第2話
翌朝、いつもの時間に駅へと向かう。
何気ない風を装いながら周囲を窺っていると、彼がやってくるのが見えた。反対側のホームへと渡る連絡通路に先回りして、ゆっくり歩きながら後ろから彼がやって来るのを待つ。
スマホを見ているフリをして、実は背中越しにフロントカメラで後ろを確認。画面に映った彼との距離がどんどん近づいてくるのがわかる。
あと数歩というところでスマホを閉じ、私はポケットに手を入れた。
「いい? 詳しく説明すると効果がなくなっちゃうから言えないけど、恋が成功するおまじないを掛けたハンカチを貸してあげるから。その代わり、絶対見ちゃ駄目よ。ポケットに手を入れて触っても駄目。何も考えないで、その時が来たらさっと落とすの。いいわね?」
朝、家を出る前に、お姉ちゃんはそう言って私のポケットにハンカチを突っ込んだ。
言いつけを守り、一緒に入っていたティッシュを取り出すフリをしてポロリとハンカチを落とす。指に触れたハンカチの感触に違和感を感じたような気もするけど、真後ろに彼が迫り、テンパっている私にはいちいち確認している余裕は無かった。
落としものになんて気づかないフリをし、そのままのペースを意識してスタスタと歩き続ける。
……あれ?
本当ならすぐさま彼が「落としものですよ」と呼び止めてくれるはずなのに、なかなか声が掛からない。背後の気配から、彼が立ち止まったのは間違いないのに。
一体どうしたんだろう? スマホを出してカメラで確認しようと画面を立ち上げかけたその時、
「あの……」
待ちわびた控え目な声に、私はすぐさま振り向いた。
「これ……その、多分、落としもの、かと……」
彼は心なしか顔を赤くして、私を避けるように視線をキョロキョロと泳がせていた。どうにも様子がおかしいと不審に思いながらも「すみません!」と駆け戻った私に、彼はおずおずと落としものを差し出す。
「……どうぞ」
ふわり、と手の上に載せられたものを見て、私は自分の目を疑った。
ハンカチにしては薄いソフトピンクのその布には、妙に光沢もあって……こんなハンカチ、持ってたかしら? でもどことなく見覚えがある気も……。
ふと、そこに付いている小さなリボンに気づいた時、私は顔から火を噴いた。
……ハンカチじゃない。
それはどこからどう見ても私の下着。つまり、パンティーだった。
※ ※ ※
「落とし……ましたよね?」
気まずそうに言う彼に、金魚のように口をぱくぱくさせるばかりで返す言葉が出てこない。全身を駆け巡る羞恥心で身体が熱くなり、次いで私の胸に膨れ上がったのはお姉ちゃんへの怒りだった。
恋が成功するおまじないとか上手い事言っておきながら、ポケットからパンティーの落としものだなんて、いい加減なイタズラして!
「す、すみません! これ、多分お姉ちゃんがイタズラして!」
手の中の下着をポケットの中に押し込み、慌てて言い訳しようとすると、彼の顔に笑みが浮かんだ。
「イタズラ……だよね? やっぱりそうだよね。びっくりした」
「そ、そうですよ! わざわざパンツ持ち歩いたりしないし! もうホント、うちのお姉ちゃんってこういうくだらないイタズラばっかり! ヤんなっちゃう!」
ほっぺたを膨らませて怒る私を見て、彼も声を上げて笑ってくれたから良いものの、ドン引きされたらどうする気だったんだろう。けど――
「前にも会ったよね? あの時……」
彼の口から出た言葉は、一瞬にして私を舞い上がらせた。覚えていてくれたんだ!
「そりゃあもちろん。毎日見かけるし、ずっと同じ電車だなぁ、とは思ってた。また変な目に遭ったりしないかと、実はこっそり見張ってたり……」
「そうだったんですか?」
目を輝かせる私に、
「見張らなくちゃならないのは電車じゃなくてお姉ちゃんだったね」
と彼が笑うから、穴があったら入りたい気持ちになった。本当だ。痴漢よりもひどい目に遭った気分。あのギャルめ。
「高校はN高だよね? 何年生?」
「一年です。普通科です」
「そうなんだ。俺、T高。三年だから、今年受験」
「へーそうなんですね。どこ受けるんですか?」
でもその後はなんだか驚くぐらいスムーズに話が進んで。もしかしたら一番最初にすごく恥ずかしい思いをしたからかもしれない、と思い当たったのは電車の中でもずっと話をして、降りる駅が近づいた頃の事だった。
パンティーを落として拾われるなんて、これ以上恥ずかしい経験、ないもんね。それに比べたら普通の会話がどれだけ気楽なものか。
「あ、じゃあ私、降ります」
「うん。また明日」
電車を降りようとする私に、彼は自然にそう返してくれた。また明日。その言葉が身体の芯までじんわりとしみ込んで、ふわふわと雲の上でも歩いてるみたいな気持ちになる。これって約束だよね? 明日も一緒に行こうって事だよね?
「次からは俺が声を掛けるよ」
「えっ?」
ところが、別れ際に彼が言い残したひと言が、再び私を羞恥の海に突き落とした。
「もう落としものしなくてもいいように」
ぷしゅーっと音を立てて閉まるドアが、彼の爽やかな笑顔を覆い隠した。私は顔に笑みを張りつけたまま、呆然とその場に立ち尽くす。
もしかして。
もしかして……落とし物大作戦、バレてた?
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