私もあなた達と同じくらい汚れているだけ

 お昼休みを終えて教室に戻った。

教室内には愛花と望美がいてそれ以外のメンバーはいなかった。

私が戻って来ると望美が分かりやすく私に視線を送ってきた。私はそれを見ないように気づかないふりをして自分の席に着く。

「あ、戻ってきた!」

わざとらしく大きな声を出す望美。

直輝たちが戻って来たのだろうか。望美はそのまま言葉を続ける。

「教室に居場所ないからっていつもどこで一人でご飯食べてるんだろう?」

望美の言葉で私のことを言っていると理解する。

そのまま無視してピンク色の水玉模様の巾着に入った空のお弁当箱を鞄の中に仕舞った。

「お弁当入れてる袋ダサくない?センスやばっ!」

私の巾着袋を見て望美が鼻で笑った。

呼応するように愛花がガサツな笑い声を上げる。

私の巾着袋のセンスが良いのか悪いのか私には分からない。けれど私にはいつも望美が使っている赤いキャラクターものの巾着袋も大差ないように思えた。

愛花だって今まで私の巾着袋を気にかけたことなどないのに。彼女は私の巾着袋が面白いのではなく望美が私を嫌っている状況を愉しんでいるに過ぎない。

椅子に座る私は素知らぬ顔でスマホを開く。

今日はいつもよりも不快な出来事が重なって気分が悪い。それを紛らわすようにラインを開いた。文字を打てば返事が来る。彼とのやり取りのおかげで少しは気が紛れた。

「遅い!トイレだけなのに長くない⁉︎」

教室に戻ってきた直輝と雅也に望美が声を上げる。

彼らが戻って来た瞬間、執拗に私を見てきた望美の視線は私から直輝へと移る。表情も柔らかくなって私をいびっていたときの底意地の悪い顔は消えていた。

「彼女と喋ってた。」

雅也が気にする様子もなく応える。

それからすぐに智也が戻って来た。

智也はいつもと変わらぬ様子で私を見ることもなく、まるでさっきまでのお昼休みでの出来事が嘘かのように思えた。けれどその後、教室に入って来たさとみの陰気な顔を見て現実にあったことだと実感する。

「由美、どうだった?」

望美が心配そうにさとみに尋ねる。

「うーん…いつものことだから大丈夫って言ってた。とりあえず保健室で寝てる。」

さとみが答えると愛花が、

「また早退するのかな。」と呟く。

由美は生理痛が重くて二日目は毎月、学校途中で体調を崩していた。

同じクラスの純喜は彼女が生理痛で保健室にいることなど何も知らぬような顔でクラスメイトと喋っている。けれど私達が見れないだけで教室内で無関係のように過ごす二人は密に連絡を取り合っているに違いない。時折見せるスマホに視線を落とした時の表情が二人とも同じだった。

「由美が心配!」

声を上げる望美は由美が心配なのではなく、直輝にかまわれたい!と叫んでいるように聞こえた。

私はさっきまでの出来事を何も知らない直輝が平然と望美の隣にいる事実に苛立った。

望美は私を嫌っている。

直輝が好きだから。

私も望美を嫌っている。

望美が私を嫌いだから。

直輝は私のことが好きだ。

私は直輝を嫌いなわけではない。

直輝が私に視線を送る。私はそれを無視して顔が直輝に見えないように窓際へと移した。それから前を向き直すと視界の端でうっすらと直輝が揺れた。

直輝が私を見つめたまま、ゆっくりと近づいてくる。私はそれが嫌で、嫌と言うより苛立って席を立つと近づく直輝の横をすれすれで通り過ぎて教室を出た。

「佐伯さん!」

直輝の声を無視して背を向けたままトイレに逃げた。

そのまま授業が始まるギリギリまでそこから一歩も出なかった。


 直輝は放課後になるまで何度も私を気にかけて見ていた。

私は彼の視線に応えないように不自然なくらい一度も彼を見なかった。

帰りのホームルーム中も頬杖をついて視界の端でうっすらと映る直輝を懸命に気づかないふりをする。まるでその他の生徒たちと同じような存在であるかのように。

「よっしー話長い!バイトに遅れちゃう‼︎」

雅也が岩崎を急かす。

帰りのホームルームはどの生徒も教室から解き放たれる瞬間を今か今かと待ち侘びている。いつもは話が短いのに今日に限って担任の岩崎の話が長かった。

廊下にはホームルームを終えた他クラスの生徒たちがぞろぞろと歩いて賑やかな声が聞こえた。

帰りのホームルーム中にいち早くホームルームを終えた他クラスの自由で楽しげな声が聞こえると、ホームルームが終わっていないクラスの生徒はそれを羨む。ホームルーム中の生徒の頭の中は放課後の過ごし方で満たされていて、教師に求めることは簡潔に終わらせることに過ぎない。

「それじゃあ、終わり。」

ようやく担任の話が終わった。

私もその瞬間を待ち侘びていた。

話を聞いていた時とは比べ物にならないほど生徒たちが勢いよく立ち上がって生き生きと喋り出す。

学生は授業を受けている時よりも授業から解き放たれている時の方が顔が生きている、よく笑う。

学校は勉強するために来ている大きな箱だけど、この学校の生徒たちはそれを理由に誰かに会えることを楽しみに来ている。

その中に私を入れている者はいない。

いや、いるのだろうか。私が気がついていないだけで、本当はいるのだろうか。

いや、気づいていないはずがない。

私と会えることを望んでいる者がいる。

彼に限ってそれが勘違いだとは思えない。

さとみと由美の三人で昇降口を掃除する。

学校を抜け出る為に無数の生徒たちが昇降口を利用して靴に履き替えると自由に翼を広げられるようになった小鳥のように羽ばたいていく。私はほうきを片手にその背中を羨む眼差しで眺める。

「由美、さとみ、じゃあねー‼︎」

名前の知らない他クラスの女子が私と一緒に昇降口の地面を掃く由美とさとみに手を振った。

由美たちがそれに応えるように笑顔で手を振り返す。

それから直輝と智也が通った。

由美が二人に手を振る。大量の生徒たちに流れながら二人が手をふり返す。

さとみは二人に向かって手を振らずに視線を落として懸命に床を掃くふりをする。

智也の瞳にさとみは映っていなかった。

直輝の瞳に私は映っていない。

私はまた視線を外して直輝を気に留めていないふりをする。

二人はそのままその他の生徒たちに紛れて消えていった。

「そろそろ、こんなもんでいっか。」

「うん、そうだね。」

ほうきで集めたゴミたちを眺めなら由美とさとみが目を合わせて頷き合う。いつも通りその瞳の中に私は映っていない。

ゴミ捨てを終えて担当の教師のチェックが終わると私達はようやく自由になれる。教室に置いた鞄を取りに行く。それを持って私より先に二人が教室を出る。

私の視線の先で鞄を持った二人の背中が映る。私は同じ色の鞄を肩にかけて彼女たちの後ろで一人、歩く。

肩を並べて歩く二人の姿は堅い友情で結ばれているわけでもないのに当たり前のように馴染んでいて違和感がなかった。

私よりも先に進む二人は同時に靴を履き替えて昇降口を抜けた。私が創り出したことがない二つの背中は二つなければ成立しなくて眩しかった。

私も一人、靴に履き替える。

生徒たちが自由に出入りできるように開け放たれたドア。昇降口と外の境目を示す銀色の線。

そこを彼女たちと同じように抜ける、一人で。

「あ。」

そこを抜けた瞬間、近くで声が聞こえて横を向く。

視線の先に直輝が立っていた。

「今日、先生の話長かったね。」

直輝が私に向かって力なく笑う。

「何してたの?」

私の瞳の中で当たり前のように揺れる直輝が嬉しくて恐かった。

「佐伯さんのこと待ってた。」

直輝が遠慮がちに微笑む。

「待たれるの嫌?」

私は咄嗟に首を横に振った。

「良かった、今日も送るよ。」

直輝が嬉しそうに笑う。

終わらせなければ、終わらせなければ。

優しさは罪だから。私のような人間にこんなことをする男を受け入れてはいけない。壊さないと。

私と直輝が肩を並べて歩く。

自転車置き場に向かって直輝が自分の自転車を取っている間、彼の後ろ姿から見える輪郭を眺めた。それは綺麗な線を描いていて私よりも描きやすそうな形をしていた。

「ご飯食べた後って眠いじゃん。今日の古典、眠かったな。」

「私も。古典って後藤先生だから居眠り出来ないし。」

「そうなんだよ〜。でもこっちも眠るつもりはないんだよね。自然に目を閉じちゃってるっていう感じで…」

「でも居眠りバレちゃうと減点されるから気をつけないと。」

肩を並べて歩く私達はたわいもない一日の出来事で笑った。直輝と話していると退屈なその日一日の何気ない日常が面白く思えた。

教師の話も授業の話も、他人の会話を盗み聞きしている間は彼らが何が楽しくて笑っているのか理解出来なかったけれど直輝と話している間、私は自然に普段なら笑うはずもないところで笑っていた。

でも終わらせなければ。私は悪魔だから。

いつかその日が来る前に、これ以上始めない。

「この間、間違えて同じ漫画の新刊買っちゃって…」

直輝の言葉に私は相槌を忘れてスマホを見ていた。

ラインを開いて陸人とやり取りする。

「佐伯さん。」

直輝が私を呼ぶ。

バスの停留所近くに着いた。私達が別れる場所だ。

私は直輝と別れて陸人に会いに行く。

私の賭けは予想していた通りに向かいそうだ。

私達は足を止めた。直輝の瞳が私を映す。

「俺、佐伯さんと連絡先、交換してないよね。良かったら交換しない?」

彼は自然に促した。

私はそれを快く承諾した。

私のラインで繋がっている人間はごく少数だ。

そのメンバーは純一郎と親戚と陸人、学校行事などで向こうが止むを得ず繋がった元クラスメイトたち。それからたまに現れる知っている人とは誰とでも繋がろうとする人気者願望者。そこに繋がりたがって来たから繋がったけれど大して面白くもなくてすぐに連絡が途絶えた男が数人。私の数少ないラインの友達リストはみんなと同じくらい希薄で脆弱だ。

直輝が私のQRコードを読み取って私を友達リストに入れた。彼の友達リストには私と同じくらい希薄で脆弱な関係の友達が私の八倍はいるようだった。彼はこれからもその友達リストを肥大化させていく。その中にあの六人が紛れて、やがて見えなくなる。彼らはそれを気にすることなく友達リストへ新たなアカウントをぽんぽんと追加する。そして新しい方に夢中になって古い方なんて忘れてしまう。

直輝もいつかそうなるに違いない。私は友達リストの人数が少ないからすぐに直輝を見つけられるだろうけど直輝は私のアカウントなんてすぐに見つけられなくなる。いや、見つけることすら忘れてやらないかもしれない。

私のアカウントを嬉しそうに眺める直輝。私はそれが恨めしかった。

壊さないと、壊さないと。

私達にやり取りする話題なんてあるはずがない。

それにもう私達は今日で終わりなのだから。

「直輝。」

私は初めて直輝の名前を呼んだ。

直輝が顔を上げて驚いた顔をする。それから嬉しそうに頬をピンク色に染めて口元を緩めた。

「直輝に見せたいものがある。」

私が真剣に見つめると彼は嬉しそうに笑った。

「何?」

希望に満ちた目をして微笑む直輝。

「私の後について来て。でも近づきすぎちゃ駄目。今から私が歩くから、私が良いって言うまでついてこないで。良いって言ったらそれ以上、距離を詰めないでついて来て。」

真剣に迫る私に直輝が優しく頷く。

私は直輝からゆっくりと後退していく。直輝はそんな私をじっと眺めて大人しく自転車と一緒に止まったまま並んでいた。

私はそのまま直輝から段々と離れていく。さっきまで話していた時の私達の距離がどんどんどんどん離れていく。

数十メートル離れると直輝は小さくなっていた。

小さくなった直輝は律儀に私の合図を待っている。

待てをしている犬のように大人しく佇んでいた。

私はそれを見て良心の呵責なんて微塵も感じない。

直輝の優しさは悪魔だから、それに応えるふりをする方も悪魔だ。私は善良な気持ちで直輝の悪魔な優しさに制裁を与えるまでだ。

彼の悪意なき無垢な行動から自分を守るために一瞬だけ悪魔になる。

「いいよー!」

私は直輝に向かって叫ぶ。

声を張らないと届かないほど私達は離れていた。

よし、と言われた犬のように直輝が歩き出したのを確認すると私は背を向けて歩き進めた。

歩く、どんどん歩く、ひたすら歩く。

目的地はそんなに遠くない。すぐそこだ。

歩き進めると水の匂いがして冷たい風が吹いて来た。

嗚呼、そうだ。今日で十一月も終わる。明日から十二月だ。何かを捨てることは時間が掛かるから丁度いい月だ。年明けには消すことが出来る。ラインの友達リストには残るけれど平気だ。私達は最初から友達じゃないのだから。

私の目の前に広がる湖。その奥の樹木たちは今日も鬱蒼としていた。

その景色を眺めてから後ろを振り返る。遠くで直輝が私を追っていた。

「ねえ。」

近くで声が聞こえて顔を直輝とは真逆の方向へ移す。

この湖の前で私達は出会った。

私の視界にスマホを持った陸人が私に近づく。

「今更、なんでここ?」

陸人が私の意図が分からないとでも言うように苦笑した。

直輝はどうしているだろうか。気になったけれど何度も後ろを向くのは陸人に不自然に見えてしまうから抑えた。

「思い出に浸りたいつもり?思い出って言ってもまだ三ヶ月くらい前じゃん。」

直輝の存在に気づいていない様子の陸人が喋る。

私はそんな陸人に勢いよく抱きついて強引に唇を塞いだ。陸人が驚いた様子で目を見開く。

陸人の背中を強く抱きしめて、ヌメヌメとした舌を入れると彼は落ち着いたように目を閉じて私の舌の動きに応えた。

艶かしい接吻。湖の前で私達はベッドの上にでもいるかのように激しいキスをした。その奥で湖を閉じ込める暗い森林が私達を傍観する。

どれほど続けただろうか。舌を絡めて出し入れする作業をもういいとでも言うように陸人が私を体から引き離した。

「俺ん家、行こう。」

早くあれをしたいと言うように陸人が熱を帯びた目で見つめる。

私は黙って後ろを振り返った。

さっきまで数十メートル先で律儀に距離を離したまま私の後をついて来ていた直輝の姿はもうない。

その代わりそれよりもっと離れた先で私に背を向けて自転車を走らせる直輝が見えた。

私はそれを見ると無意識に笑みが溢れた。

直輝の遠く離れていく背中を嬉しく寂しく見つめて、側にいる陸人の顔を見つめる。

「うん、早く行こう。」

彼の手を引いて寂しげに揺れる足元の草を踏みつけた。

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