八夜目

 

 

『ごきげんよう、アッシュ様』


 まるで生きてるかのように。

 生前していたように。

 目上の者に対する礼にのっとった挨拶をする。


 そんな私を彼は眩しいものでも見るように目を細め、優しく微笑んでくれた。


 それは確かに私が恋した瞳。

 優しく慈愛に満ちた瞳。


 それなのに、その奥にある冷たいものが今はハッキリと見て取れた。


「随分かしこまった挨拶をするね。何だか距離を感じて寂しいな」

『身分が違いますから』


 そう言えば、彼はおかしそうに笑いだした。


 姿だけではないのだ。

 彼には確かに私の声が聞こえてるのだ。


 リルドランの時のように、私が意図して聞こえるようにしてるわけではない。姿もまた、見えるように力を使ってはいない。


 見えてるのだ。

 聞こえてるのだ。


 アッシュには、その能力があるということなのだろう。


 私は音もなく彼に近付き、側に立った。


 彼が持つ本を見やる。


『こんな暗い中で……月明りもなく、なんの灯りもない状態で本が読めるのですか?』


 特に意味のない質問だ。

 けれど聞きたかったのだ。

 出来るだけ、彼と会話をしていたかったのだ。


 そんな私の意図に彼が気付いたのかは分からない。


 けれど彼はフッと笑って本をテーブルに置いた。


「別に読むために持ってたわけじゃないからね。待ってる間の手持ち無沙汰が嫌だっただけさ」

『そう、ですか……』


 待ってる間──何を、とは問わない。

 彼も何を、とは言わない。


 互いにそれは分かってる事だから。

 それは会話の邪魔でしかなかったから。


「リルドランは?」

『死にました』

「そうか」


 別に特段気になったわけではないのだろう。ただの確認事項でしかないのか、彼の表情は変わらない。


「じゃあ次は俺かな?」

『そうですね』


 これも特段質問の無い会話。


 弾むことは無い。

 明るいとは言い難い雰囲気。

 それでも終わらせたくない、大切な時間。


「何も聞かないのかい?」


 問い詰めるでもなく、責めるでもなく。

 ただ淡々と会話を続ける私を、アッシュは不思議そうに見つめてきた。


『別に聞きたいと思わないから』


 そう言うと、彼は可笑しそうに笑った。ああ。好きだな。

 そう思える、優しい笑顔。


 ああそうだ、これくらいは聞いておこうかな。


『一つだけ聞いてもいい?』

「一つと言わず何個でも」

『どうしてあの晩──あのパーティで私に近付いたの?』


 あのパーティ……私とアッシュの、ただ一度だけの邂逅。


 後にも先にも無かった。私の人生はその後すぐに終わってしまったから。


 けれど一度で十分だった。

 私がアッシュに恋するのには十分すぎる時間だった。


 けれどあれは偶然だったのだろうか?

 

 かの計画にあの出会いは必要ない。

 だから偶然だったのかもしれない。

 でももしかしたら、彼は計画的に私に近付いたのかもしれない。


 だとしたらどうして?


 首を傾げて問うと、彼は苦笑した。


「他のどの質問でもなく、それが来るとはねえ」


 苦笑し、前髪をクシャりとかきあげる。そんな仕草も絵になる美しさだ。


 アッシュから目線を離すことなく、私は彼の返事を待った。

 

 彼は吐息を一つついて、そして口を開いた。


「どうしてだろうね」


 けれどそれは意外すぎる言葉。

 私は黙って目を瞠り、彼を見つめ続ける。

 見つめて、言葉の続きを待った。


「本当にどうしてだろう。君とは会う必要なかったのに。会うべきではなかったのに」


 そんな私を見るでもなく、彼は空に目をやって苦笑する。


「リルドランを唆して毒を入手させれば俺の仕事は終わりだったんだ。そうして俺のあずかり知らぬところで君は死ぬはずだったのに」


 不思議そうに首を傾げたままの私をチラリと見やって、彼は目を伏せた。


「偶然だったんだ。あの時、バルコニーに出たのは本当に偶然。けれどそこで君を認めた瞬間に、俺は引き返すべきだったんだ。中に戻ろうとする君を引き留めるべきじゃなかったんだ。でもどちらも出来なかった。俺は俺の意図しない行動に出てしまった」


 アッシュの言葉は続く。


「君の涙を見た瞬間、俺の心臓は大きく跳ね上がった。止まるのか破裂するのか分からないほどの苦しさを覚えた。あのまま君と離れるのが嫌だと思ってしまった」


 スイと手が伸ばされる。


 触れる感触など感じるはずもないのに、私は確かに頬にアッシュの手の温もりを感じた。


「君は信じないかもしれないけれど」


 アッシュが私を見つめる。

 私もアッシュを見つめる。


「あの晩、俺は確かに君に恋したんだ」


 近づく顔、近づく唇。


 私はそこからけして目を離さない。

 輝く金の瞳を、私は唇が触れるその瞬間まで、見つめ続けていた。




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