十夜目
『本気で言ってるの?』
眉をひそめて問う。
本気なのかと。
本気で自分を殺せと言ってるのかと。
彼は別に私を殺したかったわけではないのだ。あくまで力をつけてきた公爵家の子供を殺すという目的を遂行したまでなのだ。
その標的となるのが私以外に選択肢がなかったまでのこと。
彼は迷う事無く己の責務を全うしたのだ。褒められた事ではない。だが褒められるべき事なのだ。
矛盾だ。
本当に矛盾している。
私の問いかけに、彼はニコリと微笑みながら頷いた。
「俺は自分のやるべきことをやった。だがその後にあったのは無だ。──これまでそんな事、無かったのにな。自分の手で血を流した事だってある。女性の命を奪った事だってある。けれど一度たりとも後悔したことはなかった。全ては王家のため……国王である兄の為だったんだ。それを俺は誇りに思っていたよ」
なのにと彼は言う。
寂し気な、悲し気な目で彼は言うのだ。
「なのに、俺は初めて後悔した。初めて苦しいと思った、辛いと思った。……影の仕事をやめたいと思った」
悲し気な瞳のまま、彼は私を見つめる。
「きみに出会わなければ──あの晩、きみの存在を無視出来ていたなら、こんな思いはしなかっただろうに」
すっと彼は私の頬を撫でる。
肉体を持たないはずの私は、確かに彼の手の感触を感じて目を細めた。
「けれど俺はきっと何度でも同じ選択をするだろう。人生をやり直せたとしても、あの時あの瞬間。きみと出会ったあの晩の行動は変わらない、変えれない。俺には、きみと出会い話しキスをする──それ以外の選択肢は無いんだ」
ギュッと……確かに彼は私を抱きしめた。
魔術師の術による能力なのか、そう感じるだけなのか。分からないけれど、私は彼に身を委ね、そっと目を閉じた。
「俺には……きみを愛する以外の道を選べない」
だから終わらせてくれと彼は言う。
「ジュリア……きみの居ない世界は真っ暗だ。月のない今夜のように闇の世界なんだ。俺はもう耐えられない。こうして霊体となったきみを見て触れていてもまだ気が狂いそうだ。あの晩、生きたきみの体にキスしたように、実体のきみを抱きしめてキスして……全てを手に入れたいと思ってしまうんだ。そうしてそれが出来ない現実に絶望を感じてしまう」
助けてほしい。
彼の聞こえない声が聞こえた気がした。
身勝手な彼の言動に、特別怒りは湧かなかった。
そうするしかないと、どこかで思ってたからかもしれない。
今夜ここへ来たのはそのつもりだったからかもしれない。
けれど。
『貴方を殺せば、貴方は楽になるのでしょう?それは復讐とは言えないんじゃない?』
結果として、アッシュを助ける事になってしまう。
苦しめたいのに。そのための復讐なのに。
いや、分かっているのだ。本当は分かっている。
アッシュは十分に苦しんだ。激しく後悔した。
それをこそ、自分は望んだのた。
自分を殺した人間達に後悔して欲しいという自分の願いは既に達成されてるのだ。
ならば復讐が完結した今、彼をどうするかは自分次第。
「俺を永遠に苦しませるのが、きみの望みなのか?」
だったらそれを受け入れよう。
罰を甘んじて受け入れる。
そうアッシュは言って、距離をとった。
「でもそれでは君は成仏できないだろう?」
その言葉に私は無言で頭を振った。
『私のことより……貴方には生きて欲しい』
「ずっと苦しめと?」
『そうじゃない!』
思わず声を荒げた。
そうじゃない、誤解しないで欲しい。私の復讐は成した。もうアッシュを苦しめたくない。
それでも生きて欲しいのだ!
『人生は長いわ。これから新しい出会いがあるかもしれない。私なんかよりずっと素敵な女性が現れて……愛せるかもしれない。あなたは十分に苦しんだわ。ならばこれからは幸せになっていいと思うの』
そう言えば、彼は驚いたように目を見開いて私を見つめ。
クシャリと顔を歪めた。
泣きたいような笑いたいような。
判別しかねる顔をした。
「きみは……どうにも愛しくて……残酷だね」
『?』
大きな溜め息と共に、アッシュはドサリと椅子に座り込んだ。
テーブルに肘をつき、額を押さえて考え込むように。沈黙がその場を支配した。
どれくらいの時が経ったのだろう。
ふ、とアッシュは顔を上げて私を見た。
「きみの気持ちは分かった。……けれど、俺もまたきみには成仏して次の人生を幸せに歩んでほしいんだ」
その為に必要なことなんだと彼は呟いて。
懐に手を入れ、何かを取り出した。
その手には、小さな小瓶。
透明の液体が中に入っているのが分かった。
コトリとそれをテーブルに置き、彼は置いてあったワインをグラスに注ぐ。
血のように赤い液体がグラスを満たすのを、私は黙って見ていた。
ワインが入ったグラスに、取り出した小瓶の液体を入れるのも。
ただ黙って、見ていた。
「ジュリア……これはきみの命を奪ったのと同じ毒だ」
何となく予想出来ていた。
だけどそれでも息を呑む自分がいる。
どうしてそれを持ってるのかと。
問うことは無意味。
何も言えずにいると、彼はグラスを手に持ち。
『────!!』
止める間もなく、一気に飲み干した!
驚愕の目で見る私をアッシュはニコリと微笑みながら見やり。
手から落ちるワイングラス。
割れる音と共に、アッシュの体がグラリと傾いた。
床に崩れ落ちる体。
咳き込む彼の口から出る血。
見る見るうちに床は吐き出される血に染まった。
その血の中心で横たわるアッシュ。
息絶え絶えの彼が、そっと私に手を伸ばした。
「ジュ、リア……これで君は転生できる。きっと、幸せな、来世が……待って、る」
苦し気に、それでも最後まで彼の目は私を捉えて離さない。
「俺、は……きっと、地獄に落ちる、から。君とはもう、いられない、け、ど……」
耐えられなかった。
もう私には耐えられなかった。
駆け寄り、ギュッと彼の手を握りしめる。
けれどもうそこに温もりはなかった。体が確実に死に向かっているのだ。
『アッシュ!アッシュ……!』
霊なのに、それでも確かに頬を流れる涙を私は感じた。
悲しくて苦しくて、辛くて。
私は何も言えずに嗚咽を漏らし続けた。彼の手を私の頬に当てて。
「泣いて、くれる、の……?俺の、ため、に?」
苦し気な吐息。話すたびに、彼の口から血が流れ出る。もう時間は無い。
言わなくちゃ。
言わなくては、私もきっと後悔する。
『アッシュ……アッシュ!愛してます、あの晩貴方にあってからずっと……貴方を愛してました!結ばれない立場と分かりつつも、禁じられた思いと分かっていても止められなかった。愛してるの、貴方を愛してるのよ、アッシュ!』
だからお願い。
どうかお願い。
私を置いて逝かないで──
きっと共には在れないから。それは私にも分かった。
アッシュの言うように、彼は地獄に落ちるのだろう。どれほどの罪を犯したのか私には分からないけれど、彼はきっと血の道を歩んできたのだろう。
王弟として生まれた、それが彼の運命だったのだ。それでも道を変える事だって出来た。血の人生を歩むことを決めたのは、間違いなく彼自身だ。
きっと私のように、罪もなく殺され恨んでる者が数多居るのだろう。
それでも私は願ってしまう。
どうか、どうか私と同じように転生を。
今世はもう駄目だったけれど。
どうか、来世で彼と──!
「俺も、愛してるよ、ジュリア──」
その言葉が最後。
彼の瞳からは生気が失せて。
直後。
『!?』
リルドラン同様、霊体としての彼が現れ。
そうして……
『アッシュ!!!!』
手を伸ばす私を、彼は悲し気に見つめて頭を振って。
一度も私に手を伸ばすことなく、彼は闇の手を受け入れた。
闇の手に抱かれ、そうして闇に呑まれて消えてしまった。
そうして私の復讐は終わる。
私の怨念は浄化する。
眩いまでの光に包まれて、私は思わず目を閉じた。
私の意識は、そこでプッツリと途切れたのだった。
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