第2話

 毎朝乗るバスに、碧依君を見つけたのは昨日の朝の事。

 明け方から降り続く雨は私が出掛ける時間になっても止まず、バスに乗り込んでようやく鬱陶しさから解放された私の目に飛び込んできたのは、イヤホンを耳に挿したまま椅子に座る碧依君の姿だった。


 あまりにも突然の出来事に息が止まりそうになったものの、後ろから次々と乗り込んでくる乗客に押し出されるようにしてバスの中ほどまで進むと、まるでそれが自然で当然な流れでもあるかのように、


「隣、座ってもいい?」


 と碧依君に微笑みかけてみた。

 碧依君は初めて私に気づいたようで、ぎょっと身震いしながらも、


「うん」


 と私のためにと少し奥に詰めるような動きを見せてくれた。あんまりにも予想外の展開過ぎたから、私の笑顔は引きつってたと思うんだけど、気づかれずに済んだと思う。

 白馬の騎士にエスコートされたお姫様気分で、空いたスペースにお尻を滑り込ませる。お尻の半分に、さっきまで碧依君が座っていた体温が伝わってきた。お尻とお尻の間接キスだと思うと、なんだかお尻がざわざわした。


「おはよ」


 さりげない風を装って声を掛けると、彼は片耳からイヤホンを外した。嫌がるわけでも、やれやれという様子でもなく、まるでレディーを前にしたらそれが当然だとでも言うようなスマートさで。


「おはよう」

「どうしたの今日は? バスなんて珍しい」

「雨だったから」

「今まで見た事なかったけど」

「雨の日はじいちゃんに送ってもらってたんだ。けど、この間免許返納しちゃってさ。送ってもらえなくなっちゃったんだよ」


 碧依君の返答に、胸がドクンと波打った。雨。この雨のお陰で、碧依君は私と同じバスに乗ったっていうの?


「七瀬はいつもこのバス?」

「うん。バス通だよ」

「いいよなー女子は。じいちゃん運転できなくなったら、うちの親なんて雨でもチャリで行けって無茶言うんだぜ。そんで喧嘩してようやくバス。マジ超快適だわ。こんな事ならもっと前からバス通にすりゃ良かった」


 火が点いたようにニコニコと喋り出す碧依君に、私もようやく緊張がほぐれた。自然に笑顔が浮んでくる。今度は引きつってないはず。

 まさか碧依君と一緒に座って登校できるなんて。


 雨さん、いえ、雨様。鬱陶しいなんて言ってごめんなさい。

 私は、その日から……いやその時から、雨女をはじめると決めたのだ。



   ※     ※     ※



 午前中は大量のてるてるぼうずを作るのに忙殺された。

 クラス中の女子が手伝ってくれたお陰であっという間に窓はてるてるぼうずに埋め尽くされ、私の席を中心にしてじわじわと教室中を侵食するてるてるぼうず達は後ろや廊下側の壁まで広がり始めた。


「一体何やってんだよこれー」


 それまで知らんぷりを決め込んでいた男子達が騒ぎ出したのは、昼休みに入ってからの事だ。


「二瓶、明日なんかあんの? 逆さって事は雨降れって事だろ?」


 男子の中で一番ヤンチャな和也君が、女子の中で一番ギャルな玲奈に聞いてくる。


「明日じゃない。明後日もその先もずっと」

「マジかぁ。お前ら何考えてんの? ずっと雨降れって事? 頭湧いてんなぁ」


 同じクラスの男女両巨頭とあって、感性とボキャブラリーが全く一緒。つまるところ、レベルが一緒という事だ。


「雨だと何いい事あんだよ?」

「いいじゃん別に。男子には関係ないでしょ。ほっといてよ」

「ほっとけねーだろ。雨だとうちの部活室内練習になっちまうんだぞ。室内とかマジたりぃんだからな。勘弁してくれよ。なぁ、碧依」


 同じサッカー部の和也君に同意を求められ、振り向いた碧依君の視線にドキッとする。でも雨だとバス通だもんね。バス通超快適って碧依君も言ってたもん、雨が降ってくれた方が嬉しいよね?

 けど……祈るような気持ちで見守る私の前で、碧依君の顔はみるみるうちに曇っていった。


「あーマジ、雨だけは勘弁だわ。お前ら室内練習の辛さ知らねえだろ。マジ半端ねえぞ。筋トレとストレッチずーっとやり続けるとかマジ地獄だし」

「だよなー。ボール蹴れねえサッカー部とかマジ終わってるわ」

「毎日雨降って室内練習になったら登校拒否もんだよな。ありえねー」


 目の前の碧依君から雨を否定する言葉が次々と飛び出して、私は足元がガラガラと崩れていくのを感じた。雨が降ったら登校拒否だなんて、いくらなんでもそんな。


「ちょっとそんな言い方ってないでしょ。サッカーだけがこの世の全てみたいな言い方して」


 食って掛かる玲奈の肩をなだめるように、私はポンと手を置いた。


「……よ」

「え?」

「おしまいにしよ!」


 私は言い、きっと顔を上げた。つかつかと壁に向かい、並んだニコニコ笑顔のてるてるぼうず達を勢いよく引きちぎった。


「ちょっと百々……」

「いいの。おしまいおしまい! 雨女おしまい!」


 クラスメイト達が呆然と見つめる中、私はてるてるぼうずを次々と壁から引きはがす。紐が切れ、笑顔のまま地面へと叩きつけられるてるてるぼうず達。残念ながらバンジージャンプは失敗。奈落の底へさようなら。

 さようなら、私の碧依君への想い。


 雨ならまた碧依君と一緒にバスで登校できると思ったのに。

 だから雨女になろうと決めたのに、サッカーができなくなるから雨は困るだなんて。私と一緒に登校するよりも、碧依君はサッカーの方が大事なんだ。


 仲良くバスに揺られて、舞い上がっていたのは私だけだった。

 泣きたい気持ちでいっぱいだったけど、絶対に泣くものかと歯を食いしばった。


 教室の床は私の涙が雪になって降り積もったみたいに、笑い続けるてるてるぼうず達で真っ白に覆われてしまった。

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