んで原因を調べさせているのだという。全員が「私なら原因を突き止められます」と言っていたのだが、現在でも原因は分かっていない。
だから、原因が分かると言う自信がある薬師よりも、分からないかもしれないと言う薬師の方が信用できるのだという。
「それでしたら、先程名前が挙がっていました、師匠であるエミリアは呼んではいないということでしょうか」
エミリアは決して原因を突き止められるとは言わない。どれだけ長く薬師として生きて来ても、分からないものは多くあるとホミカによく言っていたのだ。だから、ヒューバートが呼んだという薬師の中にはいないだろう。
それならば、何故呼ばれていないのか。ホミカよりも実力のある薬師だ。名前を知っているのであれば、彼女の実力を知らないはずがない。
「エミリアは俺の友人でね。実は君を呼ぶ前に、彼女を呼ぶ予定だった」
しかし、呼ぶことはできなかったと続けるヒューバートの表情は悲しそうだった。
そのまま続けられた言葉に、ホミカは衝撃を受けた。
師匠であるエミリア・ストライトは病気で亡くなったのだという。村へ帰る前、ヒューバートに会いに来ており、その時にホミカの話をしたのだと言う。
彼女がもった弟子の中で一番優秀だというホミカ。何かあった時には彼女を頼るといいと教えられたのだ。今回村へ赴き、エミリアが亡くなったと知ったヒューバートはすぐにホミカのことを思い出した。
「エミリアが君のことを話したのは、自分が亡くなるということを知っていたからではないかと思うんだ」
目を閉じて懐かしむように言うヒューバートにホミカは何も言えなかった。彼と同じだったからだ。村へ帰る前にエミリアは咳をするようになっていた。ただの風邪だと言っていたが、その時には既に自分が助からないと分かっていたのかもしれない。気がつくのが早ければ薬で治っていたのかもしれないが、気がついた時には遅かったのかもしれない。
だから最後に、友人であるヒューバートに会いに行き、自分はいなくなってしまうから何かあればホミカを頼れと伝えに行ったのかもしれない。もしもエミリアが生きていれば、病の原因が分かったのかもしれない。だが、彼女はもういない。
「さて、どうやらガルフレッドに聞いているようだから単刀直入に言わせてもらう。病を治す薬を作ってほしい」
「彼が言ったように、原因が分からなければ作ることはできません」
「分かっている」
「もしも原因が分かって、薬を作れたとしても、絶対治せるというわけではありません」
「ああ。もしも君が薬を作れた場合、量産や改良はこちらでやらせてもらう」
ホミカ1人では、作る薬の量も少ない。完成したら王都の薬師に作ってもらうのが一番だと判断したのだろう。それには、ホミカも同意見で頷いた。
「薬を作るのに必要なものはあるか? あるのなら、こちらで用意をする」
「それでしたら、いくつか用意してほしいものがあります」
用意してもらわなくてはできないこともある。ヒューバートの言葉に甘えて用意してもらう方が、自分で用意するより早い。ものによっては、ホミカでは用意することができないものだってある。
今一番欲しいのは、病のサンプルだった。そのため、病に感染している人の血液が欲しかった。血液に薬を使い、効果を確かめるのだ。これはできるだけ多く欲しい。何種類もの薬を確かめるため、サンプルが少ないと薬を作ってもどうすることもできなくなってしまう。
次に欲しいのは、現在分かっていることがまとめられた資料。それがあれば、同じことを調べずに済む。中には、原因解明に近づけるものがあるかもしれない。
できれば、生物顕微鏡もあるといい。持ってきた道具で細胞や細菌を見ることができるのだが、生物顕微鏡があればしっかりと見ることができる。研究室には1台しかなかったので、持って来てはいないのだ。
スライドグラスにサンプルを乗せて薬の効果を試しても構わないのであれば、サンプルは少なくて構わないかもしれない。しかし、スライドグラスは洗って再度使用するものだ。
原因が分かっていない状態では、洗って使用しても大丈夫なのかも分からない。それどころか、空気感染するのかも分からないのだ。生物顕微鏡の使用は薬の効果を確かめる時だけにしたいのだ。
用意してほしいものとしてそれらをあげると、ヒューバートの側で控えていた補佐官と思われる男性が紙にメモをとった。最後にヒューバートが確認すると、それらの用意をするために男性を退室させた。
「他に用意するものはあるか?」
「今のところはありません」
「ならば、必要なものがあればガルフレッドにでも伝えてくれ」
優しく微笑みながら言うと、ガルフレッドを見て「部屋へ案内してやってくれ」と退室を促した。
部屋へ案内ということは、ホミカはこの王宮で寝泊まりをするということなのだろう。正直、宿屋で寝泊まりをして薬を作ったり原因を突き止めるつもりでいたので驚いてヒューバートとガルフレッドへ交互に視線を向けた。
「俺が呼んだのだから、この王宮で過ごしてほしい。宿屋だと不便なことも多いだろう。薬を作るのだって苦情が来るかもしれない」
冗談なのか、笑いながら言うヒューバートの言葉には納得してしまう。薬を作る時、使う種類によっては匂いがする。宿屋で作っていれば、他の客から苦情が来てもおかしくはないだろう。
彼は薬を作る時に匂いがすると理解しているのだ。先程の言葉は冗談ではなかったのだろう。
「明日までには、先程のものは用意させよう。今日はゆっくりと休むといい」
「心遣いありがとうございます」
頭を下げてお礼を言うと、大広間から退室しようとしていたガルフレッドについて行く。一歩遅れてレニーがついてくる。
「ところで、その猫は君の猫かい?」
「はい、そうです。王宮に連れて来てはいけませんでしたか?」
突然話しかけられて立ち止まり振り返ると、ヒューバートは右手を顎に当てて何かを考えるようにしてレニーを見ていた。右目が赤いことに気がついたのだろう。
一国の王だ。赤目が悪魔であるということは知っているだろう。だからどのように対処するかを考えているのだ。
「いや、構わないよ。ただ、できればその子とは一緒にいてほしい」
「分かりました」
暗に別行動はしないでほしいと言うヒューバートに頷いて、大広間から退室した。彼は、レニーを1人にしなければ問題ないと考えたようだ。
もしも、レニーを1人で行動させたら何が起こるかは分からない。レニーを1人にしたら何かをするというわけではない。だが、警戒しているであろうヒューバートが何をするかが分からないのだ。
悪魔であっても、今となっては家族も同然。失いたくない存在なのだ。
たとえ、悪魔と契約するということが禁忌であったとしても。
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