七夜目

 

 

 ポタリポタリと音がする。


 ポタリポタリと滴り落ちる。


 止めどなく流れ出る血はもはや止まる事は無い。


 止まらぬ血はリルドランの命を確実に奪っていく。


「ジュ……リア……助け……」


 醜くもまだ生きたいと思う愚か者は、私に手を伸ばす。私はその手が届く場所に立っているけれど。


 床に広がる血の池の上に横たわるリルドランの手は、けれど何も掴む事は出来なかった。霊体の私の体を、リルドランは掴む事が出来ない。


 空を切って、リルドランの手が床に落ちる。彼の命はあと僅か。


『ねえ、リルドラン……』


 声をかけると、かすかに目が私を見た。

 はたしてその目は私を見てるのか、それとも見えない何かを見てるのか。


 そんな事はどうでも良い私は、そっと囁くように問うた。


『あなた……少しは私の事、愛してくれていた?』


 シンディに出会う前。

 私達はそれなりにうまくいっていた。


 私は確実に彼に恋してたし、彼もまたそれに応えてくれてると思っていた。


 あれは全て私の勘違いだったのだろうか。

 良い関係を築けてると思ってたのは自分だけだったんだろうか。


 私の問いに、彼は目を細めただけ。

 肯定とも否定とも判じかねるその行為だけ。


 そうしてリルドランの命は尽きる。

 まだ流れ続ける血は、既に魂が抜けた入れ物を汚し続ける。


 その時、目の前にリルドランが現れた。当然、死後の──霊となった彼だ。


 驚いた顔で私を見て、そして

『!!!!!』

 驚愕は恐怖の顔へと変わる。


 闇がリルドランを包み始めたのだ。


 何も無い空中から、無数の闇の手がリルドランを掴む。


『──!──!?』


 何かを叫んでるのだろうが、なぜか声は聞こえなかった。同じ霊体だというのに。


 けれど必死に私に手を伸ばす様から、救いを求める言葉を発してるのは分かった。


 だから私はスッと後ろに下がった。リルドランから距離をとった。


 彼の手は、もう私の手に触れる事は出来ない。

 体中が闇に呑まれつつある彼は、もう私を追うことが出来ないのだから。


 最後の最後──顔だけが残り。

 そして。


 リルドランの全ては闇に呑まれて消えた。





※   ※   ※





 復讐は終わったかに見えた。

 けれどまだ私は怨霊として彷徨っている。


 私に力をくれたあの声も言ってたが、私はもう成仏出来ないのだろう。永遠に彷徨い続ける亡霊となるのかもしれない。

 それとも唐突に消滅するのかもしれない。


 けれどその時はまだだ。

 まだ早い。


 だって


 復讐は、まだ終わってないのだから。





※   ※   ※





 心地よい夜風が吹いている。


 今宵は新月。

 闇が支配する夜。


 その人は、バルコニーに置かれた椅子に腰かけていた。手に持った本は開かれたまま、膝から落ちそうになっている。


 バサリ──案の定、本は床へ落ちかけた。

 けれど、寸での所でハッシと受け止められた。

 その本の持ち主の手によって。


 うっすらと開かれた目は、けれど彼が眠っていなかったことを物語っていた。


 闇の中に浮かぶ光のような金の瞳は、美しく輝いていた。

 闇に溶け込みそうな紫紺の髪は、風に吹かれてかすかに揺れているのが分かった。


 私が恋した彼が──王弟殿下のアッシュが、そこに居た。


「やあジュリア」


 彼はハッキリと私を見つめ、そして優しく微笑んだのだ。




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