第七話 邪竜を倒したロイン 前編
深い森の中に数十の小さな集落が点在するセ=オ国は、どの集落も湖を中心として作られている、通称「湖の国」だ。ライラ達が訪れた場所は中でも特に「街」と呼んで差し支えない栄えた場所だったが、そこでもやはり、中心となっているのは領主の城ではなく、青空を映す大きな湖だった。
「その水が、瘴気によって黒く濁っていると神官らが申しております。西の谷に邪竜が巣を作っておるのです。その瘴気が風に乗って運ばれ、土地へ降り注ぎ、生命の源たる湖を穢す。
「……黒く濁ってる?」
ロッドの通訳を聞いて首を傾げたライラは、領主館の窓から見える水面へ目を向けた。透き通った水がキラキラと青く輝いて、どこもおかしな様子はない。
「綺麗に見えるけど」
「セ=オの神官は妖精の
「妖精の眼?」
妖精混じりのルーミシュを見ると、彼女は首を振って「私は、目はあまり良くない。緑の瞳は、人間のお父さん譲りだから」と言った。
「確かに、エルフってみんな薄紫の目をしてるって言うよな」
「色の問題ではないと思うけどね」
ロッドがぼそりと言う。ロインが微笑んで「君は水の加護を受けた湖の聖女だが、瞳は夏の青葉の色だな」と言うと、ルーミシュはうっとりとなって「ロインの瞳は海の色」と言った。
「ラ、ライラの瞳は、朝日にかざした琥珀の」
「いちゃつくのは後にしろよ。で、その邪竜とやらをロインが倒せるのかって話だよな。そいつの特徴で、わかってることは?」
ライラが領主に尋ね、そしてロッドに向かって「悪い、なんか言いかけてたよな」と言った。ロッドはがっくり肩を落として「なんでもない……」と呟いた。
「それはまこと巨大な体躯をしていて、そう、崖に棲まう赤竜達なぞ比べ物にならぬ大きさで、漆黒の鱗を持ち、血のような赤き瞳を持つのです」
「うん、それ魔竜な。邪竜じゃなくて、魔竜。竜型の魔獣」
「なんと邪悪な……! やはり、
「可能性はあります。神官らが文献を漁ったところ、およそ千年前にも漆黒の竜が現れて街を襲い、大魔術師が谷底の大岩にそれを封じたと」
「やはり……!」
「おい、話聞いてたか?」
ライラが声を掛けるが、ロインは完全に盛り上がってしまっていて聞いていないようだった。彼はガタッと椅子から立ち上がると拳を握り、宣言した。
「私がこの力を神より授かったのも、きっとこのためだったのだろう。任せてくれ、水辺を統べる者よ。私と仲間がきっと、かの邪竜を倒して見せよう――このロインと、影を操りし『黒の魔術師』ロッド、水の神に愛されし『湖の聖女』ルーミシュ、そして我らが祖国ヴェルトルートの伝説の戦士バンデッラーの血を引く『大地の乙女』ライライラ」
「おい、勝手な設定付け加えんな。伝説の戦士とか初めて聞いたぞ。ていうかルェン族は南の大陸の
「竜使い……?」
ロインが目をまん丸くして振り返った。なんとなく周囲がキラキラ光って見えるくらい興奮した顔をしている。
「駆竜、な。翼のない、ダチョウみたいなやつ。あったかい地方の生き物でヴェルトルートにはいないからさ、あたしらは馬を育ててるんだよ」
「竜使い、ライライラ……!」
「おい、話聞いてたか?」
盛り上がり始めたロインに、流石に領主へ謝った方がいいかなとライラは気まずくなったが、領主は領主でライラを尊敬の目で見ながら「竜使い……」と呟いていた。
「どいつもこいつも、なんでこんなにアホばっかなんだ?」
ライラが呟くと、ロッドが馬鹿正直にそれをナ語に翻訳しようとするので「バカ、訳すな!」と後頭部を引っ叩く。
「痛っ!」
「ていうか、ほんとに行くのかよ? 無理だろ、流石に竜はさ」
「臆するな、竜使いライライラよ。こちらには神の加護がある!」
「ロインはこんなだしよ」
「……とりあえず、見に行くだけ行ってみようよ。もしこの国を助けられそうなら、その方がいいんじゃない?」
「それはまあ、確かにな……」
◇
そして、渋々頷いたライラとワクワクしている仲間達は、魔竜の棲むという西の谷へ向かった。森は湿っていて気温が高く、見たことのないようなでかくて変な虫がたくさんいる。ライラは平気だったが、ロッドは定期的に悲鳴を上げている。
「何が怖いの? こんなに可愛いのに……」
肩に馬鹿でかい朱色の蛾をひっつけたルーミシュが言う。エルフが花の妖精だからか、彼女にとって虫はどんなにヤバい色だろうが可愛いお友達らしい。
「くっ……流石にここまでくると、瘴気がキツいな……」
ロインが唐突に言って、胸を押さえて息苦しそうにした。ルーミシュが「ロイン……!」と焦った声を上げて彼に浄化の魔法をかけ、ロインは「あぁ、助かった……ありがとうルーミシュ」と額に汗を滲ませながら言う。
「何やってんの? お前ら」
眉をひそめたライラが言う。するとロインは「はは、ライライラはちょっと鈍感みたいだな」とからかうように淡く微笑んだ。ライラはイラッとした。
「瘴気っていうのはさ……純粋な人ほど、影響を受けやすいから」
とロッドが小さな声で言った。ロインには聞こえていないようだったが、耳のいいルーミシュは頷いている。
「……じゃあ、こいつの思い込みじゃないのか?」
「空気が汚れている感じはする。私は、ロインほど瘴気に弱くないけれど」
ルーミシュが頷いて、西の空を仰ぎ見る。何も見えないし感じなかったが、どこか不穏な様子に空が曇っているのは見えた。
「ひと雨来そうだね」ロッドが言う。
「急ごう。雨をしのげる場所を探さなければ」ロインがキリリとして言った。
「だな」とライラ。
そこは川に近い場所だったので、ライラ達は雨に備えて安全な場所を探しながら先を急いだ。が、少しすると急に馬達が立ち止まり、動こうとしなくなる。
「イーリ、どうした?」
合図を送っても首を振って嫌がる愛馬に、ライラは背から飛び下りて彼女の正面に周り、瞳を覗き込んだ。
「怖いのか?」
イーリが鼻を鳴らして返事する。恐怖で進めないというより、これ以上先へライラを連れて行けないという顔に見えた。
「帰ろう。イーリが警告してる」
ライラは樹上を見上げて言った。木に登っていたロインが、枝から飛び降りて言った。
「少し先に小さい洞窟が見えた。馬達はそこへ置いていこう」
「いや、あたしたちも引き返すべきだ。馬がそう言ってる」
「いや……」
「馬はそもそも魔獣を恐れる生き物だよ。でも人間には武器がある。魔獣を倒せるのは人間だけだ」
ロッドが口を挟んだ。そしてぽつりぽつりと降り始めた雨を手のひらで受け、それをじっと見つめて言う。
「この雨にも少し、瘴気が含まれているような感じがするよ。この分だと、森に棲む野生動物も影響を受けているんじゃないのかな」
それを聞いたライラはかなり迷ったが、結局彼らの提案を受け入れ、ひとまずは洞窟へ馬を連れてゆくことにした。
◇
雨は、ぽつ、ぽつ、と数粒が落ちてきたかと思うとあっという間に前もほとんど見えないような大雨になった。慌てて低い崖沿いの小さな岩窟に逃げ込み、荷物から布を出して馬達を拭いてやる。
「こんな雨、初めて見た……」
ライラの独り言に、ロッドが少し微笑む。
「ヴェルトルートではこんな雨降らないからね。この辺はもう亜熱帯だから、時々こうやってスコールになる」
「風が……」
「そうだね」
豪雨の始まりとほぼ同時に、谷の方から急速な風が吹きつけていた。木々を大きく揺らしながら洞窟にも吹き込んでくるその濡れた空気を浴びると、なぜが不安が増してくる。
「なあ、これ、止むのか? こんな雨、崖が崩れて、水没してさ、みんな死んじゃったり――」
「ルーミシュ」
ロッドが声をかけると、ルーミシュがライラの額に両手をかざした。青い光が降り注いで、すっと気持ちが楽になる。
「これが瘴気。正式には『淀み』という。心を絶望させ、怒りを煽り、人を争わせる禍々しい……汚れた魔力のようなもの」
「瘴気……」
「風に乗って、谷底から運ばれてきた」
「竜のいる谷底からね」
ロッドが頷く。旅をする間に少し日に焼けて猫背だった背筋が伸び、
「でも、大丈夫だよ。僕も、ロインも、ルーミシュも、決して君を傷つけたりしない。瘴気は人の心の奥に潜む攻撃性を増大させるんだ。僕らはみんなライラのことが大事で仕方ないから、絶対そんなことにはならない。ちょっと気弱になるだけさ」
「当然だろう!」
ロインが明るい目をして言う。ルーミシュがそっと頷く。そんな彼らを見ていると、ライラも少しずつ勇気が湧いてきた。
街で手に入れた魔導式の機械弓をそっと撫でる。あらかじめ魔法陣を組み込まれたそれは、ほんの少し魔力を注ぐだけで、魔術師のような術が使えるようになる道具だ。仲間達のように強い力は持っていないライラも、魔力で加速された矢を数本射るくらいなら可能だった。
「……倒せなくてもさ、様子を見てくるだけでも、力になれるよな」
「その通りだよ」
ロッドが頷く。それに更なる勇気をもらって、ライラはようやく彼女らしい勝気な笑みを浮かべた。とその時。
大地を割るような轟音が突如耳をつんざいた。近くの木に落雷したのかと思った。しかし違う。空は光らなかった。
「邪竜の咆哮だ!」
ロインが言って、洞窟の外へ走り出た。と目を見開いて、ライラ達へ向かって振り払うように片手を突き出した。
「――奥へ! こちらへ飛んでくる!」
(次回:最終話『邪竜を倒したロイン 後編』)
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