第2話 田嶋香織……若気の至り
アタシは、田嶋香織。
アラフォーの三十七歳。
小さな小さな出版会社の編集者をしている。
出版会社と言うと聴こえはいいが、編集長兼社長と、パソコンを唯一駆使できるアタシ、と、入稿のときにだけ来るフリーライターの君塚(きみづか)さんだ
けだった。
オタク系と言っても過言ではないような、胡散臭いと言った方がいいかもしれないかな? 『必ず生えます!』とうたう整髪料や、『一週間で確実に痩せる健
康マシン』など、イカサマコマーシャルだらけ? の、健康関連の、出版会社だ
った。
社長はモニターとしてとっくに薄くなった頭を提供し、植毛の実験に加担した
「ほーら、凄いだろう! ちゃんと増えたよなあ!」
いつも自慢するのだが、そうだなあ、ぼんやり増してはいると思うけれど、明
らかにフサフサにはなってはいなかった。
「これ、高いんだぞー! 全部やれば何百万も掛かるんだからさあ。……それをタダでやれてみっけもんだろう!」と言うが、社長が植毛したのはM字になった
額部分だけだった。なんでも、ある有名な整形外科医が最近開発した特殊な方法なんだというが、それこそまっことウサンクサイ!! なのに、目元は黒い太線で隠してはいるが、絶対これはソウちゃんだ、というBefore・Aftarの顔写真は雑誌の広告に大々的に使われていたし、それを知る人から揶揄われると、
「いやー、ホラー、知ってるでしょ、昔のボクさあ。……マジ、生えるんですよ。ホント生えるんですって、紹介しましょうかあ? えっ? 信じられない? こ
れがホントのホラーか? ふぁははは」と自虐ネタをかまして自笑する。
社長は大手出版社の叩き上げで、実力も営業力もあったそうで、何よりもすこ
ぶるヒトが良く、穏やかで優しく、悪くいう人は誰もいなかった。
聡一郎だからソウちゃんと呼ばれ、アタシも、社長とか編集長とか呼ぶのは初めての客先の前だけで、いつからか気安くソウちゃんと呼んでいた。
「えっ? 父ちゃん?」と聞き返されることが多々あって、アタシはどうも舌っ
たらずなところがあるようで、社長の冗談を増長させる要因になった。
「はいもしもし、聡芸社(ソウゲイシャ)でございます。……はい、田嶋ですね?
お待ちくださいね。……わたし、田嶋の父ちゃんですから、ふぁははは。」
電話口でさえ、そうなのだ。
アタシも電話口の相手も、思わず吹き出してしまう。
人柄も申し分なくウイットに富んで面白い人でもあり、アタシが好感を持ったのは当然だと思けれど、アタシには父親と暮らした記憶がなく、理想の父親像を
ソウちゃんに重ね合わせているのだと、アタシ自身が感じていることは自覚している。
が、そんなことをソウちゃんには言っていない。
が、最近、ソウちゃんは富に、
「おい、カオリン、とうちゃんの名刺切れちゃったから、頼んでおいて!」などと、あからさまに、自分のことを父ちゃんと言う。きっと、酔っ払うと泣き上戸になって「親父に会いたい!」と喚くアタシの傷を察していて、……だから、わざとそう言ってくれている。
と思うと、本当に優しい人だなあ、本当に父ちゃんと思える、そんなソウちゃんだった。
アタシの名刺にはライター&デザイナーとあったが、会社の雑用含めソウちゃ
んの面倒と、実際はデータの加工ばかりをやらされていた。イラレもフォトショもパワポも、アタシしかできない仕事で、初めの頃は徹夜ばかりをして、ソウち
ゃんに心配された。
そのうち「カオリンは月曜日と金曜日に会社に来ればいいから。あとは家でやればいいからさ、メールとズームで済む内容だったらね」ということから、このコロナ禍でリモートリモート! と叫ばれるうーんと前から、リモートワークをこなしていた。
先進的でしょ!!
ソウちゃんと巡り会って、かれこれ十三年になる。
アタシは「大学へ行け!」という母親の憧れに似た命令に背き、高校を卒業すると、働くという名目で上京した。
母親は大嫌いだったけれど、……それでもお金がないウチなんだからね!
本当は大学へ行きたかったよ!
文学部かなんかへ行き、小説でも書きたいと思っていた。
小説で飯は喰えん、とよく聴くものだから、小説は趣味として、将来は新聞記者かコピーライターかなんかにでもなれたらなあと淡い期待を抱いた。
が、世の中、そうは問屋は卸さず、高校出のアタシにはこれぞ! と言った職
もなく、しかし、やはりアタシは創ることに携わりたかったのだと思う。
舞台美術の裏方のバイトを始めた。
大工道具を身につけ、カキワリやら天井から落ちてくるバケツの仕込みなどを
した。舞台美術とはカッコつけちゃったかもしれないな。
そう、お笑いのステージの準備だ。
元来、器用だったアタシは直ぐに重宝がられた。
新宿のホールはアタシが主任格となり、有名な演者さんからは、地方の舞台も任されるようになっていった。日本のアチコチにも行け、仕事は大概夜半にやっ
つけてしまうので、昼間はそこらへんの観光地巡りもできたし、何しろ演者さんと居ると楽しかった。一生このままでいい! とマジ、思ったことがある。
が、アタシも若かったんだなあ、と、それは反省こそするが、売れない芸人と付き合い始め、同棲、……そして案の定、妊娠した。
相手は売れてないわけだから、アタシが稼ぎ頭にならねばならず、初めての妊娠にも関わらず、無理をした。
挙句の果てに流産。
休みが続き、腹が出っぱって来た、と陰口を言われ、……陰口の発端者だったのが、ソイツだったことを知る。
そりゃあ、バイバイ! するよね。
互いに根なし草みたいなもんだったから、引っ越すほどのモノもなく、アタシはボストンバッグひとつと紙袋二つだけでアパートを出る。
今も忘れていない。
大久保の路地裏を泣いて歩いた。
アイツに腹を立てたんじゃなく、こどもを殺してしまったことに無性に罪悪感を覚えたことは、クッキリと海馬に残っている。
そういえば、アイツ、その後ほんの少しだけ売れたんだよね、テレビで見たことがあったっけ、……でも、しばらくすると消滅していった。今頃、どうしているんだろう。なんて、今は、全く思い出さないし、顔も忘れている。
まあ、まあまあイケメンだったけどね。
その後、舞台美術の先輩が仕事を紹介してくれて、……イベント屋、……カッコ良くいうと、プロダクションと呼ばれるこれまた小さな会社に入る。
勿論バイトだよ。
そこでも手先が買われてとんとん拍子だった。
そこでは、展示ブース設営の他にチラシやポスターなどを手掛ける仕事が発生し、アタシはMacを必死こいて習得した。お陰で、夢見ていた業界に、ちょっとは近づけたように感じたものだ。
大工仕事より、パソコン業務が主となってゆく。
そう、デザイナーねっ! マジ、カッコいいでしょう!
デザインも評判になっていくものだから、プロダクションの社長も意気揚々としていったわよねえ。
大手広告代理店の孫請けにまで抜擢されるようになり、そこそこ世間を賑わすメジャーなイベントなどにも参画させて貰った。
でも、でも、もう、ホント、アタシは馬鹿なのか? 男を解ってないのか?
そのプロダクションの社長から言い寄られ、奥さんとは別れる、っていうものだから、付き合い始めちゃう事に……。
でもでも、やっぱりね、……結局、たった一年ちょっとの愛人だっただけに過ぎなかった。その年も、妊娠しちゃったんだよね。
あー、もう、ほんと、ばかー。
今度こそ、ひとりで産んで、ひとりで育てる! ってマジ思った。思うという
より、誓った。
……なのに、やはり流産した。
大久保の路地裏を思い出し、あの時とおんなじ道を歩きながら、思いっきり泣いた。
アタシの一番ダメなところは、イケメンを好きになってしまう、っていうか、いくら性格が良くても、顔がイマイチだとダメで、不細工だったらお金持ちだろうが、どれほどアタシを愛してくれようが、受け付けないトコだった。
高校の同級生で、それこそお金持ちの坊ちゃんがいてね、お笑いが好きでよく観に来てたんだけど、そこでバッタリ会ったことがあって、ずっとずっと好きだ
ったんだよ、付き合っておくれよ、結婚しよう! とそりゃあそりゃあ、しつこかったんだよねえ。でも、超ブッサイクでねえ。
だから、アタシはアイツに逃げたんだと、いい歳してから気付いたんだ。
大久保の路地裏を泣きながら歩いていた時だった。
「田嶋さん? もしかして香織ちゃん? ……どうしたのお?」
声を掛けるハゲたおじさんがいた。
そう、それがソウちゃん。
ソウちゃんは大手広告代理店ともツウツウで、恐竜のイベントの時にご一緒させて貰っていた。コピーライトやスポンサードなど運営に関わる業務を任され、ポスターやカタログ作り、その中に入る広告など2次元メディアのディレクターだった。色々、散々、カクカク勉強させても貰った。色稿からフィニッシュワークのタイミング、印刷屋とのやりとりなど、サスガ! のひとだった。
アタシは思わず、ソウちゃんの胸に飛び込んでいた。
ソウちゃんは何も言わず、ただただ、アタシの頭を撫でてくれていたっけ。
社長の愛人だったことは当然知っていたのだと思うけれど、それもどれもこれも、なーにも言わず、……今だってほじくり返すようなことは一切しない。
アタシは、一生、ソウちゃんに着いて行く。
ソウちゃんの役に立ちたい。
と、思ってから十年が経っていた。
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