好きな音楽を聴いてあげると喜ぶみたいだから

 学校という箱は街中と一緒で人々が密集する場所とそうでない場所が明白だ。

原宿の竹下通りみたいに人気のスポットは多すぎるくらいに人々が隙間なく密集するけれど路地裏になるとすぐそこで人間が埋まっていることなど嘘のように人がいない場所が存在する。

学校はそれと一緒だ。そしてもちろん人気の場所は時間帯によって異なることも街中と同じである。

例をあげるのなら食堂。

食堂は人気のある時間とない時間の差の激しさを最も明白に表す場所だ。

チャイムが鳴ってお昼休憩が訪れると、それまで閑散としていた食堂に大量の生徒たちが指し示していたわけでもなく現れ、券売機に列を成す。そして食券を片手になだれ込むように食堂で料理するおばさん達の窓口へ我先にと押し寄せる。

私はいつも教室や食堂でお弁当を一人きりで食べるとほかの生徒たちの目が気になるため、お弁当を持って校庭に出る。

昼時の校庭は部活動が活発に行われる朝や放課後と違って人気がなく静かだ。この瞬間の校庭は原宿の路地裏よりも閑散としている。

窓から校庭の様子を覗いても見えない裏庭で花壇に腰掛けて自分で作った簡単で味のしないお弁当を食べるのが学校にいるときのルーティンだ。

教室からようやく抜け出すことが出来た私は足を進めるごとに遠のく生徒たちの声に満足する。

お弁当を持っていつもの花壇へ向かう。私だけの特等席。生徒たちから関心を得られず、孤立した花壇は私に相応わしい席だった。

いつも通り靴に履き替えず上履きのまま昇降口を出た。扉を抜けてコンクリート詰の道を歩く。学校の建物に沿って曲がると思わず足を止めた。

目を見開いて後退りする。

「あっ。」

私と目が合ったさとみが慌てて相手を引き離すと声を上げた。

数秒前まで私の目の前でさとみと唇を合わせていた智也が横を向いて私を見た。

気まずそうに私から目を離すさとみ。

私はどうすればいいのか分からず立ち尽くしていた。

彼らの奥には私の特等席である花壇が今日も静かにひっそりと存在している。

智也は私を見ると、さとみとは対照的に明るい声を上げた。

「なんだ、佐伯さんか!」

私は智也と話したこともないし智也が私の名前を呼ぶ声を今、初めて聞いた。

私に目撃されたさとみは動揺しているようだが智也は彼女と対照的にあっけらかんとしていた。

その明るい声は何の罪の意識も無く人を傷つける者のそれと似ていて私は思わず、さらに一歩、後退した。

「あー、何?さとみビビってんの?」

屈託なく笑う智也の隣でさとみが不安げな顔を覗かせる。

「大丈夫だよ!」

智也がさとみの肩に触れた。

その瞬間、二人の淫らな親密さが急激に生々しく伝わって言葉を失った。彼らが唇を合わせていた瞬間はあまりにも短くて私が陸人としているキスよりも性を感じさせなかったけれど、馴れた様子で当たり前のようにさとみの肩に触れた智也の手は二人の隠れた親密さを表していて私はまた後退りしてしまいそうな衝動に駆られた。

七人のライングループでいる時の二人と、裏庭で密かに親密な行為をする二人は明らかに雰囲気が違った。

「大丈夫だよ!佐伯さんなら言わないだろうから!ね?佐伯さん?」

当然だとばかりの顔で智也が私を見る。

相手の答えを聞かなくても自分で答えを決めている時の顔だった。

さとみは智也に絆されて浮かない表情のまま静かに頷いた。

佐伯さんなら言わないだろうから!

智也の言葉をなぞる。

私は別に言わない人間なのではない。

特別、口が堅いわけでも彼らから信用されているわけでもない。ただ話す相手がいないから、これを言う相手がいないに過ぎない。

別にこれを誰かに言いたいわけではないけれど智也の言い方が引っ掛かった。

私が答えなくても分かるとでもいうように自分で答えを決めつけるような言い方。何も知らない私をまるで全て知っているかのような口ぶり。

「俺が先に教室入るから、さとみは時間差で来て。」

智也がさとみを置いて私の側を横切る。

まるで私なんて存在しなかったかのようにあっさりと横切った。私の前ではさとみが行き場を失くした子どものように静かに立っていた。

毎回こんなことをしているのだろうか。

二人が交際していることをクラスメイトに隠す必要性があるのだろうか。

こんなコソコソと裏庭でキスをするくらいなら、ライングループの残り五人に付き合っていると言えばいいのではないか。

気まずそうに下を向いたさとみが足を前へと進めて私の側を横切った。その際、さとみからふわっと他所の家の匂いがして、さとみの匂いを初めて感じた。


 久々に面と向かって話されたお昼休憩を終えて教室に戻った。

教室ではついさっきまでの裏庭での光景が幻かのように愛花を挟んで適度な距離を保った智也とさとみが何事もなかったように愛花の話を聞いていた。

彼らの関係が他の五人から怪しまれているのはずっと前からのことだが、それを実際に目の当たりにした者はこの五人の中にはいないだろう。

私だけがそれを知っている事実に少しだけ高揚して胸が熱くなった。

智也がまるで私を知っているかのように発した言葉、何一つ動揺することなく見せた余裕の笑みは私に僅かな不快感を与えたが、それ以上に二人の秘事を知れた喜びが勝った。

ライングループで繋がれた彼らはこんなにも近くで側にいるのに各々のことを全て知ることは出来ないのだ。例えいつも一緒にいたとしても親しくない人の方が知っている一面もあるのかもしれない。

ここにいる生徒たちは私が陸人とどんな会話をしてどんな姿を彼に見せているのか知らない代わりに、陸人は私が学校ではどのような存在でどのように過ごしているのかなんて全く知らない。

隠さないようにしても相手の全てを知ることなど不可能だ。

「直輝。」

席に着いてスマホを見つめる直輝に望美が甘えた声で近づいた。その声が陸人といる時の狡い私の声に似ていて思わずゾッとした。

「何?」

直輝の瞳はスマホから望美へ移る。

望美は直輝の前にある席の椅子を引いて堂々と座ると再び甘えた声で、

「何見てんの?」と尋ねた。

直輝は長いまつ毛を下ろしてスマホを見ながら、

「電子書籍。暇だったから。」と笑顔で答える。

「直輝って読書とかすんの⁉︎意外〜‼︎」

望美が嬉しそうに声を上げる。

好きな人の新たな一面を知れた喜びの声だった。

直輝の前にいる望美はいかにも幸せそうな甘い雰囲気に包まれているが、そのすぐ後ろでは自分の席を取られて望美がどくのを密かに待っている大人しいクラスメイトが同じような生徒たちと固まっていた。

自分の席を占領する望美をちらちらと横目に見ながら同じ仲間たちと固まって喋る。

自分の席なのに彼女はそれを言えない。

それを言って望美に不快感を与えるよりも言わないで彼女がどくのを待った方が平和な学校生活を築けることを大人しい彼女たちは理解している。

セーラー服を纏って恋心を露わにする女子高生。そんな彼女に自らの場所を奪われて不安げに眺める同じセーラー服を纏った女子高生。

彼らは同じ服を着て同じ立場なのにこの小さな箱の中ではまるで扱いが違う。

教室という箱の中は常に強者と弱者が存在する。

「どんな本?見〜せ〜て!」

望美が直輝のスマホに手を伸ばす。

直輝はスマホを天高く持ち上げて、

「ダメだよ。見たって分かんないよ。」と優しく笑う。

私は直輝のその優しさに苛ついた。

直輝が望美へ向ける優しさはいちいち私を苛つかせる。

彼の何も分かっていないような態度、仕草、言動、全てが私の苛つく対象となる。

「直輝〜‼︎お前の家って恋する私の新刊あるよね〜?」

直輝から少し離れた位置にいる雅也が大きな声で最近ドラマ化されて話題の漫画の話を振る。

「あるよ。」

遠慮がちに声を張った直輝が立ち上がって雅也の方を向く。

二人の甘い世界に邪魔が入った望美は不機嫌に口を膨らませた。

「え⁉︎あるの⁉︎あれって少女漫画じゃん!直輝って乙女なの⁉︎」

愛花がガサツな笑い声を上げる。

「いや、俺じゃなくて妹が買ったやつだけど。」

直輝の言葉に由美が、

「それ貸してー‼︎新刊、金欠で買えてないからー‼︎」と声を上げた。

「いいよ。妹に聞いて明日持ってこれたら持ってくる。」

直輝が返す。

直輝の声は他の生徒よりも比較的、落ち着いている。あまりうるさくなく刺激のない声だ。

このグループの中で一番、さとみと同じくらい人を傷つけない声をしている。

傷つけるという表し方は正確なのか分からないが、刺激の強い声はそれだけ人を傷つけるリスクがあるから私はこの表現が的確だと信じている。

声が大きいとか小さいとかの問題ではない。声は時に生まれながらの人間の本質を表す時がある。

育つ環境によって人間の性格は変わるけれどライングループで繋がれた彼らを見ていると彼らが繋がるのは生まれながらの必然のように思えた。

そう考えると私が誰とも打ち解けあえずクラスでひとりでに浮くことも生まれながらの性質なのかもしれない。

望まなくても顔立ちや声質のように付属される性質が存在する。

その性質をありありと映し出すのが学校だ。

自分の性質も他人の性質も全て暴き出す教室という名の小さな箱。

みんなその中で上手く固まって上手く泳ぐ。

泳ぎ損ねた心弱き者はそこから逃げ出す。

私はそうならないようにライングループで繋がった彼らよりも心が強くなければならない。



「今日は描く気分になれないんだ。」

 私を部屋に入れた陸人が疲れた様子で伝える。

「疲れているの?」

尋ねると静かに頷いたがまたすぐに否定して、

「体力的な疲れじゃない。」と返した。

「精神的な疲れ?」

陸人が頷く。

「精神的な疲れも体力の疲れと同じくらい体に負担がかかるから無理しなくていいよ。」

私が優しく労りの言葉を投げ掛けると陸人の心が揺れているのが分かった。

そうは言ってもここに来た以上セックスをすることは理解している。

体の疲れは眠ることが最も最良の方法に違いない。しかし精神的な疲れは違う。

私にとって精神的な疲れを癒す方法は快楽に身を任せることだ。快楽に身を委ねているときは何もかも忘れることが出来る。

現実から目を背けて逃げる最良の方法だ。

「今日は音楽でも聴こう。」

陸人がそう言って音楽プレーヤーを開いた。

そこからお気に入りのアーティストの画像を私に見せる。

「ジョン・メイヤーって知ってる?」

私は静かに頷く。

「聴いたことあるよ。」

私の言葉に陸人が嬉しそうに、そうか。と呟いた。

「好きなんだ。」

陸人が下を向いて音楽プレーヤーをいじりながら答えた。

私は彼に賛同するように、

「じゃあ一緒にそれを聴こう。」と言った。

陸人の音楽プレーヤーからジョン・メイヤーのstill feel like your manが流れる。

私が聴いたことのあるジョン・メイヤーの曲はdaughtersのみだったから、陸人の流すその曲は初めて聴く音楽だった。

その曲に使われている楽器がギターなのか、もっと専門的なものなのか私には分からない。音楽の知識が皆無な私にはその音がギターの音色に聴こえた。

この曲が終わるまで私は大人しく陸人の隣で待っていた。

それからstill feel like your manが終わるとnew lightが流れた。

軽快でリズミカルな音楽に対して陸人は揺れることなく曲をじっと聴いていた。

私は洋楽が好きでたまに聴くけれど英語が出来るわけではないからその曲がどんな歌なのか歌詞を通じて知ることは出来ない。気になるのなら調べればいいことだけど私にとって音楽はその場を満たすセックスと同じものだから音が終わった時には僅かな余韻に浸ってそのあとはすぐに現実へと戻されて忘れてしまう。

現実は一瞬の喜びや快楽をすぐに忘れさせる。だから再び現実逃避を求める。永遠にその連鎖だ。

私は陸人の体に腕を巻きつけると彼の唇に自らの唇を押し付けた。流れるリズムと歌声を耳に入れながら彼の口の中に自らの舌を押し込む。陸人がそれを受け入れて生暖かい舌同士が絡み合う。

そのまま互いの身体をまさぐって衣服を脱ぎ合った。

流れて、流されて。海中に浮遊するクラゲのように私は学校で当てもなく浮いている。クラゲのように目一杯、美しく光れないまま。

その先で陸人も浮遊していたに過ぎない。彼もまた自らの気持ちを無理矢理、抑え込んで当てもなく浮かんでいた。私達は目的もなく浮かんでいた時に偶然巡り合わせた。それは意味のあることなのだろうか。それとも単なるクラゲ同士の接触に過ぎないのだろうか。どちらが先に刺されて怪我をするのだろうか。あるいはどちらが先に感電して死ぬのだろうか。

行き場を失って水面に漂う者同士の恋愛ごっこなんていつまでも続かない。

それを理解していても今だけは快楽で忘れていたい。終わるまでそんなこと考えないでおこう。

どのみち私から決着をつけるなんて考えられない。もしも私から決着をつけるとしたら、その時は彼が私から物理的に離れているのに連絡を寄越した時だろう。身体を重ねられないのに辛抱強く連絡を取り合ってセックスなしで会って帰るなんてただの学生の恋愛だ。私達は学生だけど恋人じゃないのだから、私達の抱く互いの愛情は恋愛感情のそれとは違うのだから、それだけは明白なのだから、水面に漂う私達は溶けてしまわないように交わっているだけだ。

陸人と体を重ねているうちに曲は終わっていて気づいた時にはプリンスのpurple rain が流れていた。

私はその音を聴きながらこの瞬間が永遠に続けばいいのにと願った。

この瞬間は決して幸せではないけれど現実を生きるよりも遥かに苦しくない。

でも現実と向き合わないで済むこの瞬間も決して幸福ではないのだ。

私達は私達の望む本当の幸福を手に入れることが出来ない。そんな現実と向き合うと自分が生まれた意味を問いかねない。そしてこれから続く長い長い人生をどうやって生きればいいのか分からなくて途方に暮れる。

これから私が遂行する人生は私の望む人生じゃない。

私が欲しいものじゃない。

欲しくないものを欲しいかのように思い込んで幸せなふりをする人生はどん底に違いない。

だけど私はそれを遂行しなければならない。

いつか必ずそんな時が訪れる。

それを考えると苦しいから自らを刺激して誤魔化して、いずれ訪れる当てのない平和ごっこに備える。

恋愛ごっこをして幸福ごっこをする。

こんな私にはそんな人生しか約束されていない。

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