初めての経験だったから懐かしくなった

 12月24日、終了式。

体育館で行われる生徒指導員の話は長くて床に座る生徒たちの身体を静かに冷やしていった。

この話を聞いているふりをしなければいけないのは次の日から冬休みという自由期間が存在するからだ。私達は休む前に何かしらの耐えなければならない試練を課される。

終了式が終わると無数の生徒たちが教室へ戻るように促される。同じセーラー服と学ランを着た人々が並んで歩く。同じ格好をしているのに、みんな話している内容はまるで違う。

「今日、クリスマスイブじゃん‼︎」

教室に戻って席に着くと誰かの声が聞こえた。

このガサツで無駄に響く声は愛花だ。

「私、バイトなんだよね。最悪‼︎ああ、浩太とデートしたかった‼︎由美はデートするんでしょ?」

教室中に響く声で愛花が遠慮なしに喋る。

由美が気まずそうに、まあね。とだけ返した。

そのすぐ側でさとみが何食わぬ顔で窓の外の景色を眺める。

望美はその話題が嫌みたいで眉間に皺を寄せた。

「雅也もデート?」

少し先の教室の端で智也と直輝と共に談笑する雅也を愛花が大きな声で尋ねる。

聞きたいわけでもないのに彼らのデート情報がこの教室内の生徒たちの耳に入る。

でもそれ以外の生徒たちは彼らのことなど全く気に留めていない。みんな各々が楽しげに友達と話をするのに夢中になっていて愛花たちを見ることなどない。

彼らの一語一句を聞き逃さずに聞いているのは私だけで他の生徒たちは彼らを他人として区別している。

「そうだよ‼︎デート‼︎」

雅也の声がこだまする。

それを無数の生徒たちの話し声がかき消す。

なんてことない、ただの声だ。

「直輝もデートかなあ?」

ニヤついた顔で望美を横目に見る愛花。

その瞬間、望美が不機嫌に立ち上がって教室を出た。

彼女はそのまま廊下へと消えていった。

崩れる瞬間は面白い。

私はいつも崩れる関係すら築けないからこの瞬間を見るのが好きだ。胸の奥がすっと軽くなる。

「行っちゃった!」

愛花が何も気にしていない様子で無遠慮に笑う。その笑い声が教室中に響き渡ってまたすぐに別の生徒の声にかき消された。

私は愛花を見ているとこの子が何故こんなにも友達がいるのか理解できない時がある。でも彼女は望美と一緒できっと私には決して見せない優しさを好きだと思える存在には見せているのだろう。

私はそれを見せてもらうための努力をしていない。

気になっているくせにいつまでも自分から逃げている。

誰かと関係を築くことは努力とか根気強さとかが必要で少しでも怠けているとあっという間に崩れるから私はそれが恐くて逃げている。いつまでもいつまでも逃げ続けている。

首が絞まる感覚。自分で自分を追い詰めている。

長年、走りすぎて、逃げすぎて、息ができない。苦しい。逃げることは苦しい。

スマホ画面を見つめてラインを開く。

メッセージが一件、直輝からだった。

私達は今日、二人でファミレスに行く約束をしている。明日は直輝の家に遊びに行くことになっていた。

陸人のトーク画面を開く。

陸人と最後にやり取りをしてからまだ四日しか経っていない。だから大丈夫、まだ大丈夫。

向き合いたくない、嫌だ。

私からおもちゃを取り上げないで。

陸人のトーク履歴を何度もタップする。何の反応もない。

私はいつまでこんなことをしているのだろうか。

急に虚しくなって無性に寂しくなった。


 クリスマスイブは直輝と過ごした。

「明日、二時にバス停前で待っていればいいかな?」

ドリアをスプーンですくった直輝が私を見る。

「うん。バス停近くになったら連絡する。」

生クリームとフルーツがのったパンケーキをナイフとフォークで切りながら答えた。

クラスメイトの家に行くなんて私には初めてのことだ。クラスメイトの家へ招かれたことなど今までなかった。初めての経験で私には何をどうしたら良いのか分からない。

パンケーキを口に入れながら、何か持っていった方がいいのかと考える。でも私達は別にそこまでするほどの関係なのだろうか。

私達の関係って一体何なんだろう。

私達はクラスメイトだ。だけど友達ではないただのクラスメイトが実家に招かれることなどあるだろうか。

私達は付き合ってない。愛し合ってない。でも友達ではない。クラスメイトと呼ぶには愛情が湧きすぎている。

不思議なかたちで私達は繋がっている。いや、誤想だ。好意を寄せている者とエゴを押し付けている者の関係に過ぎない。

それだったら私と純一郎の方がおかしい。

私達は親子なのに親子じゃない。純一郎は私を我が子だと思っていて私は純一郎を父親として見ていない。こっちの方がおかしいじゃないか。

直輝以上に互いの想いがちぐはぐだ。

「佐伯さん。明日、楽しみだ。」

目の前の直輝が照れ笑いする。

あまりにも健全な笑顔で安堵感を覚えた。

それから私は帰りのバスでまた昔のことを思い出した。

今、住んでいる家に初めて来た時の記憶だ。

「ここがサナたちの新しいお家?」

無邪気な七歳の私が新築の新居をあちこちキョロキョロと眺めながら走り回っている。

「こら!サナ、走り回らない‼︎床がツルツルなんだから転んじゃったらどうするの⁉︎」

後ろから荷物を抱えた母が私をたしなめる。

「サナ、こっちへおいで。」

抱えていたダンボールを一度、床に置いた純一郎が私を手招きする。

振り向いた私は胸が躍って目を輝かせながら純一郎の元へ駆け寄る。純一郎の胸中に勢いよく飛び込んで純一郎は私を抱え込むように受け入れた。純一郎の胸中は純一郎の匂いがしてその匂いが鼻に入ると私は安堵感と同時に心臓の鼓動が速くなった。

「サナ、純一郎とずっとここに居たい。」

抱きついて顔中を純一郎の服に擦り付けながら呟いた。

「居ればいいよ。ずっとサナが居たいだけ居ればいい。」

私の頭を撫でながら純一郎が優しい言葉を囁く。

優しさ、甘さ、私は純一郎のそれが大好きでいつまでもこの人と一緒に時を刻みたいと感じた。

「また、純一郎に甘えて…随分と懐いたわね。」

後ろから聞こえる母の声がラジオのBGMのように私の耳を抜けていった。


 もうすぐで着く。

バスに揺られながら直輝にラインを送る。

すぐに既読がついてスタンプが返ってきた。もうすでにバス停前で待機しているのだろうか。

バス停前にバスが近づくと車窓から自転車を置いて側に立っている直輝が見えた。

試しに車窓から手を振ってみる。彼は私に気づいていないようで止まったバスの出口をじっと眺めていた。

バスを降りると直輝と目が合う。

「おはよう。」

もう朝とは呼べない時間帯なのに直輝に言われて私も同じように、おはよう。と返した。

「じゃあ、乗って。」

自転車に跨った直輝が後ろを指す。

私は頷いて直輝の自転車の後ろに跨った。

私を乗せた直輝の自転車がゆっくりと動き出す。直輝の家はここから歩きだと四十分ほど掛かる。だけど自転車ならその半分で辿り着く。

「お昼ご飯、何食べた?」

自転車を漕ぐ直輝が尋ねる。

思いの外、すいすいと進んでいた。

「余り物でサンドイッチ作って食べた。」

カーキ色のコートを羽織った直輝の背中を見つめながら答えた。彼の私服姿を初めて見た。クラスメイトの私服姿は誰であっても新鮮さを感じる。

「え〜?おしゃれだな。俺んちは今日、母さんがつくったわかめうどんだったよ。」

ふわふわと風に揺れる直輝の茶色い髪を見つめる。

「美味しそう。そっちのがあったかくていいよ。」

私が笑って答えると背中を向けたままペダルを漕ぐ直輝が半信半疑な声で、そうかな〜?と呟いた。

直輝のお母さんは地元のチェーン店の美容院で美容師をしている。お父さんは大工。それから中三で受験生の双子の妹がいるらしい。

「今日は直輝のお母さん、仕事休みなの?」

「うん。父さんも休み。妹たちも冬休みだから家族全員揃ってるけど無視していいから。」

さっきから冷たい風がずっと私の頬を撫でている。

「ごめん、何も持ってきてない。」

ばつが悪そうに言うとすぐに直輝から、

「ああ、そういうのいらない。誰も気にしないから。」と返ってきた。

「そう…」

ずっと直輝の背中を見ながら会話していた。そうしている間に見知らぬ一軒家の前で直輝の自転車が止まった。

「着いたよ。」

直輝の言葉に自転車の後ろを降りる。

よくある暖色の一戸建てで周辺にも同じような建物が並んでいた。小さな駐車スペースに白い車が一台、僅かな隙間だけをつくって駐まっている。その横の駐輪スペースに自転車が三台駐まっていた。一台は花柄のハンドルカバーのついたママチャリで二台はシルバーの前カゴがついたレモンイエローのお洒落な自転車だった。直輝は自らの自転車をその隙間に無理矢理押し入れる。

「あ!直輝だ‼︎」

遠くから子供の叫び声が聞こえて、その方向を見た。

二人の男の子が私達を指差している。

「彼女だ‼︎直輝の彼女だ‼︎」

揶揄うように男の子たちが叫んで騒ぐ。

「うるさい!声が大きい‼︎」

直輝が呼応する。

「最近、ゲームしに来ねぇと思ったら女かよ!」

どっかのドラマで覚えたかのような台詞を吐き捨てて二人は逃げていった。

「良太!拓也!」

走り去る二人の背中に向かって直輝が叫んだ。

「友達?」

二人ともまだ小学校低学年に見えた。小首を傾げて尋ねる。

「近所の子。スイミングスクールが一緒だったんだ。」

入り口に向かう直輝の後をついていく。

「へえ、スイミングスクールに通ってたんだ。」

直輝がポケットから鍵を取り出す。鍵についた鈴の音色が聞こえた。鍵穴に鍵を差し込んで回すとロックが解除される音がガチャッと響いた。

そのまま扉を開くと玄関にたくさんの靴が乱雑に置かれていた。直輝は女物の靴をいくつか端に寄せて私と自分の靴が置けるスペースを空けた。

「ごちゃごちゃした家だけど、どうぞ。」

靴を脱いだ直輝が振り向いて私を遠慮がちに見た。

私の前にいる直輝が僅かに扉が開いた居間に向かって、ただいまを叫ぶ。私はそれに続いて小さく、お邪魔します。と言って靴を脱いだ。ひんやりとした冷たい床が靴下越しに伝わる。

直輝の家は陸人の家と正反対で物が多くて玄関から靴やらどこかの土産屋で買ったような置物やらが乱雑に置かれていた。

直輝の声に反応するように居間の扉が勢いよく開いた。

中から直輝と同じ髪色の男の人が厳しい目で直輝を見つめる。それから視線をずらすように私を一瞥する。

「ほぉ。嘘じゃなかったか。母さん、直輝が本当に彼女を連れてきたよ!」

男の人の表情が柔らかくなって視線を居間の方へと向けた。

反発するように直輝が、彼女じゃない!と叫んだ。

「あれ?まだ告白してないの?直輝は俺と違って慎重派だもんな〜。」

おちょくる男の人は私に向かって、

「直輝の父です。どうも!」と笑った。

直輝のお父さんは髪色以外、顔立ちも体型も直輝に似ていなかった。直輝よりも色黒で細いけれど筋肉がある。

直輝のお父さんが背を向けて居間に戻ると入れ替わるように女の人が扉から僅かに顔を出した。きっと直輝のお母さんだ。

「貰い物のクッキーがあるから、それ持って上に行ったら?」

直輝のお母さんがクッキーの缶詰を見せる。

「ああ、もらう。」

直輝がそれを受け取った。

直輝のお母さんは目の色も肌の白さも顔立ちも体型も全てが直輝の面影があって彼の母であることが分かった。

直輝のお母さんは私を物珍しげに眺めてから軽く会釈するとそのまま静かに居間へと消えていった。それから私達は直輝の部屋がある二階へと上がった。歩くたびにギシギシと音を立てる階段は一段一段が高くて上りづらかった。

上に行くと同じ顔の二人の女の子が私達を待ち構えるように肩を並べて立っていた。

「お兄ちゃんの彼女だ!」

嬉しそうに二人の女の子が同じ顔で声を揃えて無邪気に叫ぶ。

「うるさい。部屋、戻って勉強してて!」

困り果てたように直輝が頭を掻いた。

私はそれが面白くて思わず声に出して笑った。

すると二人の女の子が私をチラチラと横目に見た。初めて会った人に興味があってどうやって話しかけようか様子を窺う幼児のようだ。

「お兄ちゃんと同じクラスなんですか?」

無邪気な好奇心を覗かせる二人の眼差し、明るい声。

「そう、クラスメイト。」

代わりに直輝が答えた。

むくれた顔で同じ顔の一人が、お兄ちゃんには聞いてない!と抗議する。それを無視するように直輝が私に二人を紹介した。

「双子の妹。こっちが理音、こっちが未音。」

そう言われたものの、どちらも顔が同じで見分けがつかない。戸惑うように小首を傾げると理音の方が二つ結びしている自身のゴムを指して、

「赤が理音、オレンジが未音!」と笑う。

「分かった、覚える。」

私が笑い返すと二人の頬がピンク色に染まって嬉しそうに頷いた。

「佐伯さん、こっち。」

直輝に促されて部屋に向かう。私達の背中を無邪気な双子の視線が離さない。

部屋に入る前に軽く二人に向かって手を振ってみた。すると二人が同じように振り返して来たから、あぁなんだ、何かすれば意外と返ってくるものなんだ、と思いながら直輝の部屋に入った。

「ああ〜!ここまで来るだけで疲れた…」

直輝が床にへたり込む。

私はその隣に腰掛けた。直輝の部屋は物が多いけれど汚いという印象が湧かない部屋だった。物が多いだけで整頓されている。

「直輝の家は賑やかだね。」

クッキーの缶を開ける直輝の横で漏らす。

私の家とはまるで違う。私とはまるで違う。

 こっち来んな!お前は親戚じゃねぇからな!

七歳のお盆休みの時、初めて純一郎の実家へ純一郎と共に帰省した時を思い出した。

母方の祖母は認知症になっていて施設にいた。孫の顔を覚えられない祖母に私を慮った母が純一郎に私を任せて一人で実家に帰省した。

初めて連れられた純一郎の実家。純一郎の大人の親戚たちは私を物珍しいものを見るようにじっとりと眺めたが誰一人として話しかけることはなかった。

 おい。お前、純一郎伯父さんの子供じゃないんだろ?こっち来んなよ、他人!

 みんな、あんたとあんたのお母さんが嫌いなんだって。純一郎叔父さんは年上のあんたのお母さんに騙されたんだって言ってるよ!

無邪気な笑い声。それに相応しくない非難の言葉。

思い出したくない。けれど時折こうして思い出してしまう。

「佐伯さん、音楽でも聴こう。」

ハッとして顔を上げると広がっていた暗い景色は目の前に映る直輝の勉強机へと切り替わる。木製の小さい時から使っているのが分かる勉強机は引き出しに私達が幼い頃に流行っていた無数のアニメキャラクターのシールが貼られていた。

「この曲、好きなんだ。」

スマホから直輝が流した曲はoasisのgo let it outだった。

私はその音楽を聴きながら窓の外の景色を眺めた。

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