第3話

 〈スターウォッチング〉のイベントはなかなか手間が掛かって、主催するNPO法人と連絡を取りつつ、何か月も前から予算取りや実行委員会の会議を重ね、講演依頼や協賛金集め、チラシ等の告知物の制作や当日のイベントのスケジュールの作成、人員配置等々、やるべきことは多岐に渡る。

 主催団体とは異なりイベント実行委員会の事務局は『月の村天文台』に置かれているから、職員は上記のような全てに関知する必要がある。

 ……と知ったのは、僕自身がイベントの事務局としての業務を担当する事になってからだった。


 大学を出た僕は『月の村天文台』への就職を果たしたのである。とはいえ研究者としてではなく、運営する自治体の非正規職員というとっても不安定な立場ではあったけれど。

 ただし大学でしっかりと天文学を学んできたのは僕ぐらいだったから、一年間の期間雇用は毎年更新され、早くも六年が過ぎていた。〈スターウォッチング〉には初年度から関わり、一昨年からは事務局の窓口としてかなりの大部分を任せてもらえるようになった。

 とはいえそもそもの職員の人数が少ないから、ほぼ僕一人で丸抱えのようなものである。


「昴、ピクセンの人がもうすぐ駅に着くって連絡寄越したぞ」

「わかりました。迎えに行ってきます」


 他人事のように言う支配人に言い残し、車を出す。支配人は村役場からの天下り組で実務にはほぼ携わらない。そんな不条理な環境に不満も感じないぐらいには、もうこの職場にも慣れた。

 ピクセンは望遠鏡の販売などを手掛ける光学機器メーカーだ。今回の〈スターウォッチング〉に講師を派遣してくれて、子供向けの星空観察教室を行ってくれるのである。


 僕が父とともにふたご座流星群を見に来た時から十年以上が経ち、世の中は大きく変わっていた。天体観測の愛好者は高齢化が進み、毎年参加人数が減りつつある。変わって体験型学習への需要が高まりつつあるせいか、小さな子どもを連れたファミリーの姿も見られるようになった。

 ステージイベントの内容も著名人や専門家のトークイベントと、どちらかというとマニア向けだった以前とは異なり、より幅広い年代から参加者を呼び込もうとファミリー向けのイベントに変わった。ピクセンのようなメーカーもまた右肩下がりの関係人口を増やそうと、そういった啓蒙活動には喜んで協力してくれた。


 こうして『月の村天文台』で働くのは、学んできた学問があまりにもニッチ過ぎて、地元でUターン就職をしようと試みた際にこれといって就職先が見つからなかったというのが一番の理由だったが、その昔僕の人生を変えてくれた〈スターウォッチング〉に関わりたいという気持ちもあった。

 ああしてたくさんの流星を見たのは後にも先にもあれが最後だったから、同じ感動を多くの人に体験してもらいたかった。


 そして――こうして『月の村天文台』で働いていたら、いつか彼女とまた会えるんじゃないかという淡い期待もあった。

 あの時僕と一緒にあの素晴らしい流星群を見た彼女も、きっとあの夜を忘れるはずはないと思った。きっと遥ももうどこかの会社に就職して、もしかしたら既に家庭に入っているかもしれないけれど、あの日見たのと同じ星空を、自分の恋人や子どもに見せたいと思う事だってあるだろう。


 その時に僕がこの場所にいたら……一体彼女はどう思うだろうか。

 僕は彼女に一度でいいから会いたかった。恋とか愛とかそんな大それたものじゃなくて、遥のお陰で僕の人生は大きく変わったのだと、一言で良いからお礼を言いたかった。


 でもこの六年、一度として遥がやって来ることはなかった。当然だろう。あの夜を特別なものとして覚えているのは僕だけであって、もう彼女自身は忘れているかもしれない。

 もし彼女が立派な天文学者に仲間入りしているとすれば、『月の村天文台』なんかとは比べ物にならない立派な天文台で、僕には想像もつかないような宇宙の星々を見上げているのかもしれないのだから。


     ※  ※  ※


 麓までニ十分ほど走らせ、車は駅に着いた。

 駅前には電話で聞いていた情報と合致する二人組の姿があった。講師の男性と、付き添いのピクセンの女性スタッフ。どうやらお待たせしてしまったようだ。


「遅れて申し訳ありません。『月の村天文台』の朝日昴といいます」

「こちらこそわざわざ迎えに来ていただいてありがとうございます。ピクセンの依田です」


 その声に聞き覚えがある気がして、僕は名刺から顔を上げて相手の顔を見た。相手の女性もまた、ポカンとした表情で僕を見つめていた。

 差し出された名刺にもう一度視線を落とす。

 株式会社ピクセン 営業企画部の下に、依田遥の文字。


「遥さんって……もしかして」

「昴くん……あの時の」


 彼女が僕を覚えていてくれた事に、感動すら覚える。そうか。星を学びたいと言っていた彼女は、研究者ではなくメーカーへの道を選んだのか。


「彼、前に〈スターウォッチング〉に参加した時にも一緒だったんです。その時は同じお客さん側だったのに、まさか『月の村天文台』に勤めてるだなんて」

「あぁ、来る途中依田さんが話してた。元々興味はあったけど、本格的に星の道を志したのはここでふたご座流星群を見たのがきっかけだったって言ってましたよね? 朝日さんも、そうなんですか?」


 にっこりと笑う講師の先生の言葉に、僕達は顔を見合わせる。

 彼女もまた、〈スターウォッチング〉をきっかけに星を追いかけると決めたのか。胸が熱くなり、「はい」と答える声に意図せず力がこもった。


「とっても良いイベントなんですよ。先生も楽しみにして下さいね」

「少なくとも二人の若者の人生を変えたわけですから、それはそれは素晴らしいものなんでしょう。楽しみにしますよ。むしろステージで二人のエピソードを紹介したいぐらいです。今日もお二人が見たのと同じぐらい、綺麗な流星群が見れるといいですね」


 はにかむように彼女が言い、講師の先生が空を見上げる。つられるように顔を上げると、雲一つない青空が広がっていた。

 今晩の〈スターウォッチング〉は、どうなるだろうか。

 きっと良い夜になるに違いない。僕たちが出会ったあの時と同じように。人生を変えてくれたあの夜と同じように。

 星降る夜に。

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星降る夜に 柳成人(やなぎなるひと) @yanaginaruhito

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