九夜目

 

 

 熱いと感じた。


 肉体は無い。私は霊体だというのに。


 触れた唇の感触を感じ、そして熱いと感じた。どうしてなのか分からないけれど、それはきっと気のせいでは無いと思う。思いたい。


 黙って口づけを受け入れた私を、アッシュはフッとまた優しく笑う。


「抵抗しないんだね」

『……私も』

「うん?」


 問いに答えずに言葉を紡ぐ私を、アッシュは責める事もなく優しく続きを促してくれた。


 だから私も言える。隠すはずだった思いをそっと言える。


『私も貴方に恋してるから』

「それは今もということ?」


 過去形ではない。それが答えだ。

 私はそっと目を伏せた。


 彼はそれはそれは嬉しそうに破顔し、私の両頬を包み込んだ。


『……私を触れるんですね』

「そりゃ君に能力与えたくらいだからね」


 能力を与えた。

 それだけでいとも容易く答えは導き出される。


 怨霊となった私を、けれど自我のないただの悪霊になさしえなかった力。その力があったから、私は復讐が出来た。

 リルドランとシンディに……その他にも復讐が出来た。


 確かに彼の計画は完遂された。


 でもどうやって私が成仏出来ずに霊となったのを知ったのか。

 どうして私が見えるのか、話せるのか、触れる事ができるのか。

 そもそも、私に与えたこの力はなんなのか。


 今更ながらにムクムクと聞きたいことが湧き上がってきた。


「色々聞きたそうにしてるね」


 それをアッサリ見透かされてウッとなってしまう。


「別に隠すつもりはないさ」


 笑ってアッシュは話す。事の全てを。


 そもそも、王家にとって私の実家は──公爵家は邪魔な存在となっていたのだ。力を付け過ぎた勢力は時に厄介となる。それが民衆に人気のあるものだとすれば、尚更に。


 かと言って理由なくその地位を剥奪出来るわけもない。そんな事をしようものなら、ますます民衆を敵に回してしまうだけだからだ。それに公爵家はまだまだ利用価値がある。ほどほどの力で存続してもらわねば王家としても困るのだ。


 だから自然と力を弱めさせるのが一番。


 そこで公爵が溺愛する三人の子供に着目された。


 後継である兄様は王家にとっても必要。公爵家は存続させねばならないから。

 末娘はあまりに幼く、計画を実行するには憚られた。


 結果、私が選ばれた。


 幸い、私の婚約者のリルドランは操るのにはおあつらえ向きの馬鹿ときた。

 シンディとの不貞も明らかとなり。


 ちょいとリルドランを唆せば、事は簡単。

 教えた店で毒を購入し。

 そうして私を毒殺し。


 公爵はショックのあまり、仕事に身が入らず公爵家の力は衰え始めた。


 何もかもが筋書き通り。


 王家が──王家を陰から支える、陰で暗躍する王家の闇である王弟アッシュの計画通り。


 ただここで計算違いが起きた。


「今までこんなこと無かったんだけどね。いつも冷徹に、どこにも自分の感情を挟むことなく計画を遂行した。今回もそうだった──君が死ぬまでは本当に簡単に事は進んだんだ」


 私の「死」の部分で顔が苦悶に歪んだのは、私の見間違いだろうか。都合のいい解釈だろうか。確認しようにも、もう彼は無表情に戻っている。


「思った以上にショックが大きかったんだ」


 ポツリと彼は呟いた。


 空を見つめるその金の瞳に、確かに傷ついた色が見える。


「何を勝手なと君は怒るだろう。けれど俺は王家の一族だ。国のためとか言いつつ、本心では王家の為に国があるとすら思ってる。だから冷徹に君を死なせた」


 でも、と彼は言葉を続ける。


「君が死んだと聞かされて。公爵が弱っていく様を見て。確かに計画はうまくいったのに、心にポッカリと穴が開いてしまった。苦しくて苦しくて……気が狂いそうになった」


 たった一度しか会ってないのにね。


 そう言って彼は苦笑する。


 たった一度。

 けれどその一度は本当に運命だったんだ。


 アッシュは私を愛し。

 私もアッシュを愛した。


 あの夜は全てを動かす運命の時だったんだ。


「苦しさが増すばかりでどうにもならなくなって。魔術師に相談したんだ」


 魔術師──それは禁忌の存在。


 確かに彼らは存在すれども、誰も関わってはいけない。危険な存在。どこにいるのかも誰も知らないはずの彼ら。


 けれど王家ならば、魔術師の存在などいとも簡単に探し出すだろう。いや、もしかしたら王家お抱えの魔術師だっているのかもしれない。


 アッシュはその禁忌に触れた。触れて、私が怨霊となって彷徨っているのを──リルドランの側にいることを知ったのだ。


 そして私に力を与えた。そんな事すらも可能なのだ、魔術師というものは。禁忌となるのも頷ける。


『あの時の声はあなたなの?』

「そうだよ。魔術師の術を通して俺が話した」


 そうだったのか。

 どこか聞いたことあるような気もしていたが、術を通してだからか分かりにくかった。今思えば、あれは確かにアッシュの声だというのに。


「だからあれは嘘だから」


(力を使えば、お前はもう二度と輪廻の輪に加わる事は出来ないぞ?永遠にこの世を彷徨い続けるかもしれない。永遠に地獄で苦しみ続けるかもしれない。いや、永遠も何もなく、消滅してしまうかもしれない)


 あの言葉は、嘘だとアッシュは言う。


「君の覚悟を知りたくてついた嘘だから。全てを終えたら、君は転生できるよ」

『全てを終えたら?』

「そう。心残りがまだあるだろう?」


 そう言って彼は微笑み。

 再びキスをする。


「魔術師の術のお陰で君を見る事ができた。触れる事ができた──思いを伝える事が出来た。俺はもう思い残すことは無い」


 そう言って、アッシュは立ち上がった。


「ほら、ここに心臓がある」


 自身の胸を指さす。

 スッと剣をテーブルに乗せて、彼は優しく微笑んだ。


「俺を殺して復讐を完遂するんだ。そうすれば君は天へと昇れる。転生して、次の人生は幸せになるんだ」


 そう言った彼の瞳は。


 見えない月よりも何よりも、美しく輝いていた。




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