五夜目

 


 深夜遅く、男爵令嬢シンディはまだ起きていた。眠れないのだ。


 ギリギリと爪を齧る彼女からは、苛立ちが見て取れる。


 うまくやったつもりだった。

 

 平民の中でも下の下、明日どころか今日を生きるのに必死の貧しい生活を送っていたあの日。

 愛人の子として男爵家から迎えが来たときには、何が起きたのかしばらく理解出来なかった。


 意味不明に連れてこられた男爵家で、手にした衣食住。


 それまでの貧しい生活から一変したその世界は、クラクラするほどに美味な世界だった。


 一度美味い思いをしてしまえば、もう元には戻れない。


 正妻が亡くなったからと迎えられた男爵家は、生きるには十分だった。けれど使用人にも世間にも、愛人の子の居場所などあるわけもなく。


 ならばこの手で掴むまでと、入れられた学園で獲物を物色した。


 幸い容姿には恵まれたので──そのせいで、貧民街では色々身の危険を感じていたが──簡単に釣る事が出来た。


 様々な男を味見した後、目を付けたのは伯爵家が令息、リルドランだった。


 ほどほどの地位の伯爵家ならば申し分は無い。

 何よりあの世間知らずの男は、自分の話に随分と食いついてきたものだ。


 そしてちょいと色仕掛けをすれば、もう自分の虜。


 そうして私は伯爵家の男を手に入れた。

 ただ邪魔者が一人。


 リルドランには婚約者が居たのだ。それも格上の公爵家。おいそれと婚約解消を申し出る事の出来ない相手だ。

 よしんば申し出たとしても、莫大な慰謝料を支払う事になるだろう。


「いざとなれば駆け落ちしよう!」などとリルドランは気楽に言ってるが、それでは意味がない。


 シンディにとって必要なのは、あくまで「伯爵家の男」なのだ。本気でリルドランを愛してるわけではない。その地位こそが最大の魅力にしてそれのみを必要としているのに。


 伯爵家でなくなった男になど興味はない。


 だが、他に程よい獲物はいなかった。捕まえられなかった。

 ならばどうにかしてリルドランを伯爵家令息のままで完全に手に入れる必要があった。


 挑発してみたが、婚約者の女から解消を言い出す事はなかった。


 あまりやり過ぎて不貞を働いたと言われても困る。


 何が最も得策か……考えに考えた結果……答えは一つとなったのだ。


「リルドラン様……私の為に貴方の地位を捨てさせるわけにはいきません。もしそんな事になってしまったら……貴方の家族と別れさせるなんて悲しいことになってしまったら、私は耐えられません。そんな事になったら私は罪の意識に苛まれ、この命を断つこととなるでしょう」


 そう言えば、リルドランは慌てて駆け落ちを否定する。

 けれどじゃあどうすれば……と苦しむ彼に私はこう囁けばいいのだ。


「ああ……あの方さえいなければ……ジュリア様が居なければ、私達は一緒になれるのに。あの方が邪魔さえしなければ。居なければ……」


 私は言っただけだ。

 ただ何気なく言っただけなのだ。


 あの馬鹿な男はそれだけで簡単に動いた。


 どこからか毒を入手し。


 あっさりあの女に飲ませた。そしてあの女は簡単に死んだ。


 そうよ、私は勝利したのよ!

 これで障害は無くなった。私達は結婚し、私は伯爵夫人の地位を手に入れるはずだったのに!


 それなのに!


 あれよあれよとリルドランの家は没落していった。

 何もかもが上手くいかず。


 不幸のオンパレードの中で、更に家がおかしいときたものだ。


 目に見えぬ何かによって家が破壊されるというのだ。

 物が飛び交い、破壊され、声がし、何かの気配を感じ。


 幽霊屋敷


 そう呼ばれるのは早かった。


 更にリルドランの親友たちが相次いで狂い自殺していった。


 元凶はリルドランだと誰もが思った。

 その結果、彼は伯爵家を追い出されたと聞いた。


 どういうことだ

 どういうことだ

 どういうことだ!!


 私はうまくやったのに。

 私は何も間違ってないというのに。

 ミスなんてしてないのに!


 どうして私は男爵家令嬢の立場すらも失いかけてるの!?


 少し表立ってリルドランと一緒に居すぎたのが悪かったのか。


 リルドランの周囲で起こる怪奇現象は、死んだ婚約者──ジュリアの仕業だと噂されるようになった。


 彼女の自殺の原因は、婚約者であるリルドランが浮気してると思っての事だからと。


 当初は勘違いと思われていたのに、段々と周囲が私の存在に気付き始めた。気付いて、責めるようになった。

 大した地位も力も持たない男爵家。


 公爵家令嬢の自殺要因となったなら、あっという間に家は潰されるだろう。


 焦った父親は、シンディに出て行くよう命じたのだ。


 庶民で生きていけるように配慮はすると。

 だがこれ以上男爵家に置くわけにはいかないと言われたのは、夕食の場での事だった。


 食事はほとんど喉を通らず、ひたすらに父に泣いて懇願したが聞き入れられる事はなかった。


 早急に荷物をまとめるように。

 それが父の最後の言葉。


 寝台の上で、シンディは膝を抱えて頭を悩ませていた。

 ギュッと握りしめた膝が痛い。


 一体何が起きてこうなってるのか。


 混乱した頭を整理しようと、何気なく顔を上げた時だった。


 シンディはその光景に目を見開いた。




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