六夜目

 

 

「ひいっ!」


 悲鳴が漏れる。


 寝台の足元側に置かれた鏡台。

 そこに自分が映るのは当然のこと。


 けれど当然ではない存在がそこに映っていた。


「ひ、ひいいいい!」


 それは確に死んだ存在。

 リルドランを唆し、毒殺したはずの存在。


 公爵家令嬢──ジュリアだった。


 元から白い肌は、けれど生前は美しい白磁の肌だった。

 それが今や生を感じさせない、青白さをたたえていた。


 美しい金髪はもはや輝く事はなかった。


 何より瞳が恐ろしい。ドロッと濁って……どこまでも落ちてしまいそうな、深い闇が広がっていた。


「じゅ、ジュリア様!?ど、どうして……!」


 寝台の上で腰を抜かしたまま後ずさる。

 けれどそれはすぐに壁となり、後退を阻んだ。


 鏡に映ったままのジュリアは、鬼の形相でこちらを睨み続けていた。


 不意に。


「ひ!」


 鏡の中のジュリアの手が動いた。


 真っ直ぐに指を指す。

 鏡の中から、ジュリアはシンディを指さした。


 ゆっくりと口が開く。


 ゆっくりと動く。


「……?」


 何かを言ってるのだと分かった。

 恐怖を忘れて口の動きに見入ったシンディは……やがて何を言ってるのか理解し、一気に血の気が引いた。


ゆ る さ な い


「い、いやあああ!」


 叫んで部屋を飛び出した。

 飛び出し、父親の部屋に飛び込む。


 半狂乱の娘に困惑する男爵。


 泣き喚き、ひたすら「ごめんなさい」と叫び続けるシンディ。それは今後毎晩続くこととなり……


 ついには病院送りとなるのは遠くはなかった。






 全てを見届けた。

 シンディが心の療養のために入る病院へ送られるのを見やって、私は男爵家を後にした。


 これでいい。

 簡単には殺さない。


 彼女の心には恐怖を植え付けた。

 消える事のない悪夢が一生彼女を苛むだろう。


 馬鹿な娘。

 愚かな女。


 私はお前を許さない。けして許さない。一生苦しむがいい。





許さない

殺してやる





 毎晩彼女の耳元で囁いていたあの瞬間。

 確かに私は笑っていたのだった。





※   ※   ※





 シンディは始末した。

 生きた屍にした彼女にはもう用は無い。


 私のすべき事はあと一つだけだ。


 さあリルドラン、終わりにしましょう。


 私を殺した罪人の貴方は、本来なら処刑となるはず。

 なのにのうのうと生きてるなんて許さない。


 シンディに誑かされたとは言え、真に実行するかどうかを決めたのはリルドランだ。

 生きてることすら許さない。

 お前だけは許さない。


 路頭に迷ったリルドランは、困り果てて教会に助けを求めていた。


 それは間違いではないだろう。

 事実そうする者も多いだろう。


 本来なら教会も救いを求めてきた者の職を斡旋したり道を示してくれるだろう。


 けれど状況が異質すぎた。


 悪霊に取り憑かれたと噂の元伯爵家が子息。

 それの行く先々では不幸が訪れるとは、もう有名のようだ。


 教会もとりあえずの宿を提供してはいるが、早く出て行って欲しいと渋っているのは明らかだ。


 そんな教会にちょっと霊障を起こせば……




「そ、そんな……これからどうやって生きていけば……」




 あっさりと教会を追い出され、力なく項垂れるリルドラン。

 ざまあみろ、いい気味だ。


 笑いをこらえることも出来ず、私は大声で笑ってしまった。


 深夜の人気の無い裏路地で。


 リルドランに聞こえるように、私は笑い続けた。


「ひ!」


 息が止まりそうな驚きようで、リルドランの顔は一気に青ざめる。


 キョロキョロと周囲を見渡すが、声の主を見つける事が出来ずに居た。




ピチョン




「ひ!?」


 それしか言えないのか。

 ひいひいと馬鹿の一つ覚えのように、リルドランは小さな悲鳴を漏らし続ける。


ピチャ


 水音が続く。

 まるで足音のように。


 いや、実際足音といえる。


 霊体の私が、ありえぬ足音を鳴らしているのだ。


 ピチャピチャと音を立てながら、私はリルドランに近付いた。


 月明りも届かぬ闇の中、リルドランは明らかに焦っていた。


「だ、誰だ!?誰か居るのか!?」


 そんな怯える彼の背後に私は立った。

 そっと彼の頬に手を伸ばす。


「冷た……ひい!?」


 その冷たさに驚いた彼は後ろを振り向き──腰を抜かす。


『こんばんは、リルドラン。久しぶりね』

「じゅ、ジュリア!?そんな馬鹿な!」


 霊が人と話せるはずはない。

 けれどそれが出来るのは、あの謎の声がくれた力ゆえだろう。


 私に力が欲しいかと聞いて来たあの声は、結局何なのか分からない。

 神か悪魔かはたまたそれ以外の何かか。

 正体なぞどうでも良かったけれど。私に力をくれるなら、何でも良かったのだ。


 青白い肌。

 輝きのない髪。

 濁った瞳。


 どれも生きた存在には見えないだろう。


 リルドランが腰を抜かすくらいには、それ相応の恐ろしい姿だと思われる。自分で自分の姿を確認しようとは思わないけれど。


『ねえリルドラン、私を殺して満足?今の状況に満足?貴方は幸せになれた?』


 私の質問に、彼は答えることなくガタガタと震え続けた。


 首を傾げて目で問うても、その目が恐ろしいと背けられてしまった。


 困った。つまらない。これでは話にならない。

 ついと手を上げ、力を振るった。


「ぐあ!?」


 途端にリルドランが痛みで悲鳴を上げた。

 情けない、指の一本が折れたくらいで。


『聞いてるのよ。質問に答えてよ。ねえリルドラン、私を殺せて満足?』

「あ、ああ……いや、いや違う。僕は何もしてない、何も悪くない」

『?何言ってるの、リルドラン』

「シンディだ。シンディが悪いんだ。僕を騙して……あいつのせいで、僕は!」


 ああ、話にならない。

 つまらない。

 こんなにもつまらない男に惚れてたなんて、人生最大の汚点だ。恥だ。


「聞いてくれジュリア、僕は騙されていたんだ!僕は悪くない!僕はキミを愛してたんだ……そうだ、僕が愛してるのはキミだけなんだ!」


 場がしらけるとはこの事か。

 言うに事欠いて何を言い出すかと思えば……。


『貴方は愛する人を毒で殺すの?』

「だから違うんだ!あれは、あれは……シンディと、あいつが……!」


 もういい、殺してしまおう。

 そう思った時だった。


 ポロっと謎の言葉をリルドランが口にした。


『あいつ……?』

「そうだ、あいつのせいで!あいつが毒の店を教えてくれたんだ。これで確実にキミを殺せって……あいつが、あいつとシンディが僕を……!!!!」


 どうやら毒の店はリルドランが探したわけではなかったようだ。


 そうか。

 ならば標的が増えただけのこと。


『あいつって?一体誰のこと?』


 言えば楽にしてあげる──


 その言葉をリルドランがどう取ったかは知らないけれど。


 彼は安堵した顔で、その名を口にした。




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