第五話 恋人を拐われたロイン
(※残酷な描写があります)
村には三日滞在した。一番押しが強かった村娘の家……ではなく、あの村長風の老人の家に皆で泊めてもらった。
といってもただ歓待されていただけではない。ロッドの伝令魔術を受け取った商人が村へ物資を届け、魔狼の牙を適正価格で買い取るのを見届けてから、ライラ達一行は次の街を目指して旅立ったのだった。
目指すのはここから南方向に向かって一番近い国セ=オだ。ライラとしては納得いかないが、ロインが「南に……何か、禍々しい気配を感じる」と言ったのがそこを選んだ理由である。
「なあ、南の国って共通語ほとんど通じねえだろ? ナ語とか喋れんのか?」
ライラが尋ねると、仲間達は揃って頷いた。
「話せる」とロイン。
「聞き取りと、読み書きなら」とロッド。
「大丈夫……知らない人とは話さないから」と言うのはルーミシュ。
「ほんとに、無駄に教養だけはあるよな……ルーミシュはそれでいいのか?」
ライラはそう言って手を伸ばすと、梢から飛び立った鳥に驚いたロッドの馬の首を叩いて落ち着かせてやった。ロッドが揺れに目を白黒させながら「あ、ありがとう」と礼を言う。
「……おう」
軽く頷いて目を逸らす。ロッドはあれからすっかり眠りこけてしまい、目を覚ましたら酔っている間のことは何ひとつ覚えていなかった。だからあれが酔っ払って適当言っただけなのか、それとも彼の本心なのか、ライラにはわからない。そしてそれを口に出して尋ねるくらいなら、そこの崖から飛び降りる方がまだマシだった。
「道が細くなってるから、気をつけろよ」
「……本当にここを行くの?」
ロッドが尻込みしたような細い声で言った。しかし、夏に向かって段々と暑くなるこの時期はあまり川から離れたくないし、延々と沼地を進むよりは崖沿いの小道を通る方がずっと楽だ。
「南に行くのをやめるんでなければ、この道が一番楽だ」
ライラが頷くと、ロインが「これも試練だ、友よ。我らは南の地へ、封印から目覚めた邪竜を倒しにいかねばならない」と言った。
「……人を救うための試練なんて、僕は興味ないんだが……でも、邪竜をこの目で見てみたいからね、努力してみることにするよ」
ふい、と視線を遠くに投げてロッドがそっけなく言った。ロインが「ふっ……捻くれ者め」と片眉を上げて笑い、ライラが「茶番は終わったか?」と尋ねた。
「あたしとイーリが先頭を行くから、ロッドはその後をついてこい。イーリの後ろなら、よほど変なことしない限りユゥンもついて歩くから」
「わ、わかった」
ユゥンとはロッドが乗っている馬のことだ。ロッドが彼を初めて見た時は「
「ルーミシュ、先に行け。俺が
「ロインが先に行ってほしい……そうしないと、ロインが見えない」
ライラが小道を歩き始めたところで、後ろから間抜けなやりとりが聞こえてきた。歩いている間もずっとロインを見つめていたいと言うルーミシュに、ロインが「そ、そ、そうか?」と照れを隠しきれていない声を返している。
「この峠を越えたら……俺の馬に一緒に乗るか?」
「乗る」
「やめろ。馬に負担かけんな」
振り返って言うと、ロインが「確かにな」と恥ずかしそうに肩を竦め、ルーミシュがちょっと残念そうに頷く。
――この時はまだ、背後には誰もいなかった。
◇
それから、段々と細くなる道を慎重に進む。凹凸の多いヴェルトルートの地形で鍛えられた馬達にとってはなんということもないが、ロッドやルーミシュは恐ろしいだろうなと、ライラはこの道を選んだことを少し後悔し始めていた。もう少し遠回りすれば安全に進める平原が、いやしかし、あのあたりは確かグリフォンの縄張りで――
とその時、ライラは馬上でビクッと肩を跳ねさせた。考え事が断ち切られたのは、カーブを曲がった先に男が立っていたからだ。毛皮のマントを羽織って頭に布を巻き、真っ黒に日焼けした粗野な雰囲気の男。
「……ここ通りたいの? 悪いけど、馬達の横をそろっと通ってくんない? 後戻り難しくてさ」
真っ直ぐこちらを見上げてくる様子を不審に思いながら、ライラは言った。すると男がにやりと笑って言う。
「いいや、通りたいわけじゃねえ。あんたらの身ぐるみ剥ぎに来ただけだ」
男がさっと手を挙げると、崖の上から同じような格好をした男達が次々に滑り降りてきて、ライラ達の前に立ち塞がった。毛皮のマントに、絹の帯、宝石の嵌まった指輪。腕の立ちそうな身のこなし。
踏み潰して突っ切ろうかと思ったが、剣を抜いた男達を見て思いとどまった。それで切り抜けられたとしても、イーリに怪我をさせてしまう。弓矢を取って、引く。だが引くだけで、ライラは
「手が震えてるぜ? お嬢ちゃん」
盗賊の一人が言う。その通りだった。しかし、今はライラが先頭にいて、後ろのロッドが隣に並ぶ余地はない。背を向けて逃げれば斬られるかもしれない。あたしが、あたしがなんとかしないと。
「ロッド」
と、ロインの声がした。すぐに「わかってる」とロッドの声。
「ロラナ=ラーヌ」
呪文の声と共に、黒い影がライラの横を通り過ぎ、盗賊達の全身を覆う。すると男達が突然バタバタと倒れて、何人かはそのまま崖から転がり落ちていった。
「えっ」
ライラが驚いて振り返ると、ロッドは少し青ざめた顔で馬から降り、崖の下を覗き込みながら「眠りの呪文だよ」と言った。
「ロッド、お前――」
「――ロイン!!」
とその時、ロインを呼ぶ掠れた絶叫が聞こえて、仲間達は慌てて背後を振り返った。三人の男達がルーミシュを馬上から引き摺り下ろし、喉元にナイフを突きつけながら、顔をひきつらせている。
「おいおい……魔術師がいるなんて聞いてねえぞ」
「とにかく戻るぞ! こんだけ上玉なら、こいつだけでも十分だ」
「でも馬もよ」
ルーミシュの乗っていた馬に手を伸ばそうとした男が、後脚で力一杯蹴りを入れられて昏倒した。倒れ込んだ男の真っ赤な額を見たルーミシュがふらっと気を失う。ルーミシュの馬レゥンは素早く方向転換し、耳を倒して激しく
「……離せ」
馬から降りたロインが言う。ロッドが呪文を唱えようとして、ナイフが動かされるのを見て口をつぐむ。
「おいおめえら、逃げるぞ! 追ってきたら、こいつの命はない!」
男達が言って、用意していたらしい馬にルーミシュを乱暴に乗せ、その後ろに飛び乗って逃げ出した。
「ルーミシュ!!」
ライラが叫ぶ。馬達が驚いて身じろぎするのを、無意識に首を叩いてなだめる。
「ロイン、ロインどうしよう、ルーミシュが」
泣き出しそうになりながらライラは言った。けれどロインはそれに答えず、淡々とした足取りでライラの横を通り過ぎ、眠りこけている盗賊の一人の胸ぐらを掴み上げた。
「起こせ、ロッド」
背筋が凍るような、静かな声。日陰に入ったからか青い瞳が黒く染まり、しかし炎のように燃えている。
「そいつだけ?」
「全員だ」
呪文が唱えられ、男達が呻き声を上げながら目を覚ました。胸ぐらを掴まれている男が驚いて目を瞬く。
「一体、何が」
「ルーミシュが拐われた。後を追う。アジトの場所を言え」
「そうか、あいつらやったのか」
男が嬉しそうににんまりし、そして「教えるもんかよ、バーカ」と嘲笑した。ロインが男を突き飛ばすように地面に放り出す。男は尻餅をついて顔をしかめたが、すぐに元のにやけ顔になって、ロインに「お前らみたいな甘ちゃんに」と――
次の瞬間には、男の首が吹き飛んでいた。ロッドがふらついて地面に座り込んだ。ビュッと剣を振って血を払い、ロインは隣の男に目を向けた。
「場所を言え」
「ご案内しますぅ!!」
ひっくり返った声で男が叫んだ。ロインは一言「そうか」と――声と同時に口が動くのを見ていなければとても彼の声とは思えない冷酷な調子で言うと、叫んだ男の腕を乱暴に掴んで立たせ、そして残った男達向かって片手をかざした。
「フルム=フラナ」
その呪文を聞いた瞬間、へたりこんでいたロッドが飛び起きてロインの腕を掴み、何か早口の呪文を叫んだ。ロインの手から燃え上がった紅蓮の炎が瞬時に黒い影で覆われ、ふっと煙も立たせずに消える。ロッドは片手を振り上げて、思い切りロインの頬を張った。
「馬鹿野郎!」
言ったのはそれ一言だけだったが、それを聞いたロインの瞳からどす黒い奇妙な色が抜け、元の宝石のような鮮やかさが戻ったように見えた。そして呆然としているロインをそのままに、ロッドは再び眠りの呪文を唱えて、案内を申し出た男以外の盗賊達を全員眠らせる。
「ロインの馬に同乗して、道案内しろ。今は見逃したが、その気になればお前程度いつでも殺せることを忘れるな」
暗い緑色をした、猛禽のように鋭い目で盗賊を竦み上がらせながらロッドが言った。そして素早く魔法の鳥を呼び出し「最寄りの騎士団に伝令を飛ばす」と言うと、ロインの背中を馬の方に向かって強く突く。彼が国境を守る騎士の息子なのだと、初めてライラは実感した。
「……すまない、正気を失っていた」
ロインがか細い声で言う。そして俯いて拳を握りしめ「俺が……俺が最後尾にいれば」と呟いた。
「いいから馬に乗れよ。ルーミシュを救うのが先だろ」
ライラが震える声で言うと、ロインはハッと顔を上げて「そうだな」とぎこちなく微笑んだ。捕らえた盗賊を乗せて、すぐさま馬が走り出す。
「売り飛ばすつもりなら傷一つつけないはずだ。ルーミシュは無事だよ。それに、ルェン族の馬ならすぐに追いつく」
空元気を振り絞って、ライラは明るい声を出した。先を走るロインが無言で頷くのが見えた。
(次回:『盗賊を一網打尽にしたロイン』)
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