表面上の類似だけで取り違える者は愚かだ

 直輝と初めて放課後を一緒に過ごした日の翌日はいつも通り退屈に何事もなく終了した。

帰りのホームルームが終わって掃除の準備をする。

今日は私とさとみと由美が掃除当番だ。

直輝は昨日、私と並んで歩いたことが幻かと思うほど私と会話を交わすことなく六人の側で何ら変わりなく過ごしていた。彼らの隣で何事もなく笑っていた。私は彼らと同じ空間の片隅で今日も意味なく存在していた。私達は同じ空間にいるはずなのにまるで別の国の住人のようだ。私は毎日その事実を目の当たりにする。その度にますます学校が嫌になる。

教室掃除の準備が始まった。

生徒たちはみんな椅子を机に上げてどんどん教室から抜けていく。

「直輝ー!今日バイトなくて暇だからファミレス行こうぜ〜‼︎」

雅也が直輝に声をかける。

「お!俺も行きたい‼︎」

「私も‼︎」

智也と由美が賛同するように手を上げて笑う。

「あ〜、私も部活なかったら行きたかった!」

望美がいかにも残念そうな声を上げた。

愛花はバイトで先に学校を出たようだ。

「私は金欠だから今日はいいや。」

さとみが愛想笑いを浮かべて断る。

ほうきを持った私とさとみと由美が教室の床を掃く。正直、本気で教室中のゴミを取る気はない。みんな教師に怒られない程度にやっているふりをしているだけだ。

「いや、俺は今日は行かないよ。」

直輝が放課後のファミレスを断った。

彼の拒否に他のメンバーは不満げな声を上げる。

「えー!なんでよ‼︎今日はバイトないんでしょ⁉︎」

「まさか、金欠⁉︎直輝に限ってそれはないよね⁉︎」

咎めるメンバーに直輝は気にしていない様子で笑う。

私は直輝を一瞥して視線をほうきと床に移した。例えやっているふりだとしても床を掃いたほうきの先には無数の埃が集まっていて、それはこの教室の汚さを表していた。私はここを掃除をするたびに世界はいくら掃除をしても綺麗にならない現実を目の当たりにする。

「行かないよ、俺は。」

直輝の声が遠くで聞こえる。

私と直輝はこの小さな箱で最も遠い端と端にいた。私は視線を落としたまま、こんなもんだ。と心の中で呟く。

こんなもんだ。私達は違うのだから。

「佐伯さん。」

名前を呼ばれて顔を上げた。

するとさっきまで教室から一番遠い位置にいたはずの直輝が私の目の前に立って私の目を見ていた。私は突然の出来事に僅かに動揺して視線を直輝から外して当てもなく泳がす。

「良かったら今日も一緒に帰らない?」

直輝が優しく微笑む。

彼の後ろでは驚いた様子で遠巻きに私達を眺めるメンバーがいた。その中で望美が気に入らない様子で私を睨んでいた。その姿に僅かに優越感を抱く。

「いいよ。」

私が直輝の目を見て承諾すると直輝は嬉しそうに、

「じゃあ、ここで待ってる!」と笑った。

私は頷いて、悔しさと寂しさで逃げるように教室を出る望美を視界の片隅に見届けた。

他のメンバーは呆気にとられていて由美とさとみはほうきを動かす手が止まったまま掃除をしているふりすら出来ていなかった。


「昨日話したことなんだけど…」

 掃除を終えた私達は横並びで廊下を歩いた。

そのまま昇降口で靴に履き替える。学校を出ると彼が自転車置き場から自分の自転車を取り出して、それを引いて歩いた。コンクリートの道上に自転車の車輪がカラカラと音を立てる。その間の私は昨日の私と違って直輝から距離を取らずに彼の側に寄って肩を並べて歩いていた。

「何の話?」

私は昨日の話が思い出せなくて直輝に尋ねた。

昨日、私達は沢山会話したように思えたが私の記憶には何一つ残っていなかった。

「洋楽!好きって言ってたよ。」

私の言った言葉を私が忘れて代わりに直輝が教えてくれる。それは何だか奇妙なことに思えた。

「ああ、洋楽ね。好きだよ。何を言っているのか分からないけれど。」

「うん。俺も好きだけど言葉は分からない。でも好きな曲はあるよ。何言ってるか分からないけど胸に響くっていうか…」

「情熱的だね。」

私が直輝を見ると彼は頬を赤くして、まさか!と返す。

私にとって音楽は独りぼっちではないふりをするための退屈しのぎに過ぎない。だから音楽が心に響くなんて感じたことがなかった。ただの自分の気持ちを紛らわすための道具、それだけだ。

「どんな音楽を聴くの?」

私が直輝に質問をする。彼の赤い頬がさらに紅潮した。

「スティーヴィー・ワンダー!最近の曲じゃないから佐伯さんには分からないかも。」

遠慮がちに肩を窄める直輝。

「曲は知らないけど名前は知ってる。」

私が返すと直輝が嬉しそうに、本当⁉︎と声を上げた。

「俺が好きな曲はI'm wonderingと If you really love meっていう曲なんだ。」

瞳を輝かせて話す直輝を眺めながら、そうなんだ。と返す。直輝の笑った時の上がった口角が綺麗で口元とキラキラした瞳を交互にボーッと見つめる。

「そんなに好きなら今度聴かせてよ。」

陸人の時と同じように直輝の好きな音楽を聴いてあげれば彼も喜ぶに違いない。打算的な提案を彼に投げた。

直輝はそんな私に屈託無く笑って、

「佐伯さんの好きなものもいつか教えて欲しいな。」と返した。

私の好きなもの。もう充分知っているじゃないか。みかんゼリー。他に何があると言うのか。

私が好きなものなんて他にない。なんにもない。

「いつかね。」

私は曖昧に答えた。

いつかという言葉を用いた約束ほど信憑性に欠けたものはないのではないか。だから私はこの言葉が便利で好きだ。

「じゃあ、ここで。」

バスの停留所付近に着くと私は足を止めて直輝に学校方面へ戻るように促す。

直輝はまた残念そうに笑って手を振る。

いつまでこの光景が続くだろうか。

微笑みながら離れるのを名残惜しそうにする直輝を見つめる。そして去って行く彼の背中を見届ける。

もしかしたらこの光景は明日からもう二度と見れないかもしれない。

そう考えると安堵感と同時に寂しさが込み上げた。



 陸人の家に着くと陸人が私に嬉しそうに笑いかけた。

陸人がそんな風に笑うのなんて珍しいことだから私も同じように笑ってみせる。

私がそうしたら陸人がさらに花が咲いたように笑顔になって、

「見せたいものがある。」と言った。

私はそれが何なのか理解した上で、なぁに?と再び陸人が喜ぶように微笑んでみせた。

私の目の前に陸人がスケッチブックを差し出す。

私はそれを受け取ってそこに鉛筆で描かれた線たちを優しくなぞる。

「人を描くのも上手なんだね。」

顔を上げて微笑むと陸人は機嫌良く微笑み返した。

彼によって創り出された私は、さもご機嫌かのように微笑んでいて、とても毎日を退屈させている子供には見えなかった。私はそれが自分とはかけ離れていて全く別の人間の模写を見ているようだった。

赤の他人。私と同じ名前の別人がそこにいた。

「陸人には私がこんな風に見えているんだね。」

私たちは生きている間に同じ顔で居続けることが出来ない。

絵のようにいつも同じ顔でいられたら私はもっと上手く生きて来れたかもしれないのに。

「気に入らない?」

陸人が尋ねる。彼はまだ微笑んでいた。

「うーん…色も塗ってくれないと分からない。」

私が戯けたように肩をすくめると陸人は笑って、

「分かった、今度色を塗るよ。ただ課題があるんだ。しばらくは塗れないなあ。」と漏らした。

「じゃあ、課題が終わったら。」

私が微笑むと陸人も微笑み返す。

陸人はご機嫌で昨日みたいな話はして来ない。私はそれが嬉しくて同じくらい上機嫌だった。

まだ大丈夫。色がないから。

「陸人。」

私は陸人の名前を呼んだ。彼の身体に自らの手を巻き付けば彼はいつも通りそれに応える。私達はいつも通りキスをする。体を重ねる。

今日もありふれた日常の一部が繰り返される。

学校にいる時よりも刺激的で退屈しない一部。

ただそれも時間の経過とともに忘れる大したことない一部。一瞬で忘れてしまう刹那な行為。

重ねても重ねても埋まらない無数の穴。

セックスは息が荒くなるものだ。気持ちいい時はとても息苦しい。

それなのにどうしてかセックスしている時よりも普段の何気なく生きている瞬間の方が息苦しい。

あの時の方が息苦しい。あの空間の方が息苦しい。

苦しくて悲しい。遣る瀬無い。

あんなに苦しいのに逃げたいなんて思わない。

本当はずっと居たい。あの空間に永遠に居たい。

私はただ、逃げられないふりをしているだけだ。

「月曜日、一緒に湖へ行かない?」

私の提案に陸人が微笑む。

もう冬が近いのに汗ばんだ私達の身体。陸人の部屋は私と陸人の淫で生々しい匂いで充満していた。

彼は私の手を握って見つめる。

初めて陸人とセックスをした時、彼は事が終わると私から離れて背を向けていた。私はそれが寂しい反面、その背中を一瞥して何事もなかったかのように他人のベッドでくつろぐのが新鮮で楽しかった。

今は陸人が傍について私の手を握ってくれる。

私はそれが嬉しかった。

ただ嬉しさは全体で言うならば一割にも満たない。

それ以外は全て煩わしさが支配している。

こんなのただの恋人ごっこをしているセフレじゃないか。

陸人は気付かぬうちに恋愛ごっこを始めてしまっていた。私は陸人の恋愛ごっこに置いてけぼりをくらって一人佇んでいる。

まるでチョコレートを食べた後に叱られた子供のように密な味を刹那に感じるけれど、すぐに他人から苦味をもたらされる。

私は甘さだけ感じていたいのに人間と関わるとそれは不可能なようだ。



「愛花ー‼︎私の分も購買のパン買ってきてー‼︎」

 望美の叫び声に教室を出ようとしていた愛花が振り返る。

「了解ー!何パンがいい?」

「チョココロネとメロンパン!無かったらジャムのコッペパン!」

愛花が承諾代わりに望美へ向かって手を振って廊下へと出た。

「今日お母さんが寝坊してお弁当作ってくれなかったのー‼︎…あれ?さとみは?」

今日も私は校庭の裏庭へ向かうため自分で作った味のないお弁当を手に持って立ち上がる。

「智也もいない。」

雅也が言うと何かを察したかのようにみんな黙り込んだ。

「どこでコソコソ会ってるんだろ。最近、多いよね。本当に付き合ってないの?あの二人…」

「さとみは何にも言って来ないけど…」

「智也も言わないけど、もうキスとかしちゃってるんじゃない?あるいはそれ以上…」

教室から消えた二人の関係を疑う彼らを私は静かに横切って廊下へ出る。

習慣のように上履きのまま昇降口を抜けてコンクリート詰の道を歩く。

裏庭に近づくと口論する男女の声が聞こえて来た。その男女が誰なのか顔を見なくても容易に想像出来た。建物に沿って曲がれば裏庭がすぐに目に入る。私は自分の居場所であるそこへ入るべきか躊躇うように足を止めた。

「付き合ってないって…じゃあ、私達はどういう関係なの⁉︎」

さとみの声が耳に入った。

感情的な声を上げるさとみとは対照的に智也の声は静かで落ち着いていて何を言っているのか聞き取ることは出来ない。

「私のこと好きって言ったよね?でも付き合う話になるといつもはぐらかす。そうやって付き合わないで弄んで智也は楽しいでしょうね。でも私は辛いよ。いつまでもコソコソ隠れて…お互いのことをみんなに言わないで…」

さとみの話を聞きながら私は自分の昼食スペースをいつ確保すべきか悩んでいた。早くしないとお昼休憩がなくなってしまう。学生のお昼時間は思いの外、短くて貴重だ。

感傷的なさとみの言葉を聞きながら、このいざこざが長引くことを予想した私は意を決して角を曲がる。私の視界が向かい合うさとみと智也を捕らえた。

横を向いて私と目が合ったさとみが前回のように一瞬、気まずそうに視線を外した。けれど今回はそれ以上に智也への感情の部分が勝ったのか智也を一瞥した。

さとみにつられて私を見る智也は無表情だった。

智也を見つめるさとみは傷ついているといった感じの顔をして視線を地面に落とした。そしてすぐに智也を置いて私の側を横切る。さとみは足早にその場から消えていった。私と彼女が去り際に目が合うことはなかった。

「また佐伯さんか。」

さとみと揉めていたはずの智也が何も気にしていない様子で笑う。彼はさとみを傷つけても気にならないようだ。自分が傷つくことなく相手を傷つけられる人だった。そんな冷酷な彼を見て尻込みする。

無言で智也の側を横切った。

そのまま花壇に座ってお弁当を開く。

自分で作った中身の分かるお弁当。

望美のように毎回、母が作ったお弁当箱を何も知らずに開いて文句を言う必要がないお弁当だ。

自分で作って自分で詰めたお弁当。唯一悲しくないことは同じ具材を別の場所で食べている人が存在することだ。悲しくない、嬉しくて、恋しい。

「いつも教室にいないけど、ここで食べていたんだ。」

プラスチックの箸でお弁当を突く私の側を智也は中々離れない。一人がいいのに邪魔で煩わしかった。

「俺、さとみを傷つけちゃったみたい。気まずいからこれから俺もここに来ていい?」

何故、私に許可を得る必要があるのか。

堂々と私の顔色を窺う智也に私は思わず、駄目。と呟いた。

「つれないな〜。」

智也が愉しげに笑う。私は無視してお弁当箱に入ったミートボールを箸で突き刺した。

「俺たち、似たもの同士じゃん。」

智也の言葉にミートボールを突き刺したまま箸を止めて顔を上げた。

余裕ある笑みを浮かべて私を見つめる智也はまるで何も知らないくせに知った気でいる顔をしていた。

この男となら陸人のように煩わしい感情に悩まされることはないだろう。

直輝のように苛立つこともないだろう。

心の底から軽薄な気持ちで付き合えるに違いない。

「同じってこと?」

「そうだよ。同じだよ。仲間じゃん!」

私の質問に智也が即答する。

私はその言葉に対して必死に怒りを抑えるように箸に力を込める。奥まで突き刺さったミートボールの穴が広がっていく。

「俺も佐伯さんも本気の恋愛なんて出来ないんだよ。トキメキとか恋愛感情なんて感じたことないでしょ?恋愛できないくせに刺激が欲しい、遊びたい。それを一番、手っ取り早く出来る方法が恋愛を装った女遊び、男遊び。相手は都合が良ければ誰でもいいわけ。」

智也は笑顔で淡々と話す。

「俺たち、同じなんだよ。だから一緒に遊べば気楽で長続きすると思うけど?」

自己陶酔に浸った智也の目を見つめる。

私と智也が同じとは思えなかった。

もし仮に、私達が世間から見て同じだとしても私はそれを認めない。

私達は同じじゃない。私はさとみのように智也と恋愛ごっこなんてしたくない。

「消えて。」

私は智也から目を離して冷たくそう言い放つと穴が広がったミートボールを口に入れた。

智也はまるで私が分からず屋でいるような目を向けて肩をすくめるとその場を立ち去った。

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